Episode21:二つの決着

文字数 5,085文字

(このままじゃイリヤは勝てない。どうしたら……)

 イリヤが負ければビアンカも殺される。勿論それだけでなくあの薄幸の少年の命も救いたい。

「…………」

 ビアンカは格納庫の天井を見上げた。そこには相変わらずグロテスクで巨大な『脳』がぶら下がって、イリヤと『ユリシーズ』の死闘を観戦していた。

 『ユリシーズ』が手強いなら、アレを作り出した本体(・・)を叩けば良いのでは? それは当然浮かび上がる疑問であった。デカラビアはイリヤたちの方に気を取られていて、ビアンカの存在はほぼ忘れ去っているようだ。カドモスが倒された事でビアンカの麻痺もほぼ解けていた。今なら動ける。

 だが……空中にぶら下がっているデカラビアに攻撃する手段が無い。グローブもシューズも着けたままであったが、これらは格闘専門であり遠距離攻撃が出来ない。デカラビアに僅かでもダメージを与えられればイリヤの援護になるはずなのだが、その手段が無い。

 だがこうしている間にもイリヤが『ユリシーズ』に追い詰められている。ビアンカが焦燥に駆られていると、彼女の首筋を撫でるものがあった。


「きゃっ! ……! 虹鱗!?」

 その小さな舌で彼女の首筋を舐めたもの……それはリキョウの仙獣であり隠密と偵察に特化した超小型のカメレオン、虹鱗であった。この仙獣が自分にずっと張り付いていた事をビアンカは今の今まで気づかなかった。

「虹鱗、どうしたの? 今は…………えっ!?」

 その瞬間彼女の頭の中に、何かの映像というかイメージのような物が流れ込んできた。それは言葉を持たない仙獣の意思(・・)であるようだった。それを理解したビアンカは血相を変える。

「こ、これは……駄目よ! そんな事できない!」

 ビアンカは拒否するが、虹鱗は再び自分の意思をイメージとして送ってきた。ビアンカはリキョウが言っていた、仙獣はリキョウ自身が健在な限り死ぬ事はなく、彼の『気』の力で再生できるという言葉を思い出した。

 躊躇っている時間も惜しい。こうしている間にもイリヤが追い詰められている。ビアンカは短い逡巡の末、決断した。

「……解ったわ、虹鱗。あなたの提案(・・)、使わせてもらうわ。本当にありがとう」

 ビアンカは立ち上がってデカラビアがぶら下がる中空を見上げた。そして虹鱗の勧めに従おうとするが……


「――何をする気? 邪魔はさせないわ」


「……っ!」

 背後から女性の声が聞こえて振り返る。いつの間にかマチルダが直ぐ側まで近づいていた。彼女もイリヤの超能力で拘束されていたはずだが、戦闘が激化してそれどころではなくなったので解除されていたようだ。

 その手には独特の形をしたナイフが握られていた。ビアンカとは逆にイリヤが勝てば殺されるのは彼女だ。ビアンカが何らかの援護をしようとしていると察して妨害する気のようだ。

「ふっ!!」

 マチルダは素早くナイフを斬り付けてくる。的確で無駄のない動き。間違いなくナイフ術の訓練を受けている。

「くっ……!」

 ビアンカは咄嗟に身を引いてナイフを躱す。マチルダは容赦なく追撃してくる。マチルダは当然超能力者でもないので、ファイアー島で戦ったナイフ男のようにテレポートで撹乱してくる事はない。それだけでも大分戦いやすく感じる。

 とはいえ普通の人間なのはビアンカも同じなので、ナイフを食らったらそれだけで致命傷になる可能性もある。彼女は逸る心を抑えて、極力冷静にマチルダのナイフの軌道を見切る事に集中する。

 マチルダのナイフは的確に急所を狙ってくる。普通なら致命傷となるナイフが怖くて尻込みしてしまいそうになるが、今のビアンカにはアルマンから貰ったチョーカーがある。多少の被弾なら強引に押し切ってしまう事も可能だ。恐怖心はない。

 ビアンカは大胆に前に出た。そして逆に自分からマチルダのナイフに当たりに行く。

「……!?」

 その行動は予想外だったマチルダが目を瞠る。肩口をざっくりナイフが抉る。派手に出血してビアンカが苦痛に顔を歪める。これもチョーカーがなければもっと深い傷になっていただろう。


 ビアンカは痛みを堪えて屈み込むようにマチルダの懐に潜り込むと、ナイフを持った腕を打ち据えて払い除けた。マチルダが僅かに体勢を崩す。

「ふっ!!」

 そこにビアンカが追撃。力を込めた掌底をマチルダに腹の辺りに打ち付けた。拳ではなく掌底なのは無論手加減のためだ。今の霊力グローブを嵌めた拳で本気で殴りつけたら、それだけで人間にとっては致命傷になり得る。

「ぐぶっ!」

 しかし掌底でも人間の、それも女性相手には十分な威力であった。身体を前のめりに折り曲げたマチルダは胃液を吐きながら大きく吹き飛んでそのまま地面に倒れ伏した。

 ビアンカは気を抜かずに睨み据えるが、マチルダは気絶したのか起き上がってくる気配はなかった。とりあえずは制圧出来たらしい。ビアンカはふぅっと息を吐いて、改めてイリヤ達の方の状況を確認する。


『ふぁはは! 我がイマジン・ドールの力を思い知ったか、小僧! 止めを刺せっ!』

「……!」

 ビアンカ達の小さな闘いには気づいてすらいないデカラビアの哄笑。『ユリシーズ』の強さは凄まじくイリヤに反撃の暇を与えずに追い詰めている。イリヤも『ユリシーズ』の猛攻を前に持ち堪えているだけでも彼の年齢や経験を考えたら驚異的であったが、それももう限界が近づいているようだ。

『う、ぐ……くそ! くそぉ! なんで、こんな奴に……!』

 防戦一方のイリヤは、バランスの取れた完成された強さで的確に自分を追い詰めてくる『ユリシーズ』に恐怖を感じ始めていた。このままでは全ての自信とせっかく取り戻した自尊心も粉々に打ち砕かれた上で無残に殺される事になる。最早一刻の猶予もない。

 ビアンカはデカラビアを見上げる。彼女の手の中に虹鱗が自分から移動してきた。ビアンカはこの小さな仙獣に心の中で礼と謝罪をした。そして虹鱗を握った腕を大きく振りかぶると……全力でデカラビアに向かって投げつけた(・・・・・)

 投げつけられた虹鱗はそのままデカラビアの巨体に張り付いた。直径3メートル以上ある巨大な脳の怪物は、小さなカメレオンが張り付いた所で気づきもしない。虹鱗はなるべくデカラビアの中心部に近い位置まで自分で移動すると、その身体が俄に発光し始めた。

『んん……? っ! 何だ、コイツは!?』

 その時点でようやくデカラビアが自らの身体(・・)に張り付いて発光している虹鱗の存在に気づいた。そして障壁を発動して弾き飛ばそうとするが、それよりも虹鱗の方が速かった。


 虹鱗の発光が最大限に強まり、そして……その小さな体が爆発(・・)した!


 自爆したのだ。これは偵察専門である虹鱗が持つ唯一の攻撃手段(・・・・)であった。虹鱗は自分からイメージを送ってビアンカにこの自爆攻撃を促したのであった。

(虹鱗……!)

 ビアンカは心に痛みを覚えながら、虹鱗の献身に深く感謝した。


『ウギっ!? ギヤァァァァァァァァァッ!!!』


 デカラビアが聞くに堪えない絶叫を漏らす。虹鱗の自爆は手榴弾が爆発した程度の威力があり、密着した距離で食らったデカラビアの『脳』に深い傷を穿ち、破裂した部分から黒い血液のような物が噴水のように大量に飛び散る。

 本体(・・)に強烈なダメージを負った影響は、迅速に、そして如実に現れた。


「……っ!! ……!?」

 『ユリシーズ』が明らかに激しい苦痛を感じているかのように苦しみ悶え出したのだ。イリヤを一方的に追い詰めていた攻撃も中断してしまう。

「な…………」

「イリヤ、今のうちよ!」

「……!」

 一瞬何が起きたのか解らず唖然としていたイリヤだが、ビアンカの声に彼女が何かしらの援護をしてくれたのだと理解したようだ。 

『こいつ……よくもやってくれたな!』

 イリヤは今までの鬱憤を晴らすかのように猛然と反撃を開始した。衝撃波を叩きつけると『ユリシーズ』それをまともに食らって吹き飛んだ。奴に先程までの精彩は全く無い。イリヤはそのまま『ユリシーズ』を念動力で宙に持ち上げる。

『死ねっ! 僕の前から消えろぉっ!』

 そしてカドモスにやったように、身体中の骨や関節を螺旋状に捻って粉砕する。少なくとも外見はユリシーズそのものな存在が無残に破壊される様にビアンカは、あれが本物のユリシーズではないと分かっていても無意識に眉をしかめた。

 原型を留めない程に破壊された『ユリシーズ』が、まるで溶けるようにしてドロドロの液状になって消えてしまう。


『オオォォォ……!!』

 だが本体のデカラビアはそれどころではなく、虹鱗の自爆攻撃のダメージで苦悶し狂乱していた。

『お前も死んじゃえ……!』

 イリヤは再び戦闘機の一台を念力で持ち上げると、デカラビアに向かって再度全力で投げつけた。もうそれを防いでくれる『ユリシーズ』はいないし、とても障壁を張る余裕もない。

 高速で投げつけられた20トンの金属の塊がジャストミートし、デカラビアはその原型を留めないほどに押しつぶされて一溜まりもなく圧死した。



『はぁ……! はぁ……!! ふぅ……! や、やった……』

「イリヤ……!!」

 デカラビアがその触手も含めて消滅していくのを見届けると、息を荒げてその場に座り込むイリヤ。ビアンカが急いで駆けつけると、少年を力いっぱい抱きしめた。

「……!!」

「イリヤ、ありがとう! あなたのお陰よ! 私達、助かったのよ! あなたならやってくれるって信じてたわ!」

 ビアンカは感極まって抱きしめるが、イリヤは丁度顔がビアンカの胸に埋まる形となり目を白黒させ、その面貌を耳まで真っ赤にして、しかし積極的に突き放す様子もなくされるがままになっていた。


「ふ、ふふ……まさかバーナード准将まで斃されるなんて。私の完敗のようね……」

「……!!」

 しかし苦しげながら自嘲気味の女の声が聞こえて、ビアンカ達は共に振り返った。そこには意識を取り戻したらしいマチルダが、しかしまだ立てないようで横座りの姿勢になってこちらを見ていた。

「お前……お前も僕とお姉ちゃんヲ虐めたな!?」

 イリヤはマチルダにも怒りと殺意を向ける。そして彼女に対して手を掲げた。マチルダに抵抗する手段も逃げる手段もなく、イリヤなら簡単に殺せる状況だ。マチルダも既に覚悟を決めている様子であった。

「ええ、そうね。さあ、殺しなさい」 

 マチルダは抵抗する様子も見せずに両手を広げる。それにイリヤは容赦なく超能力をぶつけようとして……


「イリヤ、駄目!」


「っ!?」

 ビアンカが彼を更に力強く抱きしめる事でそれを制止した。イリヤは目を大きく見開いて、反射的に力を止める。

「お姉ちゃん、何で止めルの? アイツは僕達を酷い目に遭わせよウとした奴なんだよ? 死んデ当然じゃないか!」

 イリヤが納得行かないという感じで詰問する。彼の気持ちは十分わかるし、ビアンカとてマチルダにはかなり酷い目に遭わされた。しかしそれでもここで彼女を殺す事は、悪魔たちを斃すのとは全く性質が違っていた。イリヤに『人殺し』をさせたくなかった。

「それでも駄目なのよ。あなたの力は無抵抗の人に使っていいものじゃないのよ。この世界にはさっき倒した奴らみたいな恐ろしい存在が沢山いて、普通の無力な人々に悪い事をしているの。あなたの力はそういう悪い奴をやっつける為のものなのよ。だからお願い……私の為だと思ってこの場は我慢して」

「……!」

 イリヤが身体を震わせる。マチルダに対しては同じように罠に掛けられて殺されかけたビアンカだからこそ説得力があった。やがてイリヤの身体から殺気と共に『力』が抜けていくのが解った。

「……解ったよ。お姉ちゃんガそう言うなら我慢する。僕のこの力はさっきみタいな怪物をやっつける為にあるんだよね?」

「……! ええ、そうよ! ありがとう、イリヤ!」

 想いが通じたビアンカが感極まって再びイリヤを抱きしめる。少年は再び顔に豊かな胸を押し付けられて、その弾力に顔を赤らめてされるがままになる。


「……私をここで殺さなかった事、必ず後悔する事になるわよ? あなたがその『怪物』をどこまで御しきれるか見ものね。安易な同情と正義感だけで背負い込むには重すぎるわよ?」

 マチルダが皮肉げに口を歪めて指摘するが、ビアンカは揺るがなかった。

「安易かどうか決めるのはあなたじゃないわ。私は今日の選択を後悔する事は決してない。それだけはこの場で誓ってもいいわ」

「……ふん、若いわね。まあお手並み拝見ね」

 ビアンカの揺るぎない様子を見て、マチルダは疲れたように溜息を吐いて力を抜いた。まだ立ち上がるには辛いようであった。
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