Episode1:ビアンカという少女

文字数 3,122文字


 その年、アメリカで新たに若き指導者が誕生した。

 二大政党のうち、保守系の政党である国民党から出馬した女性(・・)上院議員ダイアン・ウォーカーが、それまで長らく政権与党だったリベラル系の自由党の候補で、同じく上院議員のゴードン・R・ミラーに大差を付けて勝利したのである。

 ダイアンはこの時、46歳。

 折しも停滞していたアメリカの経済や世界情勢に閉塞感を感じていた人々は、こぞってこの熱意あふれるアメリカ史上初の若き女性リーダーの誕生を祝福し、熱狂した。

 だが……この歴史的な勝利が、この国の裏で繰り広げられる光と闇の戦いに大きな変化をもたらす切欠となる事を知る者は誰もいなかった。

 そしてやはりこの勝利が、後に1人の少女の運命を大きく変えていく切欠になると予想できた者もいなかった。


*****


 東海岸でも屈指の大都市、フィラデルフィア。市内に多くの大学本部を抱える学術都市でもある。そんな大学の中の一つ、テンプル大学。

 スポーツも盛んなこの大学では、様々なスポーツチームが日夜クラブ活動に励んでいる。そういったクラブの中には球技のようなスポーツだけでなく、格闘技関連のクラブも多数存在していた。

 大学構内にある大きなアリーナ。今ここではペンシルベニア州内の空手連盟による州大会の……決勝戦が行われていた。赤い太線で四角に覆われたスペース内で向き合っているのは2人の女性。

 1人は白い道着の黒人の女性。もう1人は青い道着の白人女性であった。どちらもヘッドギアで顔を覆っている。

 白人女性の方は身長が170センチ程で、そこまで飛び抜けて長身という訳ではない。道着から覗く体格も女性らしい優美な曲線を描いている事が窺える。対して黒人女性の方は明らかに身長も体格も白人女性より上であった。

 格闘技における体格差、体重差の影響を考慮すると、白人女性は確実に不利であるはず(・・)だった。だが両者の様子は、その一般的常識からすると少々考えられないものだった。

 体格で勝る黒人女性の方が一方的に息を荒げて身体をふらつかせているのだ。比較すると小柄な白人女性の方は落ち着いたものだ。


 白人女性が一歩踏み込む。すると黒人女性が明らかに怯んで逃げ腰になる。しかし試合である以上逃げる訳には行かない。

「……!」

 黒人女性が逆に自分から踏み込んでいく。そして正拳突きを放つが、白人女性は見惚れるような体捌きでそれをいなす。黒人女性がひるまず連続で拳を打ち込むが、その全てが同じようにあっさりといなされた。

 焦った黒人女性が相手の脛を狙ってローを蹴り込む。それは空手の決勝試合に相応しい充分に鋭い蹴りであったが、白人女性はそれまでの優美とも言える動きから一転して力強い挙動で一瞬にして前に踏み込む。

「……!?」

 それによって蹴りの威力を殺された黒人女性が動揺する。白人女性はその隙を逃さず、相手の胸の上辺りを狙って正拳突きを打ち込む。素早く、それでいて力強い突きは狙い過たず正確に相手の胸に突き刺さり、黒人女性は痛みと衝撃でよろめいた。そこに更なる追撃。

 白人女性の長い脚が綺麗な軌跡を描いて蹴り出される。しかしそれは恐ろしい凶器となって黒人女性の側頭部にクリーンヒット。

 ハイキックをまともに食らった黒人女性は完全に白目をむいてその場に倒れ込んだ。審判が慌てて駆け付けて試合終了を宣言する。


「勝者、ビアンカ・コールマン!!」


 高らかに勝者の名が読み上げられると、白人女性――ビアンカが一礼する。そしてヘッドギアを外す。蜂蜜色の長い髪がフワッと広がる。

 試合を見ていた観衆からホォ……と、溜息とも付かない感嘆が漏れる。ヘッドギアの遮蔽から解放された彼女の顔は、男であれば、いや同性であっても目線を惹き付けられずにはいられない華やかな容姿であったのだ。

 ビアンカはその人目を引く容姿に似合わず、いや、ある意味では印象通りなのか自信に満ち溢れた表情で、周囲の感嘆や歓声に手を上げて応えていた。


「……!」
(あいつ……またいるわね)

 何気なく周囲の観客に目を向けていたビアンカは、その中に見覚えのある姿を認めて眉をしかめる。見覚えがあると言っても断じて知人や著名人などではない。

 黒い短髪を後ろに撫で付けた髪型に、やはり黒いスーツ姿。頬には目立つ傷跡があって、目はサングラスで覆われていて見通せない。

 見るからに怪しい風体の男であった。どう見ても堅気ではない。


 男と目が合った。相手はサングラス越しだが何故かビアンカにはそれが解った。

「……っ」

 その瞬間、彼女の中に何か名状しがたい感覚が湧き上がる。やや胸の動悸が早まる。あの男と目線が合うと、いつもこのような不思議な感覚を覚えた。これが何なのか自分でもよく解らなかった。


 この怪しい黒スーツの男が、ここ1、2ヶ月くらいの間に何度もビアンカの近くで姿を見かけるようになったのだ。

 しかし遠巻きに彼女を監視しているだけで、決して近寄って話しかけてきたりもしない。ストーカーかとも思ったが、とりあえず現時点で何か物が盗まれたり不審な悪戯電話が掛かってきたりといった被害もない。

 ストーカー被害に遭ったのは初めてではなく、その時は逆に自分からそのストーカーに近づいて散々ぶちのめした挙げ句に警察に突き出した。
 
 だがあの男はこちらから近づいて問い質そうとしても、まるで魔法のように姿を消してしまうのだ。そしてしばらくするとまた遠巻きに現れる。何度かそういった事を繰り返して、ビアンカはやがて追求を諦めた。

 とりあえず何か実害がある訳ではない。あのような風体でありながら、今日のように彼女の方から意図的に探さないと気付かない程、普段は存在感を消しているのだ。現に今も彼女が自分を見つけたと悟るやいなや、すぐに踵を返して体育館から出ていってしまった。

 ビアンカは溜息をついた。何か用があるなら向こうから接触してくるだろう。それまで彼女はあの男を基本的にいない者として扱う事に決めていた。

 だがそうそういつまでもあんな男に張り付かれていては堪らないので、もうしばらく待って何も動きがなかったら警察に相談してみようと考えてもいた。




「ビアンカ! 今日の試合も凄かったな! 優勝だぞ、優勝!」

 試合終了後、表彰などの手続きを終えて着替えてから更衣室を出てきたビアンカに、若い男が話しかけてきた。今度はちゃんとした知人だ。いや、知人どころか……

「いやー、流石は俺の彼女(・・)! こんなに美人で、しかも強くて頭もいいときた! 君と付き合ってる俺は世界一のラッキーマンだな!」

「あら、ありがと、ヴィクター。いつも調子がいいんだから」

 ビアンカは薄く微笑んで、彼氏(・・)のヴィクター・ランディスからのキスを頬に受ける。ヴィクターは同じこの大学の同窓生であり、ビアンカの現在(・・)の恋人であった。

 大学の成績は余り良くないが、顔がそれなりに良いのと、こうしてビアンカを惜しみなく褒め称えてくれる態度が好きで付き合っていた。

「今夜は君の優勝を祝って、寮の奴等とパーティーをやる予定なんだ。勿論君も参加してくれるよな? というか主役がいなきゃ始まらないぜ」

 今風の若者らしくノリが軽く大勢で騒ぐのが好きなヴィクターだ。ビアンカの優勝にかこつけてパーティーをしたいだけだろう。彼女は溜息を吐きつつ、仕方なく頷いた。

「はぁ……あなた本当にそういうの好きよね。いいけど夜通しは無理だからね。試合を終えたばかりで疲れてるんだから」

「解ってるって! 最初に顔出してくれるだけでいいからさ! じゃあとりあえず寮に帰ろうぜ!」

 ビアンカから了承の返事を貰ったヴィクターは、ホッとしたように笑って帰宅を促した。
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