Episode4:容疑者候補

文字数 4,058文字

 ボルチモア。大きな港が特徴の港湾都市であり、主に大西洋を隔てた海洋貿易関連で栄えている街だ。アメリカの中でも歴史は古く、元々は煙草産業でも有名であり南北戦争の舞台ともなった。

 首都ワシントンDCに隣接するメリーランド州の最大都市であり、同州の人口と税収の大半はこの街に拠っていると言っても過言ではない。州都でこそないものの、この州で最も重要な街とも言えるだろう。

「……だからこそ、この街にカバール(・・・・)の連中がのさばっているとなれば、我が州にとって由々しき事態なんですよ」

 メリーランド州のビンガム州知事は、そう言って神経質そうな溜息を吐いた。50絡みの恰幅が良い柔和そうな印象の男性であった。



 首席補佐官のビル・レイナーから任務を受けたビアンカは、彼女の警護を担当するアダムと共にボルチモアにある州知事の自宅を訪問していた。

 州議会や州の庁舎は州都であるアナポリスにあるが、知事の自宅はボルチモアにあった。こういうケースはアメリカで珍しくなかった。尤も大抵は州都にも『別宅』があり、仕事が詰まっている時などはそちらに滞在する事も多いようだが。

 最初ビアンカの訪問を受けたビンガムは、若い女性で尚且つ動きやすいタンクトップにホットパンツという格好のビアンカの姿を見てあからさまに疑いの目を向けてきたが、後ろに控えるアダムの威圧感と、彼が提示した大統領府が正式に発行した委任状を目にすると態度が急変した。

 そして現在、彼の自宅の応接間で現状の説明を受けている所であった。


「知事の方では現状、誰か怪しいと睨む容疑者はいらっしゃらないのですか?」

 ビアンカが椅子の上で露出した脚を組むと、思わずビンガムの目が吸い寄せられる。だが彼はすぐに取り繕ってわざとらしく顔をしかめた。

「こんな異常な殺人の容疑者など見当もつきませんよ。ボルチモア市警も同様です。ただ……カバールの連中は社会的身分が高い者が殆どのようなので、そこから考えると怪しいと思われる者もいるにはいます」

「このボルチモアのアディソン市長も自由党だとか?」

 ビアンカが確認するとビンガムは苦虫を噛み潰したような顔で頷いた。

「ええ、そうなんですよ。一々私や州議会の決めた政策に反抗して州政を滞らせているいけ好かない()です。腐ってもこのボルチモアの市長ですから州としても無視は出来ず……。全く、何であんなヒステリー女が市長になど当選できたのか……」

 愚痴っぽい口調になるビンガムだが、状況を思い出してすぐに取り繕う。

「ああ、失礼。こちらの話です。後は、そうですな……。連邦議会の自由党所属でこの街が基盤のブロック下院議員がいますな。うちの州は現在上院に関しては2名とも国民党なので、ブロック議員がこの州の自由党代表みたいな物です。後、州議会の自由党院内総務のレーラー議員も怪しいと言えばそうですな。この街出身で、尚且つ州議会での自由党議員たちを束ねる立場ですから。思い当たるのはそれくらいでしょうか」

「……州最高裁のコルベル主席判事も自由党員だったはずだが?」

 それまで黙って佇んでいたアダムが口を開いた。その風貌だけでなく口調も威圧感に溢れていて、ビンガムは思わずビクッと身体を震わせる。どうやらかなり臆病な性格らしい。

「あ、ああ、コルベル判事ですね。そうそう、彼がいました。それほど極端に自由党に有利な判決を下す事がない人物なので、彼が自由党員だという事を忘れていましたよ、ははは……」

 ビアンカは溜息を吐いた。彼からはこれ以上有益な情報は聞けそうにない。そもそも自分の州の問題なのに連邦政府に丸投げして助けてもらおうとしている時点で、それほど有益な情報を持っているはずもないのだが。


「解りました、ビンガム知事。当面の容疑者はリストアップできましたので、後はこちらで調べて対処します。ありがとうございました」

「……! いやいや、こちらこそ大したお力になれませんで。どうかよろしくお願いしますぞ」

 ビアンカがそう言って立ち上がると、ビンガムは露骨にホッとしたような表情になる。どうやらこれでもう全部解決するとでも思ってるようだ。

「勿論です。ただ……この件を無事に解決した暁には、解っていらっしゃいますね?」

「も、勿論ですとも! 無事に『膿』を出し終えたら今後メリーランド州は、ウォーカー大統領に全面的にご協力する事をお約束します」

 協力は約束するが、それには事件の解決……というよりカバールの悪魔の討伐が必須という訳だ。ちゃっかりと条件を入れてくるビンガムはやはり州知事だけあって強かな人物ではあるようだ。

「その言葉、忘れないでくださいね?」

 ビアンカも彼と握手しながら、怖い笑顔でそう釘を刺す事は忘れなかった。


*****


「ふぅ……まあでも一応ある程度容疑者の絞り込みが出来たのだから上出来というべきかしら」

 知事の家を辞したビアンカ達はチェックインしているホテルのラウンジで、知事から得た情報も含めて整理している所だった。テーブルには(現時点での)容疑者達の写真付きの資料が並んで置かれていた。


 アビー・アディソン市長。このボルチモアの市長であり、自由党所属だ。それだけならあのフィラデルフィアのハンター市長と同じだ。あの体験を考えるとビアンカの中では最有力容疑者であったが……

「彼女は恐らく違うだろう。少なくとも悪魔ではない」

 対面に座るアダムがかぶりを振った。恐らくと言いつつ断定的な口調であったのでビアンカは疑問を感じた。

「何故そう言い切れるの?」


「特に今まで伝える機会も無かったので誰も言っていなかったのだろうが……基本的に悪魔は、下級のものに至るまで全て『男性』だ。少なくとも男性の性質(・・・・・)を持っている。今までに女性型の悪魔というものは一度も確認されていない。これはローマ教皇庁からの情報なので間違いないはずだ。勿論アルマンもそれを認めている」


「……! 女性が、いない?」

 ビアンカはフィラデルフィアでの体験を思い出していた。確かにハンターもエメリッヒも、そしてヴィクターも男性であったし、ついでに言うならパーセルやその他の雑魚悪魔に入れ替わられていた警官達も皆男性であった、気がする。 

「勿論変身か何かの能力を持つ悪魔が女性に変身しているというケースはあるかも知れないが、その場合も本体は必ず男性のはずだ。これも教皇庁からの情報だが、どうも悪魔共が契約できるのは男性だけ(・・)であるらしい。ビブロスのような下級悪魔どもが入れ替わる(・・・・・)事が出来る相手も同様だ。逆に言えば、女性は例え本人がそう望んでも悪魔と契約は出来ないという事でもあるが」

「……!!」

 それは何気にかなり重要な情報ではないだろうか。アダムが知っているくらいなら勿論ダイアンもそれを知っているはずだ。彼女が大統領になれた経緯には女性である(・・・・・)という点も関係しているのかも知れない。

「大統領が積極的に女性議員の立候補を促しているのは、別にフェミニズム的な観点による女性優遇という訳ではない。女性という時点で、少なくとも悪魔ではないという保証が得られるからだ」

「…………」

 確かにダイアンは上院議員の頃から女性の政治家や判事、検察官などが立候補しやすくなるように優遇措置を設ける法案を度々議会に提出していたらしい。そして彼女が大統領になってからその傾向はより顕著になっていた。

 一部の男性議員からはあからさまな女性優遇だと非難の声が上がっていたが、裏にはカバールとの戦いが背景にあったのだ。

「無論女性でも悪魔に精神を支配されて操られているというケースはあるかも知れんが、今回のような異常な殺人事件の容疑者としては除外して問題ないだろう」

 となると自由党所属とはいえアディソン市長が犯人(・・)でない事はほぼ確定か。そうなると他には……


 ヘリー・ブロック下院議員。マルクス・レーラー州議会院内総務。そしてヴァンサン・コルベル州裁主席判事の3人となる。いずれも自由党所属だ。勿論他にも容疑者はいるかも知れないが、まずはこの3人から当たっていくしかないだろう。


「この人達ってボルチモア市警の捜査線上に挙がってるのかしら?」

 もし挙がっているのなら大統領府の委任状を盾に、警察から情報を仕入れる事ができるかもしれない。そう思ったがアダムはかぶりを振った。

「現時点では名前すら挙がっていないようだな。だが別にこれはボルチモア市警が無能だからという訳ではない」

「ええ、まあそうよね……」

 当然だがどんな異常な殺人事件であったとしてもカバールの存在を知らなければ、犯人が人外の存在(・・・・・)であるという発想は出てこない。犯人が人間であるという前提で捜査している以上、ボルチモア市警が例えどれ程優秀であったとしても真相に辿り着く事は不可能だ。

 この3人の容疑者も相手がカバールの悪魔だという前提があるからこそ挙がった者達だ。とりあえずこの街に基盤を置く、自由党所属の、そして極力高い社会的身分を持つ者、の全てに当てはまるのがこの3人だったのだ。こんな視点は警察ではそもそも出てこないだろう。


「じゃあ仕方ないわね。私達で直接調べてみましょう」

「ああ。それに君がこの街で動いている事を知れば、犯人の方から出向いてくるかも知れんしな」

 そう。まともに調査してもカバールの悪魔達は巧妙に姿を隠していて、中々尻尾を掴むことができない。少し調べて解る程度ならとっくにダイアン達が見つけ出して殲滅しているだろう。

 だから今まで戦線(・・)は膠着状態であったのだ。だがそこにビアンカの持つ『天使の心臓』という特上の餌(・・・・)が舞い込む事で状況が変化するかもしれない。それを期待されての今回の任務であった。

 ならばその役割を全うするまでだ。しかし彼女はただの餌や囮に甘んじるつもりはなかった。

(覚悟しておきなさい、悪魔達め。もう私は餌なんかじゃない。甘い蜜で誘き寄せた虫を狩る毒花なのよ)

 アルマンから授けられたグローブと靴を装着したビアンカは、内心で激しい闘志を燃やすのであった。

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