Episode4:エアフォース・ワン

文字数 3,985文字

 DCからニューヨークまでは様々な移動手段があるが、今回は大統領の公務という事もあって(そして非公式だが特定の人物を急いで保護する必要がある為)空路が使われていた。合衆国大統領の空路……即ち『エアフォース・ワン』だ。

 『エアフォース・ワン』とは何か特定の専用機体を指す呼び名ではなく、大統領が搭乗し移動に用いる機体が『エアフォース・ワン』と呼ばれるのだ。基本的には民間機ではなく軍用機が用いられる。

 飛行機に詳しくないビアンカには具体的な機体名などは解らないが、彼女が普段任務などで利用するプライベートジェットとは比較にならない程大きくて立派な機体である事は確かであった。

 DC近郊にあるアンドルーズ空軍基地の滑走路には、既に『エアフォース・ワン』が発進準備を終えて待機している状態であった。タラップから直接機体に乗り込む形となる。

 多くの車両やSP達に護送されてここまで来たダイアンだが、ここからは大勢でゾロゾロと同じ機体に乗り込む訳にもいかないので少数精鋭(・・・・)となる。


 滑走路を歩くダイアンの周囲を固めて共に飛行機に乗り込むのは5人の男女(・・・・・)。全員が黒いスーツにサングラス姿だ。4人の男達は人種も様々だが、全員見るからに只者ではない雰囲気を纏わせており、大統領の直近護衛としてはこの上なく相応しく思われた。

 1人だけ若い女性のSPが混じっており、大統領によく似た(・・・・・・・・)栗色の髪を束ねて、黒いパンツスーツに身を包んでいた。しかしその目元はサングラスに覆われていて、素顔が直接晒される事は無かった。

 5人の選抜されたSPに護衛されながらタラップを昇ったダイアンは、そのまま機内へと乗り込む。SP達もそれに続くと機体のドアが閉まっていく。


 ドアが完全に閉まるとSPに扮していたビアンカ(・・・・)は、ふぅ……と息を吐いた。他の男達は勿論ユリシーズ、アダム、リキョウ、そしてサディークの4人だ。

 外には少数ではあるがメディアの記者たちが来ていて、大統領が公務に出立する様子をカメラに収めていた。

 只でさえ緊張している所に、マスコミのカメラの前に自分の姿を晒すというのは、自分の出自(・・)を考えると例えサングラスをしていても不安と落ち着かなさを感じ、ここに乗り込むだけで大分精神的に疲れてしまっていた。今からこれでは先が思いやられる。

「何をしているの、さっさと席に着きなさい。立っている人間がいると離陸できないでしょう?」

「……っ」

 苛立ち混じりのダイアンの声にビアンカはぐっと唇を噛み締めながらも、慌てて空いている席を探す。軍用機と言っても内装は、旅客機のファーストクラスもかくやという高級で広々としたフロアとなっており、大統領本人やその随伴者が座る為のゆったりした席がいくつも備え付けられていた。

 他の席には既にユリシーズ達が着いており埋まっていたが、まだ空いている席もあった。ビアンカはどこに座ろうか一瞬迷うが……

「おい、ビアンカ。何ならここに――」「ミス・ビアンカ。私の隣が空いて――」「ビアンカ! 俺の所に――」「ビアンカ、良ければこの窓際の席が――」


「――お姉ちゃん! こっちこっち!」


「っ! イリヤ……!!」

 男達が一斉に喋り出すのに被せるように高い少年の声が聞こえてビアンカの顔が喜色に輝く。席の1つには、ゆったりした席の大きさに比して小さな少年がちょこんと腰掛けて、隣の席を手で叩いていた。まるで英国貴族の子供のような衣装を纏ったイリヤである。

 外見的にSPを装うには無理があり、彼が一緒にいると必ずマスコミや見物人の目を惹いてしまい、口さがない者達に様々な憶測をされる要因となってしまうので、ビアンカ達とは別行動で予め『エアフォース・ワン』の搭乗してもらっていたのだ。

 ビアンカは特に悩む事も無くイリヤの元に向かい、その隣に座った。そしてすぐにシートベルトを締める。イリヤが少し勝ち誇ったような表情になり、それを受けて他の4人は一様に眉を顰めて小さく舌打ちしていたが、当然ながらビアンカは何も気付いていなかった。

「……はぁ。なるほど、これはこれで問題ありね。替えが効かないメンバーばかりだから仕方がないのだけど……自分の娘(・・・・)ながら空恐ろしいわ」

 そしてその光景を傍から見ていたダイアンは当然一瞬で凡その状況を把握して、複雑そうな表情で溜息を吐くのであった。 


*****


 離陸が完了し『エアフォース・ワン』が完全に空の住人になったタイミングで、ランプの色が切り替わってシートベルトを外せるようになった。この辺りは旅客機の仕様と変わらないようだ。

「ふぃー……。しっかしまさか俺が『エアフォース・ワン』に乗る機会があるとはなぁ。親父が知ったら大層驚くだろうな」

 大統領であるダイアンがトイレに立ったタイミングで、サディークが広い席の上でゆったりと手足を伸ばしながら皮肉気に笑った。そして興味深そうに内装などを見回す。彼はエリートとはいえ外国の王族、それも王子という立場なので、本来であれば『エアフォース・ワン』に搭乗する機会など一生なかっただろう。

 そんな彼はいつものアラビアンな衣装ではなく、SPに扮する為にユリシーズのような黒いスーツ姿であった。まるでアラブの若いやり手実業家といった風情で、そんな恰好も非常に様になっていた。


「あくまで特例だって事を忘れるなよ? 余計な事をあれこれ喋ったら二度とビアンカに近付けなくさせるぞ」

 そのユリシーズが釘を刺すように忠告する。この『エアフォース・ワン』自体様々な国家機密の塊のような部分があるし、その中で話される内容もまた然りだ。その意味で純然たる外国政府の要人たるサディークが同乗している事は極めて異例と言える。

「へっ、んなダセェ真似するかよ。別にアメリカが何企んでようが、こっち(サウジ)に影響がなきゃどうでもいいぜ。俺が興味あるのは一つだけ(・・・・)だからな」

 だがサディークはユリシーズの懸念を鼻で笑った。そしてビアンカの方に視線を向ける。しかしその視線を遮るように割り込む者が。


「奇遇ですね。私も本籍は中国ですが、こうして『エアフォース・ワン』に搭乗する機会を得られて感無量ですよ。そして私の目下の関心もただ一つ……。あなた方と共有(・・)する気はありませんがね」

 リキョウだ。現在アメリカの最大の仮想敵国となりつつある中国を母国とする彼は、ある意味でサディーク以上にデリケートな立場である。彼もまた本来であれば到底『エアフォース・ワン』に搭乗できるはずのない人物であった。

 彼もいつもの裾が長いオリエンタルな服ではなくSPに扮する為の黒いスーツ姿であった。彼がそんな恰好をしていると、完全に映画などで出てくるチャイニーズマフィアの冷酷な殺し屋といった感じで、どう見ても堅気には見えなかった。

 最初見た時あまりにもハマり過ぎていて、その役を想像したビアンカが思わず小さく噴いてしまったのは余談である。

「ほぉ、そりゃ確かに奇遇だな。俺も誰かと共有する気は一切ねぇからな。そして俺はこれまで欲しいモノは全て手に入れてきた」

 サディークは挑戦的に笑ってリキョウやユリシーズを牽制する。そこに更に新たな影が……


「勝手な事を言うな。彼女はお前の物ではないし、これからもなる事は無い。勿論お前達も同様だ」

 牽制し合う3人に警告するのはアダムだ。この広い『エアフォース・ワン』の機内が狭苦しく感じる巨体の黒人である彼も、今日は軍人や兵士のような服ではなく黒いスーツ姿となっていた。

 その体格と筋肉でスーツが内側からの圧力ではち切れそうなほどだ。彼もまたリキョウとは違う意味で堅気には見えず、歴戦の兵士か格闘家が無理矢理スーツに身体を押し込めているようにしか見えなかった。

 そんな彼を見てユリシーズが揶揄するように眉を上げる。

「何だ? お前はもう降りた(・・・)のかと思ってたぜ」

「……どういう意味だ?」

「そのままだろ。ルイーザの気持ちには気付いてるんだろ?」

「……っ! それは……」

 ユリシーズの指摘にアダムは僅かに苦い表情となる。痛い所を突かれたという感じだ。リキョウもここぞとばかりにユリシーズに加勢する。

「全くです。レディをその気にさせておいて放置するというのは、男としては最も恥ずべき行為ですよ?」 

「むむ……!」

 アダムが唸る。彼とて別にルイーザを厭うている訳ではないだろう。むしろその逆にある程度好ましく思っているのは間違いない。だからこそ余計に悩むのである。


「ちょっと、いい加減にしてよ、皆! これから任務に行くんだからまずはそっちに集中してよね!」

 色んな意味で居たたまれなくなったビアンカが諫言する。彼らが一同に顔を突き合わせれば必ず何らかのいがみ合いが発生すると思っていたが案の定である。あまりここでルイーザの話題を続けて欲しくなかった事もある。 

 そこで少し大きめの咳払いが聞こえた。

「ビアンカの言う事も尤もね。現地に着いた瞬間からいつ何があってもおかしくないのだから、もう少し緊張感を持って欲しいものね。まあ、余裕の表れと考えれば頼もしくも思えるけど」

「……!」

 ダイアンである。いつの間にか戻ってきていたようだ。彼女としては男達が自分の娘(・・・・)を間に挟んで牽制しあっているという状況は、かなり複雑な感情を想起する光景であろう。しかもその娘との関係がギクシャクしているとなれば尚更だ。

「む……」

 ユリシーズやアダムは勿論、外国人であるリキョウやサディークも流石に合衆国大統領の前で私的な話題を続ける事は憚られたようで、短く唸って沈黙する。ましてやビアンカの実の親でもあるのだから尚更その眼前でこの話題を続けるのは憚られた。

「…………」

 ビアンカはダイアンが彼らを諌めてくれて助かったと思う反面、このような事柄で初めて母親と意見が一致した事に内心で複雑な思いを抱くのであった。
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