Episode3:想念の果てに

文字数 4,346文字

 ホワイトハウスの西棟(ウエスト・ウィング)の一角に存在する大統領執務室、別名『オーバルオフィス』。超大国アメリカのトップに位置する大統領が様々な政務を行うと共に、時に世界情勢にも影響を及ぼすような重要政策の意思決定が為される場でもある。

 しかしそんな文字通りの超VIPルームにおいて、今現在ユリシーズは世界情勢とは比較にならないくらい卑小な、それでいて彼にとってはある意味でそれに等しい程の重要な問題(・・・・・)について頭を悩ませ、オフィスの中を行ったり来たりしながら唸っていた。

 その様子にこの部屋の主であるアメリカ合衆国大統領のダイアン・ウォーカーは、自らの執務机に頬杖をつきながら溜息を吐いた。

「はぁ……まるで思春期のローティーンね。あなたはこういう事には経験豊富(・・・・)な方だと思っていたけど、私の見込み違いだったかしら?」

「ボス……分かってて言っているでしょう。それとこれとは話が別ですよ。問題はあいつ(・・・)の方にあるんです。元カレがいたとは思えないほど初心ですし、ディープキスなんてしたらそれこそ……」

 後戻り(・・・)出来なくなる。そんな予感があった。ダイアンがここで少し人の悪そうな笑みを浮かべる。

「あら、つまりあなたには誘う事が前提になってる相手(・・)がもう決まってる訳ね。それは良かったわ」

「……っ!」

 ユリシーズは顔を歪めた。ダイアンの誘導に引っかかって失言した事を悟ったのだ。

「でも確かに……あの子(・・・)はそういう方面には年齢の割に初心な感じはするわね。あなたがしっかりリードしてくれるなら私も安心だわ」

「ボス、俺はまだ一言もあいつを誘うとは……」

 ユリシーズがこの期に及んで諦め悪く言い募ろうとするが……


「でも、母親としてはあの子の事を好きでもない(・・・・・・)男とキスさせるのは偲びないわね。あの子は『エンジェルハート』があるから潜入調査には向かないし、あなたには別の相手(・・・・)を当てがって任務に向かってもらおうかしら」

「……! 別の相手? そんなモンいませんよ。ボスも良くご存知でしょう」

 もはや完全に誘うのがビアンカである事を前提に話していたが、ユリシーズはそれには気づかず鼻を鳴らした。

 今回の条件は女なら誰でもいい訳ではなく、自分に対して浅からず好意を抱いている事が大前提だ。しかし彼はダイアンの部下としてマクシミリアン4世の元を移籍(・・)してからは女遊びの類は一切していないし、唯一の例外はその後に付き合ったマチルダだけだ。

 だが彼女は現在大統領府とは折り合いが悪いCIAの所属だし、そもそも今回の相手をマチルダに頼むなどとなったら、それを聞いたビアンカの反応を想像するだけで空恐ろしくなる。娘の事を想うダイアンだし、流石にマチルダは除外と考えていいだろう。

 そうなると条件に該当する女性は他にいない。ダイアンは彼の言質を取りたくて揺さぶりを掛けているだけだ。他にいないのだから最終的にはダイアンがビアンカを誘うように命令(・・)して、彼はその命令に従って(・・・・・・)彼女を相方に誘う、というスタンスが取れるはずだ。

 彼としてはそれが解っているので、やや余裕をもって強気で返したのだ。だが……

「あら、うってつけの女性なら他にもいるじゃない。彼女(・・)なら申し分ないわ。実力的にもむしろあの子よりも頼りになるでしょうし」

「は、はあ? どこにそんな女が? ……まさか本当にマチルダに頼む気じゃないでしょうね?」

 ユリシーズは眉根を寄せた。彼に好意を抱いていて実力的にも……となると、いよいよマチルダしか該当者がいなくなる。だがマチルダもあの新種ドラッグ『アークエンジェル』の力を用いてようやく、フル装備のビアンカと互角くらいの強さだったはずだ。ビアンカよりも頼りになると断言できるほどではない。

 その疑問を肯定するようにダイアンは苦笑しながらかぶりを振った。


「勿論あなたの元カノに頼む気はないわ。私が言ってるのは彼女……ラミラ(・・・)の事よ」


「……っ!」

 ダイアンは自身の斜め後ろに今この時も影のように、そして彫像のように控えて佇んでいる女性のSPを指し示した。ヒスパニック系の派手な美貌を地味な黒スーツに押し込めているその女性SP……ラミラは、いきなり自分の事が話題に上って僅かに眉を上げた。


 一方でユリシーズも目を瞠っていた。

(そう来たか……!)

 そして内心で激しく唸った。確かにラミラなら申し分ない(・・・・・)。彼女の正体は人間ではなく、ユリシーズが召喚した中級悪魔タブラブルグだ。つまりユリシーズの眷属であり(中級悪魔なので独自の意思を持っていて自律性は高いものの)基本的に彼の命令には絶対服従(・・・・)する。今ダイアンの護衛としてSPをしているのもユリシーズがそう命令したからに過ぎない。

 そしてこの『絶対服従』というのがミソだ。つまりユリシーズを愛するように命令すれば、ラミラは本心から(・・・・)彼を愛するようになるはずであった。

「昔ダンテから聞いた事があるけど人間に擬態している眷属は、魔力を抑えていればその主人(・・)以外の悪魔には人間と見分けられないそうね。潜入調査という事を鑑みてもお誂え向きじゃないかしら。それに相方がラミラなら、あの子も多少やきもち(・・・・)を起こしにくいでしょうし」

 それもまたダイアンの言う通りであった。ビアンカもラミラの正体は知っているので、確かにマチルダやその他の女性に頼むより遥かにマシ(・・)なはずではあった。

「私も丁度今の時期は大きな公務の予定もないし、あなた達の任務が終わるくらいまでの間ならホワイトハウスに引きこもっていられるから警護の面も問題ないわ。あなたに(・・・・)あの子を誘うつもりがないならこれでもう決まりね」

「ぐぬ……!」

 ユリシーズは盛大に顔を歪める。ダイアンは容赦なく彼の退路(・・)を断ってきた。ビアンカとキスするのが『不本意』ならラミラと行けばいいという訳だ。ビアンカを相方にするのなら、それは彼自身の希望(・・・・・・)でやらねばならなくなってしまった。


「マスター、一言ご命令を賜れば私はいつでも貴方様のお側に侍ります」

 ラミラが(当然だが)特に嫌がる様子もなく当たり前のように申し出ると、ダイアンは増々人の悪そうな笑みを深くする。

「ほら、彼女もこう言ってるわ。相手が眷属の悪魔なら任務の時だけ利用する関係でも心は痛まないでしょう? そういう訳で今回はラミラと――」

「――ああ、はいはい、分かりましたよ、ボス! あんたの勝ちです!」

 ユリシーズは負けを認めた。そして頭を掻きながら盛大に溜息をついた。


「……ビアンカを誘います。正直言うと条件を聞いた時、最初からあいつ以外に誰も思い浮かびませんでした」

 一転して神妙な表情になりそう告げるユリシーズに、ダイアンは笑みを浮かべたまま頷いた。

「ふふ……ようやくその気になったわね。母親としては正直もっと無難で安全な男を好いてもらいたいという気持ちはあるけど……血は争えないのね。あの子も私も……力強く、危険な香りのする男に惹かれてしまう性質みたい」

 かつてやはり破天荒な退魔師であるダンテ(現マクシミリアン4世)と恋仲になりビアンカを設けるに至った経緯のあるダイアンは、自らの過去と娘の現在を重ねたのか自嘲気味に苦笑するのだった。


*****


(……もう一日経つのにやっぱり来ない。何よ……意気地なし)

 ビアンカは『RH』にある自分の部屋で一人腐っていた。ブリーフィングで今回の任務の条件を聞いて以来、彼女はずっと待っていた(・・・・・)。だが一向にやってくる気配のないその人物に、ビアンカは待ち疲れて次第に腐ってきていた。

 そして同時に……不安(・・)が頭をもたげてくる。

(それとも他に当て(・・)でもあるのかしら。まさか……マチルダじゃないでしょうね?)

 その光景を想像すると不安だけでなく不穏(・・)な感情も芽生えてくる。そんな事はあり得ないと思いたいが、いつまで経っても「彼」からのアプローチがない為にビアンカの中の弱気が増幅されていて、ついつい悪い方向に想像力が働いてしまう。

 こうなってしまうのも「彼」が来てくれないから。ビアンカが自身の不安を誤魔化すように「彼」への不平不満を募らせていたまさにその時――


『……ビアンカ、いるか? 俺だ。入ってもいいか?』


「……っ!!」

 ノックの音と共に、ずっと待っていた「彼」……ユリシーズの声が扉越しに聞こえ、ビアンカは目を見開いた。

「ど、どうぞ、鍵は開いてるわ。早く入ったら?」

 待っていたのにいざ本当に来られると、胸の動悸が激しくなり声が上擦ってしまう。幸いというかいつ来られてもいいように身支度だけは整えていた。

「ああ、悪いな。邪魔するぞ」

 ドアを開けてユリシーズが入ってきた。彼自身が部屋を訪ねてきた事はこれまで一度もない。初めてのシチュエーションにビアンカの動悸がより速くなる。

「ど、どうしたのよ、改まって。例の任務の件かしら?」


「そうだな。単刀直入に行こう。ラスベガスの任務、俺の相方をお前に務めてほしい」


「……!!」

 ビアンカは息を吞んだ。しかしすぐにぬか喜び(・・・・)に備える。

「そ、そんな事言って……。他に選択肢が無かったから仕方なくって事でしょ? お母様の命令には逆らえないものね!」

 ユリシーズの性格からしてそれは充分あり得る展開だ。だが彼は神妙な顔でかぶりを振った。

「ボスにはラミラを相方にするように提案された。だが、断った」

「……っ!」

 ビアンカは今度こそ本当に目を瞠った。そうだ、ラミラがいた。確かに彼女なら色々な意味でビアンカより余程適任(・・)だ。つまりユリシーズには『他に選択肢があった』という事になる。だが彼はそれを蹴ったというのだ。それは……

「それは……何故?」


「俺が希望(・・)したんだ。相方はお前以外には考えられないってな」


「っ!!」

 今回の任務の条件を理解した上でビアンカを相方に希望(・・)するという事はつまり……そういう事だ。

(そ、そんな、嘘よ。これは夢よ。夢に決まってるわ。どうせすぐに目が覚めるんでしょ……!)

 彼女が待ち望んだ、思い描いていた通りの展開。夢だと疑ってしまうのも致し方ない事と言えた。だが……

「ビアンカ、改めて聞きたい。俺の相方……受けてくれるか? お前の事は俺が全力で守ると誓う」

 ……夢ではなかった。ユリシーズが握ってきた手の感覚、彼の体温、息遣い。そして自分の心臓のうるさいほどの動悸。全てがこれが現実だと語っていた。ビアンカはいつしか自身の視界が涙で滲んでいるのに気付いた。気づいたが敢えてそれを拭おうとは思わなかった。

「ええ……ええ、勿論よ! あなたの相方になるわ! 絶対に……私を守ってよね?」

 感極まったビアンカは涙声で応える。フィラデルフィアで邂逅し、彼と二人であの街を脱出して以来ずっと心の奥に抱き続けてきた想い。長い時を経てようやくその想いが実った感慨に、彼女は再び歓喜の涙を零すのであった……
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