金銀砂子・ⅩⅠ
文字数 2,589文字
朝になり、一体の若い蝙蝠に先導されて二人は出発した。
昨日程ではないにしろ、また突風に煽られる。蝙蝠はヒョイヒョイと風を受け流しながら、こちらを振り向いては風が来るタイミングを教えてくれた。
見えている頂を越えると、なるほど向こうにうっすら山影が現れた。
「ココカラ先ハ、ワレワレモ、行ッタコト、ナイ。アンナイ、ココマデ」
「ありがとう、氷蝙蝠さん」
若い蝙蝠は無事を祈る手旗(サイン)を送りながら去って行き、二人は闘牙の馬の上で感謝の手を振った。
ここからは本当に、未知の領域。
風圧は緩くなったが、多分空気が薄くなったせいだ。
闘牙の馬が風を孕めなくなっているのが分かる。
雪の斜面に着地しては少し飛ぶ事を繰り返したが、ある地点でもう舞い上がれなくなった。
蝙蝠翁が教えてくれた頂が見えている。
もう少しだ、後は歩いて。
最初乗馬していたが。流石の闘牙の馬も、雪を掻いての登りは体力を消耗する。
トルイが降り、そしてイルも降りた。
「お前は乗ってろよ」
「イルはこれでも重いんです」
「お前さ、屁理屈こきの意地っ張りって言われない?」
「お父さんによく言われます」
二人は馬の踏んでくれた跡をザクザクと歩いた。本当に闘牙の馬がいていれて良かった。長の事をシスコンとか好好爺とか陰口言うのはもうよそう。
「お父さんって、どっちの?」
「人間の方のお父さんです。長様の事は私が勝手に呼んでいるだけだし」
「人間の家族が好きか?」
「はい、皇子様・・トルイさまも、そうでしょ」
「俺は違う……」
「…………」
「もしお前が、こんな真っ赤な髪に銀の瞳をしていたら、お前の家族は受け入れてくれたかな?」
しまった、こんな女々しい事を言うつもりじゃなかったのに…… トルイは後悔したが、イルは暫く視線を空中に游がせ、ああそうか、と呟いた。
「イルは小さい時から青い髪のヒトを当たり前に見ていたから、トルイさまを初めて見た時、ああ都には赤い髪のヒトもいるんだ、って思いました」
「……?……」
「銀の目が光った時はビックリしたけれど、やっぱりイルが知らないだけで、広い世界のその辺には、その位の人、普通にゴロゴロいるんだろうなぁ、って」
トルイの目の前で何かがパンと弾けた気がした。
「イルのお父さんも同じだと思います。子供の頃に青い髪の子と友達だったんだから、もし赤い髪のイルが落っこちていても、あんまり何も考えないで拾い上げるんじゃ…………? 何笑ってるんですか?」
「ああ、何でもない、何でも……」
皇子は笑いすぎて涙をこぼしていた。
こんな雪と氷の世界で何かを溶かす力があるなんて……こいつ、凄いよ……
***
四つ足の馬では厳しい角度の崖が出現した。
小さな人間なら登れそうな細いキレットがある。
「お前、ここで待っていてくれる? 明日中には絶対に戻るから」
鐙(あぶみ)を上げ、手綱を鞍に縛って、トルイは馬の両頬を挟んで銀の目で見つめる。
もう二日目の夕方。明日の日の入りまでが大人達との約束だ。
崖は思ったより短く、二人はほどなく広い棚に出た。
山の頂点が目の前にそびえる。
その真下は見上げるような氷の壁。
表面はツルツルで何の取り掛かりもない。
ここから先には進めないのか?
しかしイルは、ニコニコしてその壁を見上げている。
「やりましたね!」
不思議顔で、何が? と聞く皇子に、イルは戸惑って答えた。
「え、確かに、神殿にたどり着くだけじゃ駄目なんだけれど……」
「神殿って、どれ?」
イルが指差す場所は、氷の壁があるばかりで、どんなに目をこらしたって何も見えない。
イルは罰悪い顔で黙ってしまった。
こいつは意地っぱりだけれど、嘘は言わない。
「どんな神殿?」
「あ、はい。・・太い氷の柱が両側にそびえて、大きな入り口。奥は山を堀り抜いた感じで、先が見えません。でも入り口が氷漬けです」
「入れないの?」
「はい……ただ、ここに意味のありそうな標(しるし)があるんです」
イルが進み出て、雪原のある一点に立った。氷の壁の真正面で、足元の氷の下に太陽の標があるという。トルイにはやはり見えない。
「解錠の魔法、使ってみましょうか」
「あ、それなら俺も習ってる」
二人で並んで、杖と剣を掲げて呪文を唱えた。
小さな風が立ち上がって氷壁を撫でる。
――パシン!
氷に亀裂が入った。それが瞬く間に広がって・・
やったか? と思うより早く、氷壁が一気に砕けた。
開錠の魔法が効いた? 違う。
巨大な破片が鋭い切っ先を向けて、二人目がけて一斉に飛んで来た。
招かざる者に対する攻撃!?
「あぶな・・!」
トルイは咄嗟にイルを庇うが、剣で弾ける量じゃない、やばい!
地を這うように一直線に雪を蹴るモノがあった。
それは一瞬で、牙で男の子の襟首を、爪で女の子の胸ぐらを引っ掛け、垂直にジャンプした。
氷のナイフ達は二人のいた地面に刺さり、盛大に砕けて白い粉となる。
いきなり空に連れて行かれた二人は、今度は急下降し、地面にゴロンと放り出された。
何が起こったのか?
転がったまま呆然と見上げる二人の前に、見馴れすぎた赤い色。
「お前らの来る所じゃねぇ! どチビどもが!」
***
燃えるように真っ赤な、水牛ほどもある狼。
口の端からも炎がチロチロと洩れ、銀の三白眼は鋭い光を放っている。
魔物? 神殿の魔物だろうか?
しかしトルイは、それ以外の事で頭が一杯になっていた。
何で俺と全く同じ色の赤い体毛、銀の瞳? 何で、何で?
狼は踵を返すと、「帰れ!」と言い捨てて頂上の方に跳び、姿を消した。
「ま、待って」
トルイが追い掛けようとするのを、イルが腕にぶら下がって止めた。
「罠かもしれないです!」
「邪魔す……」
怒鳴りかけたトルイの両頬を、小さい両手がパチンと挟んだ。
「何すんだ!」
「貴方は何をしにここへ来たの!?」
「あ・・」
目の前に火花が散ったかと思ったら、いきなり氷壁に巨大な神殿がそびえ立った。
「ああああ、ああ・・!」
「見えるんですか?」
「ああ……」
「良かった」
「俺、覚悟が足りなかったのかもしれない」
トルイは肩で息を付いて、イルをしっかり見た。
「すまなかった」
「いえ、こちらこそすみませんでした。ほっぺ、痛かったですか?」
「いや……」
オタネ婆さんがこいつを無理矢理着いて来させた理由が、トルイはだんだん分かって来た。
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