Episode30:天使のいない街

文字数 4,850文字

 アメリカ、ワシントンDC。その中心にある大統領官邸、通称ホワイトハウス。この建物の現在の主であるダイアン・ウォーカーは、自らの私室で()からの報告を聞くと深く息を吐いて眉間を揉み解した。 

「……なるほど、あなたの言いたい事は分かったわ。LAの事はその女達(・・・・)に任せて、政府は手を引くべきと言うのね?」

 ダイアンの視線を受けながらビアンカは目を逸らさずにしっかりと頷いた。

「はい、お母様。彼女達は立派な魔物退治のプロです。それは実際にカバールの悪魔を討伐した事からも明らかです。今まで街に現れた魔物たちも全て彼女達が討伐してきていたのです。あの人達がいる限り……LAは安泰(・・)です。私はそれを確信しました」

 既にユリシーズ達から正式な報告として、ローラ達がカバールの悪魔を倒した事は伝わっている。ダイアンは難しい顔で頷いた。

「確かにそのようね……。でもそもそもそのローラという女刑事が街にいる事によって魔物たちを呼び寄せてもいるのよね? それに関してはどう折り合いをつけるつもりなの?」

「それは……」

 ビアンカはLAを発つ前に、ローラの相棒である吸血鬼ミラーカと話した内容を思い出していた。彼女の話はある意味で目から鱗が落ちるような内容であった。


 それは『人外の魔物たちによる超常犯罪が発生している最中は通常(・・)の凶悪犯罪の発生率が極端に低下する』というものだった。


 DCに帰ってきたビアンカはすぐにアルマンに頼んで、LAにおけるここ数年間の凶悪犯罪発生件数の推移を調べてもらった。そしてミラーカの言っていた事がその場しのぎの出まかせではなく事実(・・)であった裏付けを得たのだ。

「通常の凶悪犯罪でも多くの人達が犠牲になります。このような言い方が適切なのかは解りませんが……殺される人にとってはその犯人が人間であろうと魔物であろうと……同じ(・・)なのではないでしょうか?」

「……!」

 極論ではあるが間違ってもいないはずだ。魔物に食われるのも、強盗に銃で撃ち殺されるのも、その結果が『死』であるという点では何も差はないのだ。しかし……

「しかし少なくとも魔物による犯罪は、ローラ達が『ピースメーカー』として最優先で早期解決を図ってくれる事を約束しています。カバールの悪魔さえ倒した最強の魔物ハンター達が、です」

「む……」

 ダイアンが唸る。やはりカバールの悪魔を倒したという『実績』は効果絶大だ。しばらく目を閉じて何かを考え込んでいたダイアンだが、やがて大きく息を吐きながら目を開けた。


「はぁ……確かに、そもそも『呪いの触媒』が人間(・・)だった事からして想定外だったしね。ましてや自身がそれを自覚して、自発的に魔物を狩っているとなれば尚更ね」

「……! じゃあ……」

 ビアンカが目を輝かせる。

「ええ、私だって進んで自国民に犠牲を強いたい訳じゃないわ。あなたの言っている事、そして彼女らがカバールの悪魔を倒してくれた実績に免じてLAからは手を引くわ。ただし勿論DIAによる監視だけは今後も続ける事になるけど」

「充分です! ありがとう、お母様!」

 ビアンカは喜色を浮かべ素直に礼を言う。これでローラ達の日常は守られた。あとは彼女達の領分だ。娘から手放しで礼を言われたダイアンが、少し顔を赤くして目を逸らす。


「それで……彼等(・・)は大丈夫なの? 余り今後の任務に支障があるようだと困るけど」

 今回の任務で貧乏くじ(・・・・)を引いた面々の事だ。

「3人とも未だに療養中ですが、命に別状はありません。流石に人間離れした超人揃いなだけはあります。まあ精神面(・・・)の方はちょっと大変でしたけど」

 地下シェルターでの死闘でアダムとサディークは互いに重傷を負って戦線離脱を余儀なくされた。アダムは軍人らしい冷徹さで納得してくれたが、サディークの方は最初宥めすかすのが大変だった。

 だが結果として彼がミラーカ達を逃がしてくれた事が今回の結果につながった訳で、その事を伝えて礼を言うと機嫌が直ったようだった。ダイアンがLAから手を引く決定を下した事で、彼の叛逆(・・)もとりあえずは不問になるだろう。というかさせる。

 イリヤに関しては少しきつめに叱りつけて、もし今後ミラーカ達に何かしたら彼を見限る(・・・)事もあり得ると言外に匂わせると、途端に取り乱して涙ながらに謝罪してきた。あの様子ならとりあえず心配ないだろう。

 余り抑えつけ過ぎると彼の人格に悪影響を及ぼす恐れがあるし、かといって余り自由にさせるのも今回のような暴走(・・)を引き起こす危険があるので悩ましい所だ。しかしそれを承知で彼の身柄を引き受けたのだから、それは自分の責任であったが。


(でも……これで何とか無事に事を収められたわ。ローラ達との約束も果たせたし。LAは……あなた達に任せるわ、ローラ)


 地下の『RH』にある自分の部屋に戻ったビアンカは、ベッドに身体を投げ出して心地よい疲れを感じつつ、LAで出来た新しい友人との別れを回顧するのだった……



*****



『じゃあ……これでお別れね。お母様は私が必ず説得するから、この街の事はあなた達に任せるわ、ローラ』

 ビアンカはそう言って手を差し出してきた。ローラはしっかりと頷いてその手を握り返した。

『ええ、勿論よ。ピースメーカーとして、絶対に魔物にも悪魔にもこの街を好きにはさせないわ。本当に……ありがとう、ビアンカ』

 ローラは万感を込めて彼女に礼を言った。『特異点』と『天使の心臓』。互いの特性が呼び寄せたモノの脅威を目の当たりにした2人は、より相手に同情すると共に、より深いシンパシーを抱き合った。

 いつか再会して互いの近況を語り合う事を約束した2人は、最後にハグをし合ってから離れる。そしてビアンカがビジネスジェットに乗り込んで東の空に飛び立っていく様をローラはミラーカと共にいつまでも見送っていた。




 ローラは新しい友人との別れを回顧していた。あれからもう一か月ほどが過ぎた。ビアンカは本当に大統領を説得してくれたらしく、ローラ達の前に不穏なエージェントが姿を現す事は二度となかった。

 そのためローラ達も安心してそれぞれの日常に戻る事が出来ていた。ジェシカはバンド活動に本格的に取り組みたいとの事で、他の街でも演奏してみたいと、大学卒業後すぐに友人達と一緒に全国バンドツアーに出かける予定だそうだ。恐らく1年くらいはLAに戻ってこれないらしい。魔物との戦いでは心強い戦力になる彼女だが、勿論自分の夢が一番大事だ。ローラは快く送り出す事にしていた。

 ヴェロニカは日常のありがたみを再認識したとかで、最近は不満も言わずに仕事に勤しんでいるようだった。

 シグリッドは今回の騒動で仕事に穴を空けてしまったとかで、その補填に大忙しとの事だ。モニカとセネムも再び魔物出現の兆候がないか見張りつつ副業(・・)に精を出す日々に戻った。セネムは自分達を助けてくれたサディークという戦士の容態を大分心配していたが、命に別状はないと聞いてホッと胸を撫で下ろしていた。

 また地下シェルターの戦いでは立役者となってくれたナターシャも、危険な目に遭ったにも関わらず、相変わらず新聞記者として無茶な取材をしているようだった。その関係でモニカやセネム達とかち合う事も多く、2人から苦笑混じりの愚痴を聞かされる事もしばしばだ。

 ローラも勿論警部補として、日々の通常犯罪(・・・・)に対処する日々に戻った。またその仕事に関連して、ローラのかつての相棒であり現在は部下でもあったリンファがスカウト(・・・・)を受けて、ワシントンDCの首都警察へ転属する事になった。

 リンファは優秀な刑事に成長していたのでローラとしては惜しい気持ちがあったが、リンファの決意は固いようであった。『リーヴァー』事件で彼女を助けてくれたリキョウは大統領府のエージェントであったので、もしかしたら彼女が急に首都警察からのスカウトを受ける気になった事と関連しているのかも知れない。

 だがそれはローラが聞くべき事ではないし、それに実際DCでアジア系の犯罪が増えているのも事実であった(だからこそ中国語を話せる刑事の転属募集が出回っていた)ので、最終的には転属希望を受諾し、リンファには新天地でも頑張るようにと背中を押してあげたのだった。


「…………」

 久しぶりに早く帰れた自宅(『リーヴァー』に割られた窓は修復済み)のソファでウィスキーのグラスを呷りながら、ローラはここ一か月ほどの目まぐるしい日々を思い返していた。

「あら、ローラ? 今日は早かったのね?」

 しばらく飲んでいると玄関の開く音と共に、同棲している恋人のミラーカが帰ってきた。彼女も当然ながらいつも通りの日々だ。ローラは苦笑した。

「まあ『リーヴァー』事件の影響で、皆まだ少し大人しい(・・・・)からね。もうちょっとだけ楽が出来そう」

「ああ、そういう事。『ピースメーカー』としての仕事のご褒美(・・・)みたいなものね」

 すぐにローラの言葉の意味を察したミラーカが小さく笑う。人外事件が発生している最中は通常の凶悪犯罪が鳴りを潜める傾向にある。その余波(・・)がまだ残っている状態なのだ。ミラーカの言う通り、これは人外事件を解決した後のちょっとした休暇期間(・・・・)のようなものであった。


「この機会にミラーカにちょっと相談したい事もあってね……」

「相談したい事?」

 自身もグラス片手にソファに身を預けたミラーカはきょとんとした顔になった。本当はもう少し早く相談するつもりだったのだが、『リーヴァー』やビアンカ達との一件があって有耶無耶になっていた。 

 ローラは自身が外見的に歳を取っていない事と、それは恐らく自分の出自(・・)に原因がある事を伝えた。つまりは自分が悪魔のクォーターであり、純粋な人間でない事を打ち明けたのだ。ローラとしては反応が気になる所であったが、ミラーカは一瞬目を丸くした後コロコロと笑った。

「随分深刻な顔するから何かと思ったら……私は吸血鬼よ? あなたに悪魔の血が流れてるからって、今更そんな事を気にするとでも思った? むしろ嬉しいくらいだわ」

「う、嬉しい……?」

「そうよ。歳を取らないという事は、あなただけ先に年老いてしまうという事がないという訳でしょう? 悪魔のクォーターの寿命がどれくらいなのか解らないけど……思っていたよりもずっと永く(・・)あなたと一緒にいられるという事よね? それが嬉しくないはずないじゃない。その点だけはあなたの父親に感謝すべきね」

「……!」

 以前に自分も同じことを考えたのを思い出した。ミラーカも聞いてすぐに自分と同じように思ってくれた事に、ローラは胸が詰まるような感覚を覚えた。いや、むしろこれまで知り合った人間が全て年老いて死んでいき、自分だけが残される感覚を味わい続けてきたミラーカの方が喜びは深いのかもしれない。


「でもだとすると現実的な問題も生じてくるわね。あと10年もしたら流石に誤魔化しが効かなくなってくるし、今の職場にもいられなくなっちゃうわね」

 流石というべきか、500年生きている先達であるミラーカは真っ先にその懸念を挙げた。今度はローラが目を瞠った。

「……! それよ、それ! まさにミラーカに相談したかったのがそれよ! どうしよう? 私、あと10年以内にLAPDを辞めなくちゃいけないのかしら? その後もあちこち転々とし続けるの?」

「そうねぇ……。こればかりは中々難しいわね。でもいいじゃない。私達(・・)には時間は無限にあるんだから。考える時間はたっぷりあるわ。2人で良い方法を模索していきましょう」

 ミラーカは妖艶に微笑んで提案する。彼女のそんな笑みを見るとローラも安心して、そんなものかと思えるようになってくるから不思議だ。

 そうだ。自分達には時間はいくらでもあるのだ。これから2人でゆっくり考えていけばいい。ミラーカに打ち明けた事で安心したローラは自然にそう思えるようになった。


 明けない夜はない。『ピースメーカー』達が守った平穏の中、大都会LAの夜は今日も静かに更けていった……



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