蒼と赤・Ⅸ
文字数 2,289文字
テムジンはさすがの草原の覇王だ。
人外達の補佐がなくとも一夜で敵本陣を制圧し、情報を得て、鴉使いの本拠地までたどり着いていた。
小狼は屋根の瓦礫から身を乗り出して、先頭で切り込むテムジンを見た。
丸一日しか離れていないのに、偉く懐かしく感じる。
「行こうぜ、あいつを止めてやらんと、付き合わされている周囲が気の毒だ」
しかし小狼は後退りして、尖塔の瓦礫にすっと立った。
「おい?」
「約束。アルを助けて貰う代わりに、何でも言うことを聞くって言ったから」
「あぁん? お前さんが俺様の希望に添える事が出来るとでも思ってんのか。思い上がりも甚(はなは)だしい」
「出来る事はあるよ。狼、私がテムジンの前から消えればいいと思っているでしょ」
「…………」
「その方がテムジンを自由に出来るものね」
赤い狼は妖精の娘をマジマジと見た。
確かに、あの人の皮を被った獅子王がまどろっこしい面を残しているのは、こいつが側に居るせいだ。しかし……
「俺様が消えろと言ったら消えるのか?」
「うぅん、消えてあげたいけれど、やっぱりそれは出来ない」
「だろうな」
「代わりに」
「…………」
「祓ってあげます。テムジンの隣を巡っての決着、今ここで付けてしまいましょう」
妖精の娘は残った一本の剣を抜いた。
もしも第三者がここに居たら、何でそれが代わりになるんだと、無茶な理屈に呆れるだろう。
しかし炎の戦神は、口を耳まで裂いて楽しげに笑った。
「奇遇だな、丁度俺様も、それを望もうと思っていた所だよ!」
狼の首回りから背峰に掛けて、バリバリと炎が燃え上がった。
先程までとは違う、本気の炎。
「勿論タダでは祓わせない、命を賭けろ。サシの命のやり取りだ。蒼の妖精の太古の術とのガチ勝負! ヒャアッハハ、骨の髄まで痺れるぜぇ!」
戦神なのだ。闘う中でしか己を保てない、身体の芯まで戦神(いくさがみ)。
相手に退いて貰って借りを作っては駄目なのだ。命を張って奪い合わないと。
対して小狼はシンと動かず、静かに剣に呪文を溜め始める。
「狼さ、私のこと戦場に向いていないって言ったよね。ここで躊躇(ためら)うぐらいなら、この先テムジンの役には立てないって事でしょ?」
「そういう理屈で構わんよ、どうせ俺様が勝つ。アイツが上がって来ない間にとっとと済ませちまおうぜ」
赤い狼は妖精と距離を取って、地面スレスレに身を低くした。
こいつの兄貴の蒼の長は、確かに強そうだったが、特に闘ってみたいとは思わなかった。
今、目の前にある強さは別の種類だ。背筋がザワ付く、ああ、面白れぇ……
小狼の引きつめていた髪がほどけてオーラと共に舞う。
狼の炎が更に白熱して辺りを焦がす。
城下で戦している人間達は、勘の良い者も悪い者も、皆一様に意味不明の鳥肌を立てた。
テムジンは必死に塔を駆け上がる。
間違いなく上で、取り返しの付かない事が起きようとしている。
小狼の剣が翡翠色に輝いた。
狼の炎も白から金に変わる。
双方空(くう)へ飛び、二つの光が上空で交わる。
光の中で、狼はスローモーションのように気付いた。
妖精の子供が大きくなれないのは、無意識にテムジンとお子様関係を続けていたいからだと思っていた。
違う。
この娘を子供のままにして置きたかったのは……折り畳んで自分の手の中に収めて置きたかったのは……テムジンだ!
テムジンから離れて、初めてこいつは成長し始めたのだ。
狼が垣間見たのは、透明な薄い羽根に包まれた、凜々とした女性の戦神だった。
しかし翡翠の輝きはすぐにしぼんだ。赤い狼の力が勝り、カミソリみたいな牙が妖精の子供の喉元に届く。
・・
・・・・
双方の光は消えていた。
小狼の剣はダラリと下ろされ、狼の牙は喉の直前で止まっている。
(なんで、なんでこの牙に力が入らないんだ、俺は!)
妖精の娘は静かに目を開いて、狼からするりと離れて剣を鞘に収めた。
「おあいこね。狼だって私を倒せない癖に」
「ほ、本気で来なかったのか? 俺様を試したのか? てめぇ……!」
「ううん、そんな怖い事出来る訳ないじゃない。目一杯本気だったのに、貴方の匂いを感じただけで剣の力が消えてしまった。貴方がその気なら、私はそれまでだった」
「…………」
鴉の残党を薙ぎ払いながら、テムジンが城壁に駆け込んで来た。
「小狼(シャオラ)――!」
二人はフサリと王の両側に降り立った。
「早かったな、テムジン」
「ご心配をお掛けしました、王」
テムジンは荒い息を吐きながら、子供のような心細い顔で二人を見比べた。
「鴉使いはほぼほぼ魔性だったぜ。まぁ、祓ったのはこいつの破邪の剣だ」
「魔の者と契約し過ぎて人間でなくなった者でした」
狼が素直に妖精の手柄を報告し、謙遜してアワアワしそうな妖精の娘はスンと落ち着いている。
テムジンは戸惑いながら双方を見る。
「……アルカンシラは?」
「あいつは」
「死にました」
狼が言うより早く小狼が言葉を被せた。
「死んだと思ってあげてください。二度と王の前に姿を現しません」
「何で……」
「普通の女の子だからです。いくら人外が見えたって、普通の女の子に貴方の隣は厳しいのです。大鴉に襲われて魔性の陰陽師に苛まれて、二度とそんな場所に戻りたくないと思うのは当たり前だわ」
小狼はポケットに残っていたトルコ石の玉を差し出してテムジンの掌(てのひら)に落とした。
王はそれを見つめて茫然とする。
「護衛しきれなくて申し訳ありませんでした」
妖精の娘はテムジンに頭を下げながら、その向こうの赤い狼をチラリと見た。
狼は、チッ、分かったよ、という風に口の端を歪めた。
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