風の末裔・Ⅱ
文字数 4,146文字
見上げるような石の塔が街の中央にそびえる。
今この街を制圧している部族の、力の象徴。
周囲は外敵に備えた長い石垣が建築中。
どちらも、荒々しく冷たい印象しか受けない。
女の子は、とっぷり暮れた夜空に黒々とそびえる塔を横目に、石垣に沿って歩いた。
人間の大人は怖い。子供とは別の生き物。元々草原に住んでいた人達はそうでもないけれど、集団で他所から来る大人達は桁外れに怖い。
前にこの街に住んでいた部族は追い出されて散り散りになり、今いる人達も後から来る者に怯えている。
ここ最近草原に来た人間達は、そうやって目まぐるしく押し合い圧し合いをしながら、恨み辛みを増やしている。
何がどうしてそうなっているのか、女の子には分からない。ただ、里の長さまや大人達は、人外界にも悪い影響が及ぶ事を憂えている。
小さな愛馬は、そびえる塔を気にしながらポテポテと着いて来る。空を飛べたら一飛びで塀を越えて奴隷小屋を捜しに行けるのだろうが、女の子は自分でも情けない程に飛行術が下手くそだ。
指導する大人ももう諦めて、叱る事もしてくれない。味噌っかすだからどうしようもないのだと。
やるせない気持ちでトボトボ歩いて、作りかけの石垣の切れ目に行き着いた。
そこから覗くと、篝火が一つと歩哨が一人二人。奥に粗末な長屋が連なっている。奴隷小屋って感じだ。
「鈴を拾った人間、あそこに居てくれればいいんだけれど」
鈴が見えるんなら、うんと小さい子供だ。
奴隷は大体が制圧された部族の生き残りで、女の人や子供が多い。が、うんと小さい子供はそう多くないだろう。自分の所で育てるよりも、誰かの育てた子を奪って来る方が安易だからだ。
女の子は石垣の前で唾を呑み込んだ。
妖精の姿は見られないと分かっていても、怖い物は怖い。
空を飛べると意外と見てしまうのだ。平和に暮らしている人達のパォが燃やされる様や、うずくまる者が棒で打たれる光景を。
一番怖いのは、それをやっている顔が笑っている事だ。あんなの永遠に相容(あいい)れられる筈がない。
ごく、ごく、ごくたまにだが、大人になっても妖精を見る事の出来る人間がいる。
例えば先代の妖精の長と友人だったという、人間の英雄。その英雄のお父さんもお祖父さんも、代々妖精を見る事が出来たらしい。
英雄の家系が繁栄していた時代は、妖精と人間が協力をして草原の平穏を保っていたという。修練所の授業で習っただけで、ピンと来ていないが。
「大人になっても妖精が見える人間は、怖い大人にはならないんだろうか」
何となく独り言を呟いて、石垣の内側にそおっと足を踏み入れ……
――!!
両手首を後ろから掴まれた!!
うそ、用心していたのに!?
気配なんか一切感じなかった。
風の術で逃れようとしたが、ビクともしない。何で!?
掴まれた所がヒヤッとする。水で冷やされた手だ。
「怖い大人じゃないから落ち着いて」
背後から急(せ)いたささやき声。声も手も幼児の物ではない。ジャラリと鎖の音。
女の子は身を捩ってもう一度『すり抜け風の術』を唱えた。これを使うと大概の者からはフィッと抜けられるのだが……手首はガッチリ掴まれたまま。
「いいから落ち着け、鈴が欲しいんだろ?」
もう一度声がささやき、女の子は思わず振り向いた。
子供……とも言えない、十四、五の男の子だ。ざんばら髪が獅子みたいな、強い目をした少年。
「こっち!」
冷たい手に引っ張られ、女の子は馬と共に、塀の外へ引き戻された。
「そこから塔の先端を見てみろ。瞬きせずに集中して」
「??」
言われるままに塔を見上げる。
何もない、さっきも何もなかった……後ろから掴まれた両手首がまたヒヤッとする…… んん? うすらボンヤリ、赤い影?
――!!
女の子は思わず悲鳴を上げそうになった。
――狼!!
普通の狼の何倍もある巨大な狼が、塔の先端に絡み付くように夜空に浮かんでいる。
全身燠炭(おきすみ)のように真っ赤に瞬(またた)き、首の回りや背中からは炎が上がっている。銀に光る目はギラギラと地上をねめつけ、大きな牙の覗く口からは熱そうな吐息。
よく見ると、周囲を小型の同じ狼が、見えたり見えなかったりしながらぐるぐると駆け回っている。
集中を切るとフッと消える。
勿論普通の狼ではない、魔性。しかも人外からも姿を忍ばせられる、高等なモノ。
「見えた?」
後ろから声。
女の子は黙って頷(うなず)いた。
「じゃあ、手を離すけれど、逃げないでくれる?」
一寸置いて、女の子はまた頷いた。
***
「水に濡らした手で両手首を掴まえると、風の術を防げるって教わった」
少年は両手の水滴を飛ばして服の裾で拭(ぬぐ)いながら言った。
粗末な奴隷の衣服。鎖の音は彼の手首に繋がれた物だった。
向かい合って距離を取り、妖精の女の子は無言で視線を落としてじっとしている。
「あ、見ての通り囚われの奴隷だけれど、小屋にいないで自由に出歩けているのは、歩哨も他民族の人間で馴れ合っているから。かと言って逃げないのは、仲間も大勢捕まっているから。鈴は勿論返すけれど、頼みを二つ聞いて欲しい。あと何か聞きたい事ある?」
少年は早口でささやいた。
女の子が口をつぐんだまま動かないので、少年は勝手に頼み事を話し始める。
「まず、あの狼の正体分かる? 知っていたら教えて欲しい。ずっとああやってこの街の上空に居るんだけれど、何が目的か分からない。思いもしない切っ掛けで突然襲って来られても困る」
女の子は黙ったまま首を横に振った。自分にも分からないという意思表示なのだが、少年は構わずに話を続けた。
「何でそんな心配をしているかというと、俺ら、今晩これから集団脱走をするから」
サラリと言う少年を、女の子は顔を上げて凝視した。
そういう事をやって捕まった者が、どんな目に遭わされるのかも見知っている。
「今は俺が一族の長なんだ、親父が死んじまったから。俺が仲間を守らなくちゃならない。部族の誇りも」
丁度雲が流れて、月の明かりが彼の立つ場所へ届いた。
少年は痛々しい傷だらけだった。
こんなに傷だらけなのに、何でこんな燃えるような目をしていられるのだろう。
「だからもう一つの頼みなんだけれど、逃げ遅れそうな者が居たら助けて欲しい」
「・・・・」
女の子は口を開いた。が、返事は出来ない。これは妖精の掟に触れるのではないか? だいいち鈴を返して貰ったとしても、自分の小さな馬ではどれだけの働きが出来るか分からない。
「出来る範囲でいいんだ。空を飛べるだけでも俺らからしたら凄い事だから」
まるで心が読めるかのように、少年は後を継いだ。
・・・・そうか、彼は、目の前の妖精が味噌っかすである事を知らない。
「あの……」
女の子はとうとう声を出した。
「それ……今日でないと駄目ですか? 私はあの狼の正体を知らないし、里へ戻って大人達に聞いたら……えっと、もっと良い方法が見付かるかもしれない……」
「無理、今日しかない、時間もない」
少年は即答した。
「あの狼、数が増えているだろ。身体の炎もいつもより燃え上がっている。そういう時に何が起こるかは今までに見て来た。戦(いくさ)だ。狼の数が増える程に、大きい戦になる。おそらく今晩、他部族の大規模な夜襲がある。ずっと機会を伺っていた逃げるチャンスなんだ」
「狼……炎が燃え上がる程に大きい戦……」
女の子には思い至る事があった。修練所の授業で習った気がする。でもうろ覚えで確信が持てない。
「俺ってさ、『何か』を持っているんだ。ほら、今日という日に金の鈴が足元に転がって来て、そして張っていたら案の定あんたがやって来た。これは、あんたの協力を得てチャンスを物にしろって事なんだ。
運命は待っているだけじゃ変えられない。親父もその親父も当たり前にそうやって、『何か』の力を最大限に生かして部族を守って来たんだ」
女の子は、ただ彼の顔を見つめる。
自分には縁の無い、自信に満ち満ちた言葉がドシドシと出て来る。こんなに自分を信じられるヒトなんて、妖精でも人間でも出会った事がない。
「ねえ、狼が東を睨んでどんどん数を増やしている。多分敵方が迫っているんだ。早く約束して。『風の末裔の一族』は、約束事を絶対に違(たが)えないんだろ?」
私達の正式名称まで知っている。この子…………とまで考えて、女の子は別の事にハタと気が行った。
「あっ、あの、東って、夜襲して来る部族って、もしかして東の川沿いに野営していた軍団?」
「ああ? 多分そう。狼がそっちをずっと気にしてる」
答えを聞いて、女の子はさぁっと青くなった。
川とこの街の間に、先程の兄妹達の暮らすコミューンがある。彼らは移動する民族で、安全そうな場所を選んではいるのだが、脅威の対象も移動するのでそういう不運も起こる。
侵攻する軍隊にとって、路上の牧畜農家など、塵芥(ちりあくた)な養分でしかない。
「どうかした?」
「あっあの……鈴……鈴……」
この少年は自分の仲間が一番優先だ。他の友達に知らせに行きたいと言って、鈴を返してくれるだろうか。
少年は妖精の女の子をじっと見る。
「進路上に、知り合いでもいるの?」
本当に心が読めるんだろうか。吸い込まれそうな真っ黒い瞳。全て見透かされている気がして、女の子は正直に白状した。
「居ます、友達のパォが。お願いします、鈴を返して下さい。ひとっ飛びして逃げるように知らせたら必ず戻って来ますから。その鈴がないと飛べないんです」
少し間を置いて、
「……分かった」
少年は傍らの石垣から石を外して、奥に隠してあった鈴を取り出した。
「えっ」
「待ってる」
あまりに呆気なく鈴を返して貰い、女の子は一瞬躊躇したが、すぐに慌てて鈴を受け取って、愛馬の首にくくり付けた。鈴が光って、馬の草の隙間に風を孕ませる。
浮き上がりかけた馬によじ登り、女の子は今一度少年を振り返る。
彼は真剣な表情で、手を肩の高さに上げて振っている。
信頼してくれているんだ、今さっき初めて出会った自分を。
「ありがとう、約束します、絶対に絶対に戻って来ます!」
渦を起こして小さな馬は一気に舞い上がった。
ガール ミーツ ボーイ
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