Episode20:聖戦士の正体
文字数 5,098文字
三つの首、全てを失ったモラクス。すると車椅子に座ったままだった胴体部分 が両手を上に掲げるような仕草を取った。
「……!」
ビアンカは目を剥いた。頭部を失った三つの首が再生 を始めたのだ。見る見る首の切断面が盛り上がっていく。本体さえ無事であればあの首は何度でも再生できるのだ。
これでは一つの首を失っても他の首を斃す前に都度再生されてしまい、三つ首全てを斃すのは極めて困難であったはずだ。恐ろしい悪魔である。
尤もそれは一対一の戦いであった場合だ。今は3人の超戦士がおり、三つ首をほぼ同時に斬り落としていた。こんな状況はモラクスとしても想定外であっただろう。
当然彼等が無防備極まる本体をそのまま黙って見ているはずがない。
「終わりだ、アル・カポネ!」
代表してユリシーズが進み出て、黒炎剣でモラクス――アルバート・フランシス・カポネの身体を一刀両断した。
首を失っており喋る事が出来ないアルバートは、その身に妄執と呪詛を抱えたままそれを吐き出す事も出来ずに、黒い炎に焼き尽くされて消滅していった。
ここにドラッグ『エンジェルハート』を使ってシカゴを混乱に陥れていた狂気の妄執に終止符が打たれ、シカゴは悪魔の呪縛から解放されたのであった。アーチボルト市長の依頼も無事に達成できた事になる。
「……終わったな」
サディークがそれを認めて曲刀を降ろした。ユリシーズとイリヤも戦闘態勢を解いた。
「ビアンカ、怪我はないか!?」
そしてすぐにユリシーズがビアンカの元に駆け寄ってきた。彼としばらく会っていなかったビアンカはその事に内心で嬉しさを感じてしまっていた。
「え、ええ、私なら大丈夫よ。ありがとう」
彼女が少し顔を赤らめて答えるとユリシーズは安心したように息を吐いたが、すぐに皮肉気に口の端を吊り上げた。
「はっ! 何だ、随分素直じゃないか。しばらく離れてたお陰か? いつもそれくらい素直なら仕事もやりやすいんだがな」
「……! はぁ、何ですって!? 私はいつだって素直でしょ! あなたこそそうやってひねくれてばかりいて素直じゃないわね!」
瞬間的に目を吊り上げて憎まれ口を返してしまうビアンカ。いつもならそのまま売り言葉に買い言葉の言い合いが始まる所だが、今は他にも人がいた。
「あ、あの、お姉ちゃん……。ご、ごめんナさい! ぼ、僕……」
イリヤが真っ青な顔色で必死に謝罪してくる。ビアンカの警護役を任されていながらその務めを全うできなかったのだ。彼の瞳には見捨てられてしまう恐怖が浮かんでいた。彼の内心がすぐに察せられたビアンカは、イリヤを安心させるように微笑んだ。
「いいのよ、イリヤ。あの状況は仕方なかったわ。あなたは精一杯やってくれたわ。それは私が一番よく解ってる」
「お、お姉ちゃん……」
「それにあなたはそれを反省して、自分の力に変える事が出来たじゃない。どんな人間だって必ず失敗する。問題はその失敗を糧に成長できるかよ。そしてあなたはそれを為し得た」
「……!」
イリヤが身体を震わせる。それは恐怖や不安によるものではなく、感動と高揚によるもののようだ。
「ま、安心しろよ、イリヤ。いつも同じ失敗を繰り返して敵に捕まってる女がいるんだから、お前はそれに比べたら遥かに上等だよ」
「……っ! あなたね……」
余計な茶々を入れるユリシーズに、ビアンカが再び柳眉を逆立てて食って掛かろうとするが……
「く、ははは! なるほどな。何となく普段のお前らの姿が見えてきたぜ」
サディークがビアンカ達のやり取りを見て面白そうに笑う。ビアンカは彼の存在を思い出して向き直った。正直今回の任務におけるキーパーソンはこのサディークだったと言える。彼の協力 が無ければ恐らくここまでスムーズに黒幕の元まで辿り着けなかったし、モラクスとの戦闘自体も遥かに苦戦していただろう。
「その……あなたもありがとう。正直今回は助かったわ。また会う機会があるかは解らないけど、このお礼は必ず――」
「――また会う機会ならあるさ。俺はアンタが気に入ったんでね。アンタの側にいれば色んな意味で退屈し無さそうだしな。アンタはあの悪魔どもと戦ってるんだろ? 俺もその戦いに協力してやるよ」
「え……?」
ビアンカは目を瞬かせた。まさかそう来るとは思わなかった。確かに戦闘狂じみた所のあるサディークとしたら、常に悪魔と戦えるとなればビアンカの側にいようと考えても不思議はないのかも知れない。それに正直ユリシーズにも匹敵する彼の強さは、ビアンカの戦いにおいて非常に有用な戦力となるだろう事も想像に難くなかった。だが……
「ふざけるな。こいつは非常にデリケートな立場なんだよ。どこの馬の骨とも知れん奴を側に寄らせる訳がないだろう。お前と会うのはこれきりだ」
ユリシーズが不機嫌な表情で間に立ち塞がってサディークを牽制する。そう、その問題がある。ビアンカは現アメリカ大統領の隠し子 であり、普段はホワイトハウスの奥に厳重に秘匿されている立場だ。
まずダイアンを始め大統領府が、サディークのような身元も不確かな傭兵を側に置く事を許可しないだろう。例えどれだけ戦力になるとしてもだ。イリヤは極めて特殊なケースである。
それは事実であったが、ユリシーズがサディークを警戒しているのはそれだけが理由では無さそうだが……
「くはは、まあ言われてみりゃ確かにその通りだな。だがそれは裏を返せば、その身分とやらが保証されてれば問題ないって事でもあるよな?」
「え? ええ、それはまあ、そうだけど……」
だが大統領府にそれを納得させるとしたら、よほど確かな身分でなければ不可能だろう。サディークにもそれは解っているはずだが……
「ははっ! 今日の所はこのまま帰るぜ。だが近い内に盛大なサプライズ をお見舞いしてやるよ。楽しみにしておきな」
「あ……!」
サディークは上機嫌に笑うと、素早くこの場を後にしていった。ビアンカがその言葉の意味を聞く間もなかった。
「……ちっ、最後まで何を考えてるか解らん、いけ好かない奴だったな。まあ強さだけは認めてやってもいいが、あんな奴をお前の側に近付けるなど冗談じゃない」
ユリシーズが相変わらず不機嫌そうな表情のままで唸る。
「あいつ、嫌いだ。お姉ちゃんを見る目がちょっと熱っぽかっタし……」
イリヤも珍しくユリシーズに同意するように頷いていた。彼は一度サディークに手酷く敗退しているのだが、どうもそれだけが理由ではなさそうだ。
「彼が私の事を……? まさか! ただ悪魔を呼び寄せる誘蛾灯として期待してただけでしょ。戦闘狂みたいだし」
ビアンカはユリシーズ達が何故不機嫌なのか理由は察したものの、全く見当外れの杞憂だと一笑に付した。するとユリシーズとイリヤが揃って微妙な表情になって顔を見合わせた。
「なあ? 俺の心労 がちょっとは解っただろ?」
「……うん、確かにね」
「な、何よ、2人とも?」
謎の理解を共有する2人にビアンカは口を尖らせる。
「ああ、まあ、こっちの話だ。それよりここでの用は済んだ。後はアーチボルト市長にこの事を報告したら俺達の仕事は終わりだ。この場所も含めて後処理は全てあの市長に任せるさ。さっさと行くとしようぜ」
ユリシーズがそう言って手を叩く。確かにこんな場所からは一刻も早くおさらばしたい。ビアンカは頷いた。
「そうね。私も正直疲れたし、早く帰って休みたいわ。何か毎回同じ事言ってる気がするけど」
それだけ毎回激しい戦いを経ているという事でもある。ビアンカ達3人もこの狂気の妄執と呪詛に彩られたウィリス・タワーの地下フロアを後にするのだった……
「……行ったようね」
ユリシーズ達が去った後の無人となった地下フロアに新たな来訪者が姿を現した。それはCIAのエージェントであるマチルダ・フロックハートであった。
ウィリス・タワーまではユリシーズ達と一緒であった彼女だが、ビアンカを助けに行こうとする彼等に対して自発的に別れ を切り出したのだ。この先自分が一緒にいても役に立たないからという理由を述べると、ユリシーズは微妙な顔をしたが反対はされなかった。
彼はビアンカに自分との昔の関係が露見するのを厭うている。それを本能的に察していたマチルダは、ここで別れると切り出した事を彼がこれ幸いと思っているのが手に取るように解った。
このまま付いて行ってビアンカに対して全てをぶち撒けたい『女の衝動』に駆られるが、今それをするのは得策ではないという判断を優先した。それにこの件はユリシーズの『弱み』として何かに利用できるという打算もあった。
そして今、無事にビアンカを救出し黒幕であるアルバート・カポネを打倒したユリシーズ達が立ち去ったのを確認して、密かにこの地下フロアに侵入したマチルダ。彼女には……正確には彼女をこの街に派遣したピアース長官には『とある目的』があった。
マチルダはそのままアルバートの居住施設であった地下5階に潜入する。そこは居住だけでなく研究施設 も兼ねていたようだ。長官の予想通りである。マチルダはほくそ笑んだ。
「……! あったわ。これね」
しばらくその『研究室』を物色していたマチルダは、その中からとある資料を見つけた。それは……ドラッグ『エンジェルハート』の製法 が記された資料であった。
『獣人』……つまり普通の人間を遥かに超える能力を持った兵士 を手軽に作れる悪魔の薬。これをただギャングを潰すという矮小な目的だけの為に使うのは馬鹿げている。自分達のような組織や国家権力が所持してこそ正しい使い方 が出来るというもの。それがピアース長官の考えであった。
マチルダは最初から『エンジェルハート』の出所を突き止めて、その製法を入手する為に送り込まれていたのであった。勿論ユリシーズには伝えていない。
これでアラスカでの失態を取り戻す事が出来た。この任務に自分から志願した甲斐があったというものだ。マチルダはホッと一息ついた。
「……悪く思わないでね、ユリシーズ。私達は本来敵同士なのよ。あなたはあの小娘と遊んでいるといいわ」
若干後ろめたそうに言い訳したマチルダは『エンジェルハート』の製法資料を懐に収めると、そのまま振り返る事無くアルバート・カポネの墓標となった地下室を後にしていった。
*****
シカゴでの任務を終えたビアンカは、ユリシーズやイリヤと共に少しだけ平和 になったシカゴで『クラウドゲート』などを始めとした観光を楽しみつつ帰路についた。
それから2週間ほど経ったある日の事……ビアンカは珍しく、母親であるダイアン・ウォーカー大統領から呼び出しを受けた。何でも彼女に会いたいという客 が来ているのだそうだ。
(客……? それも私に会いたいって? 一体誰かしら?)
ビアンカには全く心当たりが無かった。ダイアンから直接呼出しがあるくらいなので、恐らく相応の要人なのだと思われる。そうなると増々心当たりがない。既に面識がある許正威なら最初からそう言うはずだ。まさか実父 であるマクシミリアン4世が来たという訳でもあるまい。
だが……レイナーに案内されて応接間に入ったビアンカは、ある意味で実父が来ていたのに近いような驚きを持ってその『客』の姿を見つめた。
「よう、ビアンカ! シカゴで別れて以来だな!」
「え……あ、あなた……サディーク !?」
ホワイトハウスの応接間で大統領であるダイアンと向き合って座りながら何かを話していたその『客』……アラビアの聖戦士サディークは、部屋に入ってきたビアンカの姿を認めると気軽な様子で片手を上げて挨拶してきた。
何故彼がここ……ホワイトハウスに普通にいて、しかも合衆国大統領である母親と差し向かいで会話しているのか。訳が分からないビアンカは目を丸くして唖然としてしまう。
「はは! 言っただろ? 盛大なサプライズをお見舞いしてやるってよ!」
「あ、あなたは一体……?」
ビアンカの問いには母親のダイアンが答えた。
「ビアンカ、あなた達のシカゴでの報告書は読んだわ。彼の『表』の素性は……サウジアラビア のムハンマド国王の第六王子 、サディーク・ビン・アブドゥルジャリール・アール=サウード殿下よ」
「な…………」
最初は聞き間違いかと思ったが、あくまで真面目なダイアンの様子にビアンカは絶句してしまう。
「ま、そういう事だ。氏素性が確かなら問題ないんだよな? という訳で一つ、これから宜しく頼むぜ、ビアンカ?」
サディークはそんな彼女の様子を楽しそうに眺めながら、とても王子とは思えないような口調で軽く手を挙げるのであった……
「……!」
ビアンカは目を剥いた。頭部を失った三つの首が
これでは一つの首を失っても他の首を斃す前に都度再生されてしまい、三つ首全てを斃すのは極めて困難であったはずだ。恐ろしい悪魔である。
尤もそれは一対一の戦いであった場合だ。今は3人の超戦士がおり、三つ首をほぼ同時に斬り落としていた。こんな状況はモラクスとしても想定外であっただろう。
当然彼等が無防備極まる本体をそのまま黙って見ているはずがない。
「終わりだ、アル・カポネ!」
代表してユリシーズが進み出て、黒炎剣でモラクス――アルバート・フランシス・カポネの身体を一刀両断した。
首を失っており喋る事が出来ないアルバートは、その身に妄執と呪詛を抱えたままそれを吐き出す事も出来ずに、黒い炎に焼き尽くされて消滅していった。
ここにドラッグ『エンジェルハート』を使ってシカゴを混乱に陥れていた狂気の妄執に終止符が打たれ、シカゴは悪魔の呪縛から解放されたのであった。アーチボルト市長の依頼も無事に達成できた事になる。
「……終わったな」
サディークがそれを認めて曲刀を降ろした。ユリシーズとイリヤも戦闘態勢を解いた。
「ビアンカ、怪我はないか!?」
そしてすぐにユリシーズがビアンカの元に駆け寄ってきた。彼としばらく会っていなかったビアンカはその事に内心で嬉しさを感じてしまっていた。
「え、ええ、私なら大丈夫よ。ありがとう」
彼女が少し顔を赤らめて答えるとユリシーズは安心したように息を吐いたが、すぐに皮肉気に口の端を吊り上げた。
「はっ! 何だ、随分素直じゃないか。しばらく離れてたお陰か? いつもそれくらい素直なら仕事もやりやすいんだがな」
「……! はぁ、何ですって!? 私はいつだって素直でしょ! あなたこそそうやってひねくれてばかりいて素直じゃないわね!」
瞬間的に目を吊り上げて憎まれ口を返してしまうビアンカ。いつもならそのまま売り言葉に買い言葉の言い合いが始まる所だが、今は他にも人がいた。
「あ、あの、お姉ちゃん……。ご、ごめんナさい! ぼ、僕……」
イリヤが真っ青な顔色で必死に謝罪してくる。ビアンカの警護役を任されていながらその務めを全うできなかったのだ。彼の瞳には見捨てられてしまう恐怖が浮かんでいた。彼の内心がすぐに察せられたビアンカは、イリヤを安心させるように微笑んだ。
「いいのよ、イリヤ。あの状況は仕方なかったわ。あなたは精一杯やってくれたわ。それは私が一番よく解ってる」
「お、お姉ちゃん……」
「それにあなたはそれを反省して、自分の力に変える事が出来たじゃない。どんな人間だって必ず失敗する。問題はその失敗を糧に成長できるかよ。そしてあなたはそれを為し得た」
「……!」
イリヤが身体を震わせる。それは恐怖や不安によるものではなく、感動と高揚によるもののようだ。
「ま、安心しろよ、イリヤ。いつも同じ失敗を繰り返して敵に捕まってる女がいるんだから、お前はそれに比べたら遥かに上等だよ」
「……っ! あなたね……」
余計な茶々を入れるユリシーズに、ビアンカが再び柳眉を逆立てて食って掛かろうとするが……
「く、ははは! なるほどな。何となく普段のお前らの姿が見えてきたぜ」
サディークがビアンカ達のやり取りを見て面白そうに笑う。ビアンカは彼の存在を思い出して向き直った。正直今回の任務におけるキーパーソンはこのサディークだったと言える。彼の
「その……あなたもありがとう。正直今回は助かったわ。また会う機会があるかは解らないけど、このお礼は必ず――」
「――また会う機会ならあるさ。俺はアンタが気に入ったんでね。アンタの側にいれば色んな意味で退屈し無さそうだしな。アンタはあの悪魔どもと戦ってるんだろ? 俺もその戦いに協力してやるよ」
「え……?」
ビアンカは目を瞬かせた。まさかそう来るとは思わなかった。確かに戦闘狂じみた所のあるサディークとしたら、常に悪魔と戦えるとなればビアンカの側にいようと考えても不思議はないのかも知れない。それに正直ユリシーズにも匹敵する彼の強さは、ビアンカの戦いにおいて非常に有用な戦力となるだろう事も想像に難くなかった。だが……
「ふざけるな。こいつは非常にデリケートな立場なんだよ。どこの馬の骨とも知れん奴を側に寄らせる訳がないだろう。お前と会うのはこれきりだ」
ユリシーズが不機嫌な表情で間に立ち塞がってサディークを牽制する。そう、その問題がある。ビアンカは現アメリカ大統領の
まずダイアンを始め大統領府が、サディークのような身元も不確かな傭兵を側に置く事を許可しないだろう。例えどれだけ戦力になるとしてもだ。イリヤは極めて特殊なケースである。
それは事実であったが、ユリシーズがサディークを警戒しているのはそれだけが理由では無さそうだが……
「くはは、まあ言われてみりゃ確かにその通りだな。だがそれは裏を返せば、その身分とやらが保証されてれば問題ないって事でもあるよな?」
「え? ええ、それはまあ、そうだけど……」
だが大統領府にそれを納得させるとしたら、よほど確かな身分でなければ不可能だろう。サディークにもそれは解っているはずだが……
「ははっ! 今日の所はこのまま帰るぜ。だが近い内に盛大な
「あ……!」
サディークは上機嫌に笑うと、素早くこの場を後にしていった。ビアンカがその言葉の意味を聞く間もなかった。
「……ちっ、最後まで何を考えてるか解らん、いけ好かない奴だったな。まあ強さだけは認めてやってもいいが、あんな奴をお前の側に近付けるなど冗談じゃない」
ユリシーズが相変わらず不機嫌そうな表情のままで唸る。
「あいつ、嫌いだ。お姉ちゃんを見る目がちょっと熱っぽかっタし……」
イリヤも珍しくユリシーズに同意するように頷いていた。彼は一度サディークに手酷く敗退しているのだが、どうもそれだけが理由ではなさそうだ。
「彼が私の事を……? まさか! ただ悪魔を呼び寄せる誘蛾灯として期待してただけでしょ。戦闘狂みたいだし」
ビアンカはユリシーズ達が何故不機嫌なのか理由は察したものの、全く見当外れの杞憂だと一笑に付した。するとユリシーズとイリヤが揃って微妙な表情になって顔を見合わせた。
「なあ? 俺の
「……うん、確かにね」
「な、何よ、2人とも?」
謎の理解を共有する2人にビアンカは口を尖らせる。
「ああ、まあ、こっちの話だ。それよりここでの用は済んだ。後はアーチボルト市長にこの事を報告したら俺達の仕事は終わりだ。この場所も含めて後処理は全てあの市長に任せるさ。さっさと行くとしようぜ」
ユリシーズがそう言って手を叩く。確かにこんな場所からは一刻も早くおさらばしたい。ビアンカは頷いた。
「そうね。私も正直疲れたし、早く帰って休みたいわ。何か毎回同じ事言ってる気がするけど」
それだけ毎回激しい戦いを経ているという事でもある。ビアンカ達3人もこの狂気の妄執と呪詛に彩られたウィリス・タワーの地下フロアを後にするのだった……
「……行ったようね」
ユリシーズ達が去った後の無人となった地下フロアに新たな来訪者が姿を現した。それはCIAのエージェントであるマチルダ・フロックハートであった。
ウィリス・タワーまではユリシーズ達と一緒であった彼女だが、ビアンカを助けに行こうとする彼等に対して自発的に
彼はビアンカに自分との昔の関係が露見するのを厭うている。それを本能的に察していたマチルダは、ここで別れると切り出した事を彼がこれ幸いと思っているのが手に取るように解った。
このまま付いて行ってビアンカに対して全てをぶち撒けたい『女の衝動』に駆られるが、今それをするのは得策ではないという判断を優先した。それにこの件はユリシーズの『弱み』として何かに利用できるという打算もあった。
そして今、無事にビアンカを救出し黒幕であるアルバート・カポネを打倒したユリシーズ達が立ち去ったのを確認して、密かにこの地下フロアに侵入したマチルダ。彼女には……正確には彼女をこの街に派遣したピアース長官には『とある目的』があった。
マチルダはそのままアルバートの居住施設であった地下5階に潜入する。そこは居住だけでなく
「……! あったわ。これね」
しばらくその『研究室』を物色していたマチルダは、その中からとある資料を見つけた。それは……ドラッグ『エンジェルハート』の
『獣人』……つまり普通の人間を遥かに超える能力を持った
マチルダは最初から『エンジェルハート』の出所を突き止めて、その製法を入手する為に送り込まれていたのであった。勿論ユリシーズには伝えていない。
これでアラスカでの失態を取り戻す事が出来た。この任務に自分から志願した甲斐があったというものだ。マチルダはホッと一息ついた。
「……悪く思わないでね、ユリシーズ。私達は本来敵同士なのよ。あなたはあの小娘と遊んでいるといいわ」
若干後ろめたそうに言い訳したマチルダは『エンジェルハート』の製法資料を懐に収めると、そのまま振り返る事無くアルバート・カポネの墓標となった地下室を後にしていった。
*****
シカゴでの任務を終えたビアンカは、ユリシーズやイリヤと共に少しだけ
それから2週間ほど経ったある日の事……ビアンカは珍しく、母親であるダイアン・ウォーカー大統領から呼び出しを受けた。何でも彼女に会いたいという
(客……? それも私に会いたいって? 一体誰かしら?)
ビアンカには全く心当たりが無かった。ダイアンから直接呼出しがあるくらいなので、恐らく相応の要人なのだと思われる。そうなると増々心当たりがない。既に面識がある許正威なら最初からそう言うはずだ。まさか
だが……レイナーに案内されて応接間に入ったビアンカは、ある意味で実父が来ていたのに近いような驚きを持ってその『客』の姿を見つめた。
「よう、ビアンカ! シカゴで別れて以来だな!」
「え……あ、あなた……
ホワイトハウスの応接間で大統領であるダイアンと向き合って座りながら何かを話していたその『客』……アラビアの聖戦士サディークは、部屋に入ってきたビアンカの姿を認めると気軽な様子で片手を上げて挨拶してきた。
何故彼がここ……ホワイトハウスに普通にいて、しかも合衆国大統領である母親と差し向かいで会話しているのか。訳が分からないビアンカは目を丸くして唖然としてしまう。
「はは! 言っただろ? 盛大なサプライズをお見舞いしてやるってよ!」
「あ、あなたは一体……?」
ビアンカの問いには母親のダイアンが答えた。
「ビアンカ、あなた達のシカゴでの報告書は読んだわ。彼の『表』の素性は……
「な…………」
最初は聞き間違いかと思ったが、あくまで真面目なダイアンの様子にビアンカは絶句してしまう。
「ま、そういう事だ。氏素性が確かなら問題ないんだよな? という訳で一つ、これから宜しく頼むぜ、ビアンカ?」
サディークはそんな彼女の様子を楽しそうに眺めながら、とても王子とは思えないような口調で軽く手を挙げるのであった……