沈丁花・Ⅲ
文字数 2,866文字
ラストです
***
夜、キビタキが帰った後の執務室。
カップに挿した沈丁花がほのかに香り、三人の弟子はそれぞれの手仕事をやっている。
修練所での事は大まかに話されている。ツバクロはただ、カワセミにごくろうさんを言い、ノスリは俺が行きたかったと息巻いた。
外に足音がし、長の帰還かと三人は立ち上がる。
長と、あともう一人誰かいるようだ。話し声が近付いて来る。
御簾が開いて長が入って来たが、もう一人は外に突っ立ったままだった。
所長室に居た若い教官。
「どうぞお入りなさい」
「いえ、お伝えする事は以上ですので、ここで失礼致します」
執務室の中をチラチラと見て、彼はビク付きながら後ずさる。
でも三歩下がった所で、思い定めたように室内に向けてザッと頭を下げた。
「本日の事は、子供達の教育者たる私の責任でもありました」
多分カワセミに向けての詫びなんだろうけれど、当人は眉を少し動かして会釈しただけなので、ツバクロとノスリがまあまあと取りなした。
若者を帰らせてから、長は改めて三人の弟子に向き直った。
「え――と、まず、キビタキは、明日からも今まで通り受講に来て良いそうです」
カワセミがスッと立って出口に向かう。
「あの子に知らせて来ます。多分眠れていないだろうから」
「お、おい、他は聞かなくていいのか?」
というノスリの声を背中に、水色の髪はあっという間に坂の下に消えた。
「あいつが走るの見たの、子供の頃以来かも」
呟くツバクロに、ノスリも苦笑いで隣に戻った。
「子供の何人かが、あの教官に正直に告白しに来たそうです」
長は奥へ歩いて、大机に座した。
二人もそれぞれの場所に腰掛けて聞く体制を取る。
「カワセミの悪口を囃し立てたらしいです、結構しつこく」
「ああ、まあ、キビタキがキレるんなら、その辺りかなと」
「ほとんど交友を持たず、講義が終わると速攻帰るキビタキが『すかしてる』ように見えたんですって」
「それ、問題を起こさないように懸命に自制していただけだろうに」
「あいつ元来は喧嘩っ早いからな」
「どうにかして自分達の土俵に引き摺り下ろしたかったんでしょう。子供ですからねぇ。五人がかりで行く手を塞いで」
「…………」
「カワセミなんかすぐ死んじゃう死んじゃう、死んじゃうから長になんかなれっこないって」
「え゛……」
子供が言った言葉だろうが、長が静かな口調で訥々と喋ると、室内がシンと凍り付く。
「子供ですからねぇ。意味なんか分からず、簡単に大人の真似をする」
「…………」
「丁度講義で、羽根痕のある者が何百年か前までは多く居た話をした後だったので。授業ではそこまでだけれど、羽根痕持ちは虚弱で早死にするなんて噂は、ご家庭でも普通に話題にするんでしょうね」
「…………」
長は水面(みなも)のように表情を動かさず穏やかに話しているが、張り詰めた水面下がそうではないのが、二人には分かった。
「蒼の長は草原を支えるけれど、里人が長を支える土台が無ければ成り立ちません。時間を掛けて地道に石を積んで行かねばならないでしょう」
「はい」
二人は重く心に受け止めた。
子孫を残さないこのヒトを無責任だと咎める声がある。
しかし、血統外の者が長を勤める実績は、
未来の為に。
「それにしても、カワセミが『地の記憶』を視る前で良かったな。俺でもヘコむわ、そんな光景」
「キビタキは優しいからな。そりゃ、自分が全部をひっ被ってでも視せたくないって思うよ」
二人の弟子の会話を流し聞きながら、長は本日の報告書の点検に掛かった。
(カワセミが、ほんの一刻前の地の記憶を読むのに、そんなに時間を要するとは思えないんですけれどね……)
やはり眠れていなかったキビタキを大喜びさせた後、軽く安眠の呪文を唱えてやって、カワセミは住まいのパォを後にした。
執務室に戻って、事務の手伝いをせねばならない。
メインストリートの坂道を登っていると、枝道から一人の男性が歩いて来てかち合った。
長に報告に来てくれた若い教官。出会い頭でまたビビらせてしまった。
「さ、先程は、どうもっ。ああ、えと、感電した子供達の家庭を回っていましたっ。皆、特に問題なく食欲もあって元気ですっ」
聞いてもいないのに慌てて喋る彼に、カワセミは「そうか」とだけ返した。
修練所の教官寮へ帰る彼と、道が一緒。
気まずい……と思っていると、教官の方から声を掛けて来た。
「実は私、結構感動したんです」
「んん?」
「あ、長様に聞きましたよね? 子供達の告白、教室での一部始終。あの子……キビタキが一回だけ言い返した言葉」
「ああ、まあ」
「私も、自分の教え子にああいう風に言って貰える指導者になりたいと、激しく思いました」
「……そうか」
執務室の前まで来た。
教官は安堵した顔で、別れの挨拶をして坂を越える。
その後ろ姿に向かって、カワセミは声を張った。
「なれる。少なくともボクよりはちゃんとした指導者になれる」
若者は、その言葉を謙遜程度に受け取って、ニッコリお辞儀をして向こう側へ下って行った。
子供の告白の口伝えより正確に、カワセミはその光景を漆喰の地べたに教えて貰っていた。
――違う! この世に必要なヒトだから羽根があるんだ!
過去の羽根痕持ちのヒト達も、本当は生まれられないくらい弱かったのを、この世で役割があったから、神様が護りの羽根をくれたんだ!
カワセミは里にも草原にも絶対必要になるヒトだよ! そんな事も分かんないの!?
キビタキが人間界へ帰ってしばらくしてから……
カワセミは自分の衣服の背中に穴を開けた。
子供の拳ほどだった羽根痕から、少しづつ羽根が伸び始めたからだ。
まだアヒルの雛のような、心許ない羽根ではあったが。
~沈丁花・了~
~風の末裔 見えない羽根のおはなし・完了~
***
ここまでお付き合い頂きまして、まことにまことに、ありがとうございました
ずっとリメイクしたかった、【風の末裔・全七シーズン】の一番初めのお話、
ようやく書ききれて、とても嬉しい
時系列順
第一シーズン 【風の末裔~見えない羽根のおはなし~】14万文字
第二シーズン 【碧い羽根のおはなし】 14万文字
第三シーズンの1【ネメアの獅子】 11万文字
第三シーズンの2【春待つ羽色のおはなし】 9万文字
第四シーズン 【緋い羽根のおはなし】 16万文字
第五シーズン 【六連星(むつらほし)】 25万文字
第五シーズン余話【冬虫夏草】 4万文字
第六シーズンの表【ホライズン】 11万文字
第六シーズンの裏【砂の娘山の娘】 4万文字
第七シーズンの1【風のあしあと】 11万文字
第七シーズンの2【七時雨】 12万文字
短編として抜粋 【残り雪】1万文字
【星のかたちの白い花】3万文字
時系列はありますが、それぞれ独立した話です。どれを抜き出して読んでもOK。
*一番初めに、何気なく描いたラクガキ*
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夜、キビタキが帰った後の執務室。
カップに挿した沈丁花がほのかに香り、三人の弟子はそれぞれの手仕事をやっている。
修練所での事は大まかに話されている。ツバクロはただ、カワセミにごくろうさんを言い、ノスリは俺が行きたかったと息巻いた。
外に足音がし、長の帰還かと三人は立ち上がる。
長と、あともう一人誰かいるようだ。話し声が近付いて来る。
御簾が開いて長が入って来たが、もう一人は外に突っ立ったままだった。
所長室に居た若い教官。
「どうぞお入りなさい」
「いえ、お伝えする事は以上ですので、ここで失礼致します」
執務室の中をチラチラと見て、彼はビク付きながら後ずさる。
でも三歩下がった所で、思い定めたように室内に向けてザッと頭を下げた。
「本日の事は、子供達の教育者たる私の責任でもありました」
多分カワセミに向けての詫びなんだろうけれど、当人は眉を少し動かして会釈しただけなので、ツバクロとノスリがまあまあと取りなした。
若者を帰らせてから、長は改めて三人の弟子に向き直った。
「え――と、まず、キビタキは、明日からも今まで通り受講に来て良いそうです」
カワセミがスッと立って出口に向かう。
「あの子に知らせて来ます。多分眠れていないだろうから」
「お、おい、他は聞かなくていいのか?」
というノスリの声を背中に、水色の髪はあっという間に坂の下に消えた。
「あいつが走るの見たの、子供の頃以来かも」
呟くツバクロに、ノスリも苦笑いで隣に戻った。
「子供の何人かが、あの教官に正直に告白しに来たそうです」
長は奥へ歩いて、大机に座した。
二人もそれぞれの場所に腰掛けて聞く体制を取る。
「カワセミの悪口を囃し立てたらしいです、結構しつこく」
「ああ、まあ、キビタキがキレるんなら、その辺りかなと」
「ほとんど交友を持たず、講義が終わると速攻帰るキビタキが『すかしてる』ように見えたんですって」
「それ、問題を起こさないように懸命に自制していただけだろうに」
「あいつ元来は喧嘩っ早いからな」
「どうにかして自分達の土俵に引き摺り下ろしたかったんでしょう。子供ですからねぇ。五人がかりで行く手を塞いで」
「…………」
「カワセミなんかすぐ死んじゃう死んじゃう、死んじゃうから長になんかなれっこないって」
「え゛……」
子供が言った言葉だろうが、長が静かな口調で訥々と喋ると、室内がシンと凍り付く。
「子供ですからねぇ。意味なんか分からず、簡単に大人の真似をする」
「…………」
「丁度講義で、羽根痕のある者が何百年か前までは多く居た話をした後だったので。授業ではそこまでだけれど、羽根痕持ちは虚弱で早死にするなんて噂は、ご家庭でも普通に話題にするんでしょうね」
「…………」
長は水面(みなも)のように表情を動かさず穏やかに話しているが、張り詰めた水面下がそうではないのが、二人には分かった。
「蒼の長は草原を支えるけれど、里人が長を支える土台が無ければ成り立ちません。時間を掛けて地道に石を積んで行かねばならないでしょう」
「はい」
二人は重く心に受け止めた。
子孫を残さないこのヒトを無責任だと咎める声がある。
しかし、血統外の者が長を勤める実績は、
きちんと補佐出来る前任者がいる内に
、必ず作って置かねばならない。未来の為に。
「それにしても、カワセミが『地の記憶』を視る前で良かったな。俺でもヘコむわ、そんな光景」
「キビタキは優しいからな。そりゃ、自分が全部をひっ被ってでも視せたくないって思うよ」
二人の弟子の会話を流し聞きながら、長は本日の報告書の点検に掛かった。
(カワセミが、ほんの一刻前の地の記憶を読むのに、そんなに時間を要するとは思えないんですけれどね……)
やはり眠れていなかったキビタキを大喜びさせた後、軽く安眠の呪文を唱えてやって、カワセミは住まいのパォを後にした。
執務室に戻って、事務の手伝いをせねばならない。
メインストリートの坂道を登っていると、枝道から一人の男性が歩いて来てかち合った。
長に報告に来てくれた若い教官。出会い頭でまたビビらせてしまった。
「さ、先程は、どうもっ。ああ、えと、感電した子供達の家庭を回っていましたっ。皆、特に問題なく食欲もあって元気ですっ」
聞いてもいないのに慌てて喋る彼に、カワセミは「そうか」とだけ返した。
修練所の教官寮へ帰る彼と、道が一緒。
気まずい……と思っていると、教官の方から声を掛けて来た。
「実は私、結構感動したんです」
「んん?」
「あ、長様に聞きましたよね? 子供達の告白、教室での一部始終。あの子……キビタキが一回だけ言い返した言葉」
「ああ、まあ」
「私も、自分の教え子にああいう風に言って貰える指導者になりたいと、激しく思いました」
「……そうか」
執務室の前まで来た。
教官は安堵した顔で、別れの挨拶をして坂を越える。
その後ろ姿に向かって、カワセミは声を張った。
「なれる。少なくともボクよりはちゃんとした指導者になれる」
若者は、その言葉を謙遜程度に受け取って、ニッコリお辞儀をして向こう側へ下って行った。
子供の告白の口伝えより正確に、カワセミはその光景を漆喰の地べたに教えて貰っていた。
――違う! この世に必要なヒトだから羽根があるんだ!
過去の羽根痕持ちのヒト達も、本当は生まれられないくらい弱かったのを、この世で役割があったから、神様が護りの羽根をくれたんだ!
カワセミは里にも草原にも絶対必要になるヒトだよ! そんな事も分かんないの!?
キビタキが人間界へ帰ってしばらくしてから……
カワセミは自分の衣服の背中に穴を開けた。
子供の拳ほどだった羽根痕から、少しづつ羽根が伸び始めたからだ。
まだアヒルの雛のような、心許ない羽根ではあったが。
~沈丁花・了~
~風の末裔 見えない羽根のおはなし・完了~
***
ここまでお付き合い頂きまして、まことにまことに、ありがとうございました
ずっとリメイクしたかった、【風の末裔・全七シーズン】の一番初めのお話、
ようやく書ききれて、とても嬉しい
時系列順
第一シーズン 【風の末裔~見えない羽根のおはなし~】14万文字
第二シーズン 【碧い羽根のおはなし】 14万文字
第三シーズンの1【ネメアの獅子】 11万文字
第三シーズンの2【春待つ羽色のおはなし】 9万文字
第四シーズン 【緋い羽根のおはなし】 16万文字
第五シーズン 【六連星(むつらほし)】 25万文字
第五シーズン余話【冬虫夏草】 4万文字
第六シーズンの表【ホライズン】 11万文字
第六シーズンの裏【砂の娘山の娘】 4万文字
第七シーズンの1【風のあしあと】 11万文字
第七シーズンの2【七時雨】 12万文字
短編として抜粋 【残り雪】1万文字
【星のかたちの白い花】3万文字
時系列はありますが、それぞれ独立した話です。どれを抜き出して読んでもOK。
*一番初めに、何気なく描いたラクガキ*
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