Episode5:『ニューオリンピア自治区』

文字数 4,631文字

 『ニューオリンピア自治区』はシアトル中心街からやや北寄りにある市街の一角を占拠して作られている。ランドマークである『スペースニードル』も望める立地だ。近付いていくにつれ、明らかに通りの雰囲気が変わってきた。

 それまでは綺麗で整然としていた通りが徐々にゴミが散乱して落書きが増え、ホームレスだかジャンキーだかよく解らない怪しげな人物の数が増えてきて、路上で寝ていたり奇妙な反復動作を繰り返している人間の数も多くなっていく。

「……見えてきましたよ。あそこが『自治区』の入り口のようですね」

「……!」

 リキョウが指差す先には、瓦礫や廃材などで作られた即席のバリケードがあった。そのバリケードの中央に出入り口と思しきスペースがあり、そこに警備兵よろしくガラの悪そうな黒人とアジア人達が屯している。全員鉄パイプやナイフなどの凶器をこれ見よがしに抱えている。

「なるほど。この光景だけでも良識のある市民の足を遠ざける効果はありそうだ。そういう意味では連中は立派に役目を果たしていると言えるな」

 アダムが皮肉気に鼻を鳴らす。ビアンカ達がゲートに近付くと、当然ながらそこに屯していた『門番』どもの注意を惹く。

「おい、お前ら。こっから先は白人は立ち入り禁止だ。その女は何だ」

「お前らもレイシスト共の仲間か?」

 門番たちが武器をちらつかせて威嚇してくる。やはりビアンカが見咎められた。この調子では『自治区』に入った後も彼女だけではかなり悪目立ちしてしまうだろう。リキョウの『恋人』を装うという提案は正しかった。

 門番は5、6人はいるが、当然ながら蹴散らして強引に入る事は容易い。だがそれをやると後々が面倒になる。


「へへへ、この女がなにかって? 野暮な事言わせんなよ。ヤク漬けにしてやっと手懐けた(・・・・)ってのに。ここはヤクが手に入り放題って聞いたんでな。俺達もちょっと楽しませてくれよ。な?」

 サディークが下品な笑いを浮かべてビアンカの肩に馴れ馴れしく手を回す。その姿があまりにも自然で違和感がなく、本当に王子なのかと疑ってしまう程だ。極端に密着されて撫でまわされ、ビアンカは顔が引き攣るのを全力で堪えねばならなかった。

 そして彼女は恐怖で震えているような演技をする。

「ほぉ、お前が落とした女なのか。だったら別にいいが、その2人は何者だ?」

 男達の視線がアダムとリキョウに向く。するとリキョウも人の悪そうな笑みを浮かべた。

「我々はダークウェブのとある有色人種サークルに所属していましてね。メンバーが落とした白人女を何人かで共有(・・)できるというシステムがあるのです。白人に恨みを持っているメンバーが殆どですから、玩具の共有(・・・・・)に抵抗はないんですよ」

 アダムは無言だがその迫力のある外見で睨みを利かせる。それぞれタイプは違うが悪党にしか見えない彼等の言動に、門番たちも納得したようだ。

「な、なるほど。そいつは凄いな。そういう事なら問題なしだ。白人共に支配されない理想郷『ニューオリンピア自治区』にようこそ!」

 門番たちが中に入るように促す。思いの外すんなり行った。だが彼等の白人に対する敵意を見る限り、ユリシーズやイリヤがいたらもっとややこしくなっていた可能性が高い。その意味ではレイナーの人選も正しかったという事なのだろう。

 またホームレスでも犯罪者でも受け入れているらしいので、いわゆるセキュリティチェックのようなものも当然なかった。彼等にとって重要なのは白人か非白人かのみであるようだ。



「……!」

 ゲートを潜るとそこはもう完全に別世界であった。まず一言で表わすなら『混沌(カオス)』。それがこの自治区を表現するに最も相応しい単語であろう。 

 元は綺麗な街並みだっただろう区画が丸ごと雑然としたスラムと化していた。通りには汚らしい格好の浮浪者がうろつき、辺りにはゴミや落書きが散乱し、路地の壁には麻薬中毒者と思しき者達が多数座り込んでいる。

 当然ながら通り沿いにある店舗などは軒並みシャッターが降りていて、そのシャッターも破られて略奪を受けている店舗も見受けられた。空気も全体的に淀んでいる感じがして、不快な臭いがそこら中に充満している。

 これが『ニューオリンピア自治区』。混沌と退廃が支配する偽りの楽園の真の姿のようだった。


「ひどい……。シアトルの中にこんな場所が出来ていたなんて……」

 ビアンカは顔をしかめた。元々チンピラやジャンキーが嫌いな彼女はこの場所に不快感しか感じなかった。しかもこの場所は急速に、強制的に作られたスラムだ。自然な状態ではない。この区画から追い出された人々の為にも、この歪な『自治区』は解体しなければならないだろう。

「シアトルは元々有色人種の割合が比較的少ない街だったはずですが、どうやら全米中から噂を聞きつけたならず者達が集まっているようですね。まあだからこそ我々も楽に潜入できた訳ですが」

「退廃と混沌に満ちてやがるな。確かにこりゃ悪魔(ジン)共からしたら大層居心地がいいに違いねぇ」

 リキョウの言葉に同意するように、あのサディークですら僅かに顔をしかめて鼻を鳴らした。

「さて、無事に潜入できたはいいが、どうやって裏に隠れている悪魔を炙り出すかだな」

 アダムは軍人らしく、余計な感想を抱かずに任務を最優先として呟く。この『自治区』を解体する為には、単に占拠している人間達を武力で制圧したり退去させるのでは駄目だ。大元の原因となっているカバールの影響力を取り除く必要がある。 

 だがこの『自治区』の内情は、マスコミなども殆ど立入禁止であった影響で謎に包まれている。何か取っ掛かりとなるような情報が必要であった。一行がどう情報収集を始めようか思案していると……


「よぉ……あんたら新入りかい? 右も左も分からないって感じだねぇ。ここには何しに来たんだい?」


「……!」

 フラフラとこちらに歩み寄ってくる男がいた。濃い褐色の肌をしたラテン系の若い男であった。かなり体格もいいように見える。しかしその目は視点が定まらずに泳いで、身体からは強烈なアルコール臭が漂っていた。その手に持った安酒の瓶を見るまでもなく泥酔している事は明らかであった。

 リキョウ達3人は素早く視線を交わし合うが、とりあえずこの酔っぱらいが脅威ではないと判断したらしい。代表してサディークが返事をする。ビアンカは表向きは3人の玩具(・・)という扱いであり、余計なトラブルを招かない為に、基本的に話しかけられない限り発言しない事になっていた。

「あー……そうそう。俺達、たった今ここに着いたばかりなんだよ。良かったらここの事について教えちゃくれねぇか? 誰が仕切ってるとか、誰に逆らわない方がいいとか、そういう憶えといた方がいいのあるんだろ?」

 サディークがそれっぽく尋ねると、ラテン男は特に疑う事もなく頷いた。尤もアルコールで鈍った頭ではそんな判断もしようは無かっただろうが。

「はは、そうだと思ったぜ。そういう事なら任しときな。これは流石に知ってるかもしれんが、この自治区の『代表』はルイーザ・フロイト。あの事件で一躍時の人になったキース・フロイトの娘さ。だがはっきり言えば彼女はお飾りってとこだな。実際にこの自治区の有力者(・・・)は3人だね」

 ラテン男は指を3本立てた。やはりルイーザ以外に彼女を祭り上げている連中がいるようだ。


「1人はダニー・フロイト。キースの弟でルイーザにとっては叔父に当たる。この自治区の治安維持(・・・・)を担当する『オリンピア自警団(・・・)』って集団の団長さ」

「治安維持か……。ここの様子を見る限り、随分有能でやる気に満ち溢れた男らしいな」

 アダムが皮肉げに鼻を鳴らした。恐らくゲートにいた門番共もその自警団とやらの一員であろう。

「ダニーの前では間違ってもそんな事は言うなよ? 自警団なんて名ばかりの荒くれ共を率いていて、やりたい放題さ。ダニーの機嫌を損ねたらあっという間に自警団に袋叩きにされて、身ぐるみ剥がされて自治区の外に放り出されるぜ。殺されなきゃ御の字って所だな」

 男はそう言いつつアダムの巨体を見上げた。

「アンタは随分ガタイがいいな。それが見かけ倒しでなけりゃ、ダニーに自警団にスカウトされるかも知れねぇぜ。ここじゃ自警団に入れりゃ勝ち組さ。ヤクも酒もいくらでも手に入る」

「ほぅ……」

 アダムは少し興味を持ったように眉を上げる。場合によってはその自警団の内部(・・)に潜入しやすくなるかも知れないと考えたようだ。


「もう1人はマーティン・J・リームス。自治区の西側にある教会を占拠している『フロイト教』の教祖(・・)さ」

「フロイト教だぁ?」

 サディークが眉根を寄せる。名前からしてキース・フロイトに関連していると分かる。まさか新興宗教まで出来ていようとは。ビアンカは半ば呆れた。

「その名の通り、悲劇の死(・・・・)を遂げたキース・フロイトを『聖人』として祭り上げた新興宗教さ。マーティンは年嵩の黒人だが、ここに来るまでの経歴は一切不明だ。だがありゃどうも今までにも似たような事を繰り返してきてやがるな。俺には分かるね。マーティンは真性の詐欺師だ。口も演出も上手くて、多数の信者(・・)を獲得して、今じゃダニーでさえ迂闊に手を出せない程の勢力になってやがる。自治区の西側は完全にマーティン率いる『フロイト教』のテリトリーだな」

「新興宗教ねぇ……。俺達(・・)からするとちょっと考えられねぇが、キリスト教は随分寛容なんだな」

 イスラム教はシーア派やスンナ派など学派の違いはあっても、基本的には皆同じイスラム教徒だ。宗教と政治が密接に結びついており完全な新興宗教などまず許容されないし、下手をすると弾圧や処断の対象にさえなるだろう。


「そして最後の1人が、主にアジア系の連中を取り仕切っている中国人(・・・)李志勇(リー・ジヨン)だな」

「中国人、ですか? 中国系アメリカ人ではなく?」

 目を細めたリキョウが確認すると、ラテン男は肩をすくめた。

「さてね。だが名前からすると中国人なんじゃないのかね? アンタも東洋人のようだが、知ってる奴だったりするのかい?」

「いいえ、全く存じ上げません。それで、その李氏が有力者である理由は?」

「李が強いのはこの自治区の物流(・・)を担ってるからさ。シアトルのチャイナタウンと顔が利くらしくて、チャイナタウン経由で自治区に様々な物資を輸入(・・)してるんだよ。言ってみりゃこの自治区の生命線を握ってるようなモンだ。他の2人みたいな大きな勢力は有してないが、その影響力が強いのは想像できるよな?」

「ふむ……」

 リキョウが顎に手を当てて眉を寄せる。裏で中国統一党が絡んでいる可能性が指摘されている。そして中国人がこの自治区の有力者に収まっている。となれば偶然とは考えられないだろう。


「いや、すげぇ参考になったぜ。謝礼でも払った方がいいのか?」

 思いの外詳しい内情が聞けた事でサディークがラテン男に礼を言う。確かにこんな酔っぱらいにしては随分しっかりした情報だった。だが男はヒラヒラと手を振った。

「いいって事よ。新入りはいつだって歓迎なんでね。ここの事を知らなくて余計な厄介事を背負い込まないように、ちっとお節介させてもらっただけさ。因みに俺の名前はペドロ・アルバレスってんだ。いつもはこの自治区唯一の酒場『ユニコーン』に入り浸ってる。また何か聞きたい事があったら、いつでも来いよ」

 ラテン男――ペドロはそれだけ言うと、こちらの名前や素性も聞く事無く、その酒場があると思しき方角に消えていった。
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