金銀砂子・ⅩⅤ
文字数 3,199文字
神殿の広間で、少年と少女は目を開いた。
背中合わせに突っ立ったままだ。二人は飛び退くようにそこを離れた。
辺りには、今しがたまで戦闘が繰り広げられていたような、瓦礫と魔物の残骸が散らばっていた。
狼の言っていた、欲望に惹かれた魔物達だろう。
誰が一掃してくれたかは……疑問に思いようもない。
二人は無言で手を取り合って、入って来た扉を潜(くぐ)り、外へ向かって駆け出した。
もやの晴れた入り口から朝陽のオレンジが見える。三日目の朝だ。
しかし鏡の廊下から魔物の残党が湧き出した。
真正面には巨大な黒虎が、青竜刀を束ねたような爪を振りかざしている。
走りながらトルイは白銀の剣を構える。
その剣にイルが柘榴石の杖を重ねる。
二人、心を併せて唱えた。
――破邪!!!!
力強い声が長い廊下にこだました。
眩い光が神殿の外まで伸び、掻き消える魔物の残影を潜って二人は雪原に駆け抜けた。
次の瞬間神殿はミキミキと氷に覆われる。
再び迫り来るもやに追われるように、手を繋いで一気に崖を滑り降りた。
闘牙の馬がいななきながら駆け寄って来る。
「帰ろう!」
二人を乗せた馬は雪の斜面を滑走路のように駆け下(くだ)り、弾けるように飛び立った。
小さくなる馬影を眺める、神殿の上で伸びをする赤い背中。
「最後の魔法は、まぁまぁだな」
***
オタネ婆さんは幾度となく空を見上げていた。
パォにはテムジンと蒼の長が詰めている。
日の入りまでに二人の子供が戻らないと、蒼の長が風出流山に向かう事になっていた。
小狼(シャオラ)の馬にはもう鞍が置かれている。
婆さんとしては、長に行って欲しくなかった。蒼の長たる者に禁忌の場所に足を踏み入れて欲しくない。どうしてもと言うのなら、自分が行くと申し出た。
しかし普段けして我を出さないあの方が、今ばかりは自分が行くと言い張る。
だから子供達に、帰って来てくれ、頼むから日の入りまでに帰ってくれと、空を見据えて祈っている。
小狼(シャオラ)はベッドで目を閉じている。
オタネ婆さんと同じ気持ちだった。一生懸命動いてくれているトルイに、気が済むようにやらせてあげたかっただけだった。
男性二人も同様で、子供達に対しては何も期待していない。帰って来た時どう慰めようかとばかり考えていた。
だから、オタネ婆さんの歓声と共に帰還した子供達の晴々とした表情は、一同を戸惑わせた。
二人はパォに飛び込むや、尽力してくれた大人達への礼は後回しに……別の事を喋ると何かが溢(こぼ)れてしまうとばかりの勢いで……小狼の枕元に駆け寄った。
両側に座り込み、左右から手を握る。
小狼は不思議そうに二人を交互に見た。
イルアルティがまず口を開く。
「あの羽根は、イルのお母さんです」
・・!!
一同が揺れた。
小狼は目を見開いた。
「アルカンシラ・・?」
今度はトルイが口を開いた。
「見えない羽根になってずっと母さんを守っていたんだ。イルの事も守ろうとして、限界が来て折れてしまった」
「アルが……」
「力尽きて散った羽根は、そのまま天に召される筈なのに、そうならないのは未練があるからだって。それが母さんの身体に障りを起こしている」
「本当か、それは」
テムジンが口を挟もうとするが、蒼の長にそっと手首を握られた。
まずは子供達の話を聞きましょう、という合図だ。
「母さん、心当たりはない?」
「…………」
小狼は目を閉じて思い巡った。
アルカンシラに関して、確かに言わないでいる事がある。
それは自分が墓まで持って行く事だ。
言ったとて、誰も幸せになれない。テムジンは傷付き、イルアルティは裏切り者の子になってしまう。兄様だってオタネお婆さんだって、美しいままの思い出にしておきたい筈だ。
目を閉じて考え込んでいる母に、トルイがそっと言った。
「じゃ、俺が質問するから、それに答えてくれる?」
「え? ええ、分かったわ」
「アルカンシラは何で死んだの?」
「トルイ!」
テムジンが声を上げたが、長に促されて口をつぐんだ。
「アルは、戦の最中、敵方に攫(さら)われて人質に捕られました。その時に呪いを掛けられたの。逃げたら発動する呪い」
長とオタネ婆さんは、どんなに手を尽くしても弱っていく娘を見ているしかなかった日々を思い出して、暗い目をした。
「私が至らなかったせいです。護衛に着いていたのに簡単に攫わせてしまった。その後も呪いに気付かないで、アルを逃がす事しか考えていなかった。私のせいです」
「違います」
イルアルティが握っている手を両手で包み直した。
「お母君のせいではありません」
小狼は枕の上で首を横に振った。
「イルは優しい子ね」
「母さん、イルは適当言ってんじゃないよ。本当に母さんのせいじゃない。俺達、帰りの馬上で、二人で目一杯話し合ったんだ。そんで答えに行き着いた」
ベッドの女性は緊張し、後ろに立つ大人三人は口を半分開いて片手を上げかけた。
アルカンシラに関して不自然な点があるのは承知している。
だが今は愛すべきイルアルティが健やかに育ってくれている。それでいいではないか。
「お母さんは、敵方の人だった。王さまに害を成そうと近付いた間者だったんですよね」
娘の言葉に、室内の空気が止まった。
後ろの三人は唖然としている。
「何を馬鹿な・・」
テムジンは声を上げたが、小狼の凍り付いた表情を見て止まった。
トルイが後を継ぐ。
「それですべて説明が付くんだ。母さんが護衛すべき人を守れなかった事も、親友な筈の人の思い出を全然語らない事も。
敵方が掛けた呪いは『逃げたら発動する呪い』じゃなくて、間者の契約をする時に使われる『裏切ったら発動する呪い』だったんじゃないの?」
長はハッと目を見張った。呪いは契約に基づく物だった? 解く事が出来なかった訳だ。
その長とオタネ婆さんの方を向いて、トルイは続けた。
「オタネ婆さん、その人を蒼の里で保護して療養させていたって言ったよね。でもまったく身の上を話さなかったって。それって……」
テムジンが踏み出して息子の口を塞ごうとしたが、トルイの言葉が早かった。
「裏切った人の子供を身ごもって、途方に暮れていたんじゃないの」
テムジンが手を上げる前に、小狼が息子の頭を抱いて黙らせた。
跳ね起きるのにすべての力を使ってしまったのか、その後ヘナヘナと崩れ落ちる。
父親と息子は慌てて彼女を枕に戻した。
イルは離された手をもう一度握り直しながら、ベッドの反対側の王を見た。
「イルは大丈夫です」
トルイも母の手を握り直した。
「ごめん、俺、言葉が下手だ。だから母さんが話して。アルカンシラという人の『本当』を」
「トルイ、少し休ませてから……」
「いいえ」
テムジンの顔をしっかり見て小狼は言った。
「お話しします」
「オタネ婆さん!」
トルイが背中越しに、出口に向かう老婆を呼び止める。
「ここに居てよ。俺達、婆さんの子供だから」
皆が囲むベッドの上、小狼は目を閉じて静かに話し始める。
「アルカンシラは純粋な人。誰かが戦で血を流すのを止めたいとだけ考えていた。でも、信頼する人を間違えてしまったの……」
イルの余った手の方にトルイの手が伸びる。
二人は暗い海の漂流者のように強く手を握った。
テムジンはトルイと同じにひざまづき、長とオタネ婆さんはイルの側に寄り添って。
其々の体温を感じながら、黙って静かに、遠い女性(ヒト)の話を聞いた。
テムジンの一筋の涙を見て、小狼は突然、自分がアルカンシラにやり残していた事を悟った。
だから話の最後は、声に出さずに締め括った。
(アル、でもみんな、貴女を許すわ。そしてありのままの貴女を受け入れる)
アルは、テムジンにも誰にも、美化された虚像でなく、あがきながらも必死に生きた泥だらけの足跡を曝(さら)して…………自分を知って貰いたかったんだ……
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