Episode13:弾ける本能

文字数 3,789文字

「……っ!!」

 イリヤとそんな話をしている最中、カリーナを見張っていた虹鱗から激しい警鐘が鳴った。やや遅れてバスルームからカリーナの悲鳴。

「ミセス・シュルツ!?」

 リキョウは何らかの緊急事態が発生したと見做して、一直線にバスルームに向かう。勿論イリヤも慌ててその後に続く。だが彼等がバスルームのドアを開ける前に、ドアが中から開いて2人(・・)の人間がまろび出てきた。

「「た、助けて! 化け物よっ!」」

 その2人の人間はリキョウ達を見るなり、ほぼ同時に全く同じ声(・・・・・)で叫んだ。

「え……!?」

 イリヤがその2人の人間を見比べて唖然とした表情になる。虹鱗からの映像で何が起きたのか自体は視認していたリキョウはそこまでの驚きは無いが、その代わりに厳しい目線でその2人の人間を睨む。


 彼等の視線の先に……2人のカリーナ(・・・・・・・)がいた。どちらも裸にバスタオルだけを巻いた姿で床にへたり込んで、自分と全く同じ姿をした相手に恐怖の目線を向けていた。 


「ちょ、ちょっと、何してるの!? こいつは偽物よ! 早く何とかして頂戴!」

 カリーナがもう1人の自分を指差して叫ぶと……

「ふ、ふざけないで頂戴! 偽物はそっちでしょう!? まさか私にすり替わる気!?」

 『カリーナ』も目を剥いて相手を糾弾する。どちらも全く演技には見えない。事実イリヤは完全に混乱しているようだ。

(なるほど、そう来ましたか……! どうやら敵はミセス・シュルツを排除するだけでなく、最高裁判事の座をそっくり乗っ取るつもりのようですね)

 敵の狙いを即座に看過したリキョウだが、生憎その彼の目を以ってしても目の前の2人のどちらが偽物なのか判別できなかった。

 虹鱗を通して見た映像では、バスルームがいきなり蒸気のような煙に包まれて一時的に視界が封じられ、その煙が晴れた時には既に2人のカリーナがいて、驚愕の表情で互いの姿を見やっていた。煙に覆われた時にカリーナが動揺して大きく動いた気配があったため、立っていた位置関係による類推も不可能だ。


「……落ち着いて下さい。とりあえずイリヤ君の目の毒になりますので、お2人とも何か服を着て頂けますか? その上で改めてどちらが偽物なのか判別する事としましょう」

 服を着るにはタンスやクローゼットを使用しなければならない。それら日常生活で良く使う家具の利用や服の選び方、着こなしに不自然さはないか。それを見極める目的もあって彼女らに着替えを促したのだが、2人とも勝手知ったる我が家という感じで一切迷いなく寝室までいき、特に不自然さもなく着替えを済ませた。

「ちょっと、私の服を当然のように着ないで頂戴! それ高かったんだから! 『シェルブール』で400ドルもしたのよ?」

「何言ってるのよ! これは全部私の服よ! あなたこそ勝手に私のお気に入りの下着を履かないで頂戴! 『バロネス』のオーダーメイドなのよ、それ!?」 

 そんな言い合いまでする始末だ。しかし互いに相手の言っている内容を否定はしていない。つまり事実という事だ。

(相手がどんな服や下着を手に取るかまで予想して事前に全て調べてある? いくら何でもあり得ないでしょう。つまり偽物はミセス・シュルツの記憶(・・)までコピーしている可能性が高いという事ですか。……厄介ですね)

 本人とすり替えて最高裁判事にしようというくらいなので、記憶のコピーまで出来るのはむしろ当然かもしれない。ここでもし判断を間違えて本物の方を殺してしまったらとんでもない事になる。否が応でも慎重にならざるを得ない。


 カリーナ()の着替えが終わると、場所をリビングに移す。そしてとりあえずこちらが事前に把握している範囲で彼女の個人情報に関する質問をするが、当然というか2人とも淀みなく答える。

 IDナンバーや車のナンバーなど人間(・・)であれば咄嗟には思い出せない、答えられないような質問もブラフで仕掛けてみるが、ご丁寧に2人とも答えられずに焦った様子を見せていた。少なくともどちらか一方は演技かも知れないが、それを見抜く手段がない。

 何か個人的なエピソードの話をされてもそれが本当なのかリキョウ達には確認しようがないし、そもそも記憶までコピーしているとしたらどんな質問も無駄かも知れない。

(ふむ……これは困りましたね)

 リキョウは内心で頭を抱える。彼は別に悪魔退治のエキスパートという訳ではないので、そこまで悪魔の魔力を感知出来る能力はない。イリヤも同様だろう。

 イリヤがテレパシー能力を使えれば良かったかも知れないが、彼は瞬間移動ほどではないがテレパシー能力も苦手としており、よしんば読めたとしてもそれで自分の頭の中を覗かれたとカリーナが知ると後々面倒な事になる。しかもテレパシー能力が万能でない事は以前にあのCIAのマチルダが証明しているし、それで確実に偽物を特定できるという保証もないのだ。

「ねえ、もう充分でしょう!? 私は自分が本物だって解ってるわ! どう見てもこいつが偽物なのは明らかじゃない!」

 『カリーナ』が焦れたように怒鳴ってカリーナを指差すと、カリーナも負けじと『カリーナ』を糾弾する。

「何がどう明らかなのよ!? 偽物の分際で白々しい真似しないで頂戴! 私が本物よ! もういい加減にしなさいよ!」

 全く同じ姿、同じ口調、同じ声の人間が、互いに本物だと主張して『偽物』と罵り合っている。それは何とも説明のつかない、座りの悪い違和感と非現実性を見る者に与える光景であった。やはり同じ人間が2人もいてはならない。それは自然(・・)ではないと実感させてくれた。


「ど、どうするのコレ……?」

 イリヤが困り果てたようにリキョウを仰ぎ見る。が、内心で困り果てているのは彼も同じであった。記憶をコピーしているとしたらこれ以上質問を重ねても無駄だ。かといって他にどんな方法で真贋を見抜けるというのか。

(試しに攻撃してみる? いや、それはリスクが大きすぎる。致命傷になるような傷を与えなければ、相手は恐らく本性を出さないでしょう。記憶をコピーしているとしたら、後は……無意識の仕草? いや、彼女の癖などを私達は知らない。それとも記憶とは別の本能的な趣味嗜好…………っ!!)

 そこまで考えた時、リキョウはハッと目を見開いた。そして思わずといった感じで傍らにいる美少年……イリヤを見下ろした。

 あった。リキョウ達が唯一知っている、カリーナの本能的(・・・)な趣味嗜好が。

 リキョウは大声で罵り合う2人の『カリーナ』に気付かれないように、そっとイリヤに耳打ちする。イリヤが目を瞠った。

「え……そ、それは……でも……」

「……お願いします、イリヤ君。この状況を打破できるのは君だけなんです。ここで大手柄を挙げればビアンカ嬢は大層喜んで、あなたを褒めてくれるでしょうね」

「……!」

 少し顔を紅くして躊躇う美少年にリキョウは殺し文句(・・・・)で説得する。イリヤが再びその大きな目を見開いた。そしてそれでもやや躊躇いながらだが、しっかりと頷いた。

「わ、分かっタ。それでお姉ちゃんの為になるナら……」

「勿論です。彼女はあなたの勇気ある決断を讃えるでしょう」

 リキョウはそう駄目押ししてから一歩下がる。そして2人の『カリーナ』のどんな兆候や表情の変化も見逃すまいと目を眇める。


「あ、あの……シュルツ、さん……」

 イリヤが遠慮がちに声を掛けると、2人の『カリーナ』は同時に彼の方に向き直った。

「何、イリヤ? やっとこいつが偽物だって解ったのね?」

「それはこっちの台詞よ。さあ、遠慮しないでこの不届きな偽物に天罰を下してやりなさい」

 やはり互いが本物だと主張する『カリーナ』達。その姿も態度も全く本物として不自然なく、このままでは一生かかっても偽物を見抜けないだろう。だが……


「ぼ、僕……汗かいたから、やっぱりシャワーを浴びたくナっちゃった。い、一緒に入ってクれる……?」


「――――」

 シャツのボタンを外して白く華奢な胸を露出させつつ、恥ずかしそうに頬を紅潮させて上目遣いに懇願する金髪美少年。その破壊力(・・・)は絶大なものがあった。

「シャ、シャワー? 何言ってるのイリヤ? 今はそんな場合じゃないでしょ? この偽物を――」

「――は、入る! 入るわ! い、今すぐ入りましょ!! ボディソープは何が良い!? シャンプーは!? リンスは!?」

 不可解そうに眉を上げて偽物に対する追及を優先しようと促すカリーナ。対照的に現在の状況も忘れて、目をギラつかせ鼻息を荒くしてイリヤに詰め寄る『カリーナ』。

 本来この異常な状況下であれば、カリーナの方の言動が極めて正常(・・・・・)な反応だ。だが、正常すぎた(・・・・・)。カリーナは……記憶をコピーしているだけの無機質な悪魔は、人間の趣味嗜好に対する不条理とも言える本能的な反応を模倣できなかった。それが明暗を分けた。


「表情の微妙な変化などに気を配る必要さえありませんでしたね。流石はイリヤ君です。――砕破ッ!!」

「……っ!」

 リキョウは一切の躊躇いなく相手を殺すつもりで、カリーナに対して『気』を込めた貫手を放つ。カリーナ……の姿をコピーしていた悪魔は、大きく跳び退ってその貫手を躱した。

 同時にその姿が崩れて、代わりに目も耳も鼻もなく、牙が生え並んだ大きな口だけしかない異様な『顔』を持った悪魔が出現していた。こいつがカリーナの姿と記憶をコピーして化けていたのだ。
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