Episode2:北の大地へ

文字数 5,441文字

「え……イタリアに?」

 アメリカ、ワシントンDC.ホワイトハウスの地下にある核シェルター居住区、通称『RH』。ここの住人(・・)となって久しいビアンカは、彼女のSPであり腐れ縁でもあるユリシーズの訪問を受けていた。その横には議会図書館の館長であるアルマンもいた。

 そしてユリシーズから告げられた内容に目を丸くした。彼は複雑な表情で頬を掻く。

「ああ、まあ……正確にはその中にあるヴァチカン市国(・・・・・・・)に用事があってな。しばらくここを留守にしなきゃならん」

「……!」

 ヴァチカン……それはローマ教皇(・・・・・)がいる小さな市国だ。彼が敢えてヴァチカンに行くとしたら用件は限られてくる。彼女の内心を読んだようにアルマンが首肯する。

「そう。師匠……つまり君のお父さん(・・・・)にどうしても直接相談しなきゃならない事があってね。その関係で僕も彼に同行してしばらく職場を空ける事になってしまうけどね」

 アルマンが不在の間は議会図書館の責任者は副館長が代行するとの事だった。


「でも、相談したい事って何なの? わざわざヴァチカンまで直接行かなきゃならない事なの? 私の仕事だってあるのに……」

 彼女は無意識の内に若干口を尖らせて拗ねるような調子になっていた。彼女の仕事はいつ入るか解らず、ユリシーズの役目はそんな彼女を警護する事のはずだ。つまりその役目よりも優先するものがあってヴァチカンまで行くという事になる。

 何となくユリシーズが、会った事も無い実父に取られた(・・・・)ような気がして面白くなかった。だが……


「……アトランタでアイツ(・・・)がまた表に出そうになった」


「……っ!」

 ビアンカは目を瞠った。彼が言うアイツとは1人しかいない。あの『黒騎士』の事だ。

「フィラデルフィアではお前が封じ込めてくれたが、どうも完全ではなかったらしい。まあそれも仕方ない事だが。だが一度は封印が解けた事で箍が緩んでやがるみたいだ」

「……!」

「君は退魔師として正式な訓練を積んでいるわけじゃないからね。ましてやフィラデルフィアの時は完全に素人だったんだ。再封印が不完全なものだったとしてもそれは仕方がないんだ。むしろ応急処置(・・・・)とはいえ、あの存在を再び封じ込めてくれた君には感謝しかない」

 アルマンが引き継いでフォローしてくれる。いずれにせよあの『黒騎士』が絡んでいるとなると、確かに何をさておいても最優先しなければならないかも知れない。かつてあの存在に直接相対した事のあるビアンカはそう納得できた。


「そんな訳で師匠に再び正式な封印を施してもらう必要があってね。尤もユリシーズ君が絶命する程の甚大なダメージを負ったら師匠の封印でも解けてしまうと判明した訳だから、今後は充分注意するようにね?」

「ち……解ってるよ。もう二度とあんなヘマはしねぇ」

 ユリシーズは渋面を作りながらも素直に頷いた。

「ダンテ……おっと、今はマクシミリアン4世様だったな。あいつにまた借りを作るのも癪だが背に腹は代えられねぇ。そういう訳でしばらく留守にするが、アダムの奴も復帰したし少しの間なら問題ないはずだ」

「……必ず戻ってくるわよね?」

 ビアンカが真剣な目で問うと、彼も表情を改めた。

「ああ、ちょっと手術(・・)を受けてくるだけだ。必ず戻ってくる。約束だ」

「そう……ならいいわ。ちゃんと治してきて。待ってるから」

 こうしてしばらくの間、ユリシーズがビアンカの元を離れる事となった。そして……折悪く次の任務(・・・・)は、そんな彼の不在時に回ってきた。


 
*****



 RHのブリーフィングルーム。いつものように大統領補佐官のビル・レイナーを迎えて、彼と向き合うように座るビアンカ。 彼女の後ろには長い『休眠モード』から復帰したアダムが控えている。 ボルチモアの任務を受けた時と同じ構図だ。

 驚いた事にボルチモアでの戦いで失ったはずのアダムの右腕は、完全に再生して元通りになっていた。肉体部分だけでなく内部の機械部分まで再生しているというのだから驚きだ。一体どんなテクノロジーなのか。 

 それはともかく、今は目の前の任務だ。ビアンカはレイナーの言葉に集中する。


「まずはアトランタでの任務、ご苦労だった。何と言っても中国の企みを未然に防げた功績は大きい。これで奴等もそうそう舐めた真似はして来れなくなっただろう。それに加えて1体は取り逃がしたとはいえ、カバールの構成員を2人も排除できたのも朗報だ。今の所は非常に順調なペースでカバールとの戦いを優位に進められている。お前を派遣したのは正解だったようだ」

 陰気な彼にしては珍しい手放しの賛辞であり、ビアンカは若干照れてしまう。

「そ、そんなにおだてても何も出ないわよ?」


「おだてているつもりはない。あくまで事実だ。そんなお前だからこそ……アラスカ(・・・・)でも期待以上の成果を上げてくれそうで楽しみだ」


「え……?」

 何か聞き慣れない単語を聞いた気がしたビアンカが目を瞬かせる。レイナーは皮肉気に口の端を吊り上げる。それを見てビアンカは悟った。彼が柄にもなく彼女を持ち上げていたのは、ただの前振り(・・・)だったのだと。

「ア、アラスカ……って、あのアラスカ?」

「そのアラスカだ。今回はかなり遠出になるな」

「……!」


 アラスカ州。それはアメリカ本土とはカナダを挟んで飛び地になっている、アメリカ50州の中で最大の面積を誇る州だ。だがその人口は少なく、人口密度はアメリカ50州の中では逆に最下位であった。

 本土から遠く離れた飛び地である事や、本土より遥かに高い緯度にあり環境が異なる事、そしてロシア(旧ソ連)から割譲された地である事。様々な要因から、アメリカであってアメリカではないような扱いを受ける事もある特殊な州であった。

「何、飛行機に乗っている時間が少々長いだけで、着いてしまえば同じだ。気候は確かに本土に比べれば寒いが、幸い今の季節は夏だ。そこまで過ごしにくいという事もなかろう」

 レイナーは事も無げに言うが、生まれてこの方アメリカを離れて国外旅行をした事も無い身としては、そんなに遠くへ行くのは初めてであり少々不安であった。理屈では確かにレイナーの言う通り飛行機の時間が長いだけで、着いてしまえば同じではあるはずなのだが。

 まあ慣れの問題もあると思うので、何度も遠出していればそのうち慣れるのかも知れないが。


「……次の任地はアラスカなのだな? なら早く任務の詳細を教えてくれ。アラスカで何か起きたのか?」

 そんな彼女に代わってアダムが話を進める。軍人らしい無駄を省いた聞き方だ。レイナーの方もビアンカをからかうのをやめて居住まいを正す。

「そうだな、本題に入ろう。アラスカが天然資源の宝庫だというのは知っているな? そこで採掘される石油や天然ガスはアメリカ国内のエネルギー需要を満たすだけでなく、諸外国への大きな輸出資源としてアメリカの財政にも寄与している」

 それはビアンカにも想像が付いた。何といっても非常に広い領土を持つアラスカだ。そしてその中で人が住んでいて開発されている地域はほんの数パーセントに過ぎないという。手つかずの資源も豊富に眠っている事だろう。

 単に人口の少ない飛び地の過疎州と思われがちだが、実際には今レイナーが言ったような理由でアメリカにとっても重要な州であった。


「そのアラスカで今、新たな法案が作られようとしている。それらの天然資源の採掘権の入札に外国企業(・・・・)の参入を認めるという法案だ」


「何だと……? 馬鹿な、あり得ん」

 アダムが眉をしかめる。基本的にエネルギー関連など重要性の高い事業は、余程自国が貧しく自前の採掘技術などを持たない後進国でない限りは、自国の企業に任せるのが普通だ。エネルギーを他国に握られたら死活問題だ。外国の企業に自国のエネルギー採掘権を渡す事など通常はあり得ない。

「だがそのあり得ない事が起きようとしているのだ。しかも……入札にはロシア(・・・)企業への優遇措置が取られていて、明らかにロシア企業が落札しやすい形になっている。異常な事態だと思わんか?」

「え、えーと……でも、アラスカって確か州知事が国民党で州議会も国民党が多数派、なのよね? なのにそんな法案が可決されるものなの?」

 暇を見つけてはアルマンの所に通い詰めて、この国の歴史や政治の仕組みを勉強しているビアンカは、辛うじて絞り出した知識で疑問を呈する。保守である国民党がそのような法案を可決するとは思えなかった。

「ほぅ? 少しは勉強しているようだな。異常な事態というのはそういう事だ。今アラスカで本来ありえない事が起きている。そしてあり得ない事象の裏には奴等(・・)が絡んでいる可能性が高いという訳だ」

「……! カバール……」

 確かにあの悪魔たちなら何でもありだ。知事や州議員達を脅すなり操るなりしている可能性は充分考えられる。

「そう、それにロシアにだけ優遇措置を取っているというのが気になる。アラスカの歴史上地理上の問題からロシアの介入も考えられる」

「ロシア、か……」

 アダムが短く呟いた。

「アダム? ロシアがどうかしたの?」

「ん? ああ、いや、済まない。特別何かある訳ではないが、やはり我々アメリカの軍人からするとロシアは米ソ冷戦時代からの宿敵のようなものだからな」

 一般のアメリカ人の中にも何となくそういう意識はあるだろう。彼等にとってはアメリカの宿敵は中国ではなく未だにロシアだったりする。それくらい冷戦時代の印象は根深いものであった。ましてや軍人となると余計にそうした意識は強いのかも知れない。


「そういう訳でお前達にはこれからアラスカに飛んで、そこで何が起きているかを調査してもらいたい。『エンジェルハート』に釣られて悪魔が現れるようならそれを討伐し、この法案の可決自体を阻止するのだ。勿論ロシアが絡んでいるのであれば、その証拠を掴んで奴等も排除しろ。どんな手段を使っても構わん。外交や司法的な問題は今まで通りこちらで上手く処理する」

「でも……相手は悪魔だけでなくロシアもいる可能性があるのよね? 討伐だの排除だの、私達だけで出来るものなのかしら」

 前回のアトランタでは悪魔の他に中国も絡んでいた。その分敵の戦力も大きく、ユリシーズとリキョウの2人がいてようやく勝利できたのだ。おそらく彼等のどちらか1人だけでは勝てなかっただろう。

 今回はアダムがいてくれるが、同じように彼1人ではもし敵が悪魔以外にもいた場合に不安が残る。ビアンカのそんな不安に応えるかのようにレイナーが頷いた。


「お前が何を言いたいかは解っている。その問題は当然こちらでも検討済みだ。ウォーカー大統領もその点は懸念されていた。そこで彼女自身が交渉(・・)を行って戦力(・・)を確保してくれた。ユリシーズが不在の今は()がその代替戦力となってくれるだろう」


「え……彼? 誰の事? それにお母様が交渉したって……?」

 大統領が交渉するなんてどんな要人なのだろうか。そう思ったビアンカだが、レイナーの合図を受けて部屋に入ってきた人物を見て目を丸くした。なぜならそれは彼女が直近でデート(・・・)したばかりの相手であったから。

「やあ、またお会いしましたね、ミス・ビアンカ。尤も今回は私もこれほど早くあなたと再会できるとは思っていませんでしたが」

「リ、リキョウ……!?」

 それは前回のアトランタで共に戦ったばかりの中国人の神仙、レン・リキョウであった。彼は前回とは違って苦笑しながら部屋に入ってきた。


「ど、どうして彼がここに……?」

「大統領がミスター・許に直接交渉したのだ。今後もお前の任務の助っ人として彼の力を貸してもらえないかとな。そして本人がそれを望むならという条件で出向(・・)が決まったのだ」

「……っ!」

 ダイアンが自分のために裏でそんな事をしていた事実。そしてリキョウが自ら望んで彼女の元に馳せ参じてくれた事実。それらにビアンカは胸が詰まるような感覚を覚えた。

「そういう訳で、今後ともよろしくお願いしますよ、ミス・ビアンカ」

「え、ええ……! こちらこそ宜しく! ありがとう、リキョウ。恩に着るわ」

 ビアンカは握手のつもりで手を差し出すが、リキョウはその手を取って手の甲に口づけする。相変わらずの気障っぷりだ。彼の変わらない態度にビアンカは安心して微笑んだ。


「……お前がレン・リキョウか。直接会うのは初めてだな。アダム・グラントだ。国防総省から派遣されている」

「……! ほぅ……あなたが。私もお話だけは聞いていますよ。全身がオーパーツの塊だというサイボーグ兵士。お会いできて光栄と言うべきでしょうか?」

 アダムがその巨体と低い声で妙に威圧感を醸し出しながら手を差し出すと、リキョウも負けじと目を細めて研ぎ澄まされた気を発散させながらその手を握り返す。

 何故だか部屋に妙な緊張感が漂った気がした。ビアンカも少し緊張しながら固唾を呑んでその光景を見守った。アダムもそうだが、リキョウの方も初対面だと言うのに妙に威圧的、挑戦的であった。

 2人ともユリシーズのような粗暴なタイプではなく、どちらかと言えば礼儀正しい性格であるはずなのに、このように初対面の相手を威嚇する態度を取るのは少し意外だった。


 だがビアンカには解らなかったが、アダムもリキョウも互いに相手がライバル(・・・・)であるとすぐに見抜いたのであった。


「……やれやれ、前途多難だな。そちら(・・・)に気を取られて肝心の任務が疎かにならんように頼むぞ?」

 部屋に漂う空気を感じ取ったレイナーは、嘆息しながらも彼等に釘を刺すのだった……
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