白い森 ~寂しい天の川~・Ⅲ
文字数 3,480文字
カワセミが赤毛の子供の馬に近付き、顎をちょっと掻いてやってから、その手を首筋に滑らせた。
ノスリとツバクロは固唾を呑んで見守る。
「あれ?」
「どうしたの? 何か変?」
「・・いや、きれいな瞳だ」
「サンキュ、ぼちぼち帰すね。あんまり遅くなるとあのヒト心配するし」
「あ、ああ・・」
鐙(あぶみ)を結わえて手綱を外し、子供は短い呪文を詠唱した。
馬はフワリと風をはらみ、円を描きながら上昇して雲の中へ消える。帰り先を悟らせぬよう、普段からそういう風に仕込まれているのだろう。
(それにしても、飛行術まで知っているのか、この子供……)
ツバクロが子供に二人乗りのレクチャーをしている間、離れた所でノスリがカワセミに寄った。
「どうだった?」
「・・分からなかった」
「どうして?」
「防御・・馬自体、強い術で守られている。ボク、そういうのはソコソコ破れる自信があったんだけれど・・」
「お前でもか」
カワセミは唇を噛んだ。
自分の術力は里で一番長に近いと自負している。それが通用しないなんて初めてで、言いようのない不安に襲われている。
まぁ、でも、長の元へ戻るまでの辛抱だ。
もしも長が皆に明さないスタンスでも、後で一人でこっそり聞きに行けばいい。あのヒトはボクにだけは教えてくれる。
心を乱される事はごめんだ。厄介事もごめんだ。
「あ、あれ!」
不安の種の赤毛が、空の一点を指差した。
さっき返した鷹が、再び舞い降りて来た。
逆さにしていた書簡筒が正位置に戻っているから、新たな手紙を運んで来たのだ。
ツバクロが開くそれを、全員で覗き込む。
【――危急の用事で東方に出向かねばならなくなりました。二、三日は戻れません。流石に私の不在時に人間を里に迎え入れる事は出来ませんので、その子供と白い森で待機していて下さい。追って鷹で連絡します。
P・S ごめんね 】
「…………」
「…………」
「・・・・」
「ふ――ん」
後ろから子供が覗き込んでいるのに、三人はびっくりして振り向いた。
「読めるのか?」
「うん、一応師匠に習ったし。二、三日って、どうなるの? ここで夜営するの?」
「ああ、だけれど……」
この子は身なりが良いし、森で地面に寝たりするのは抵抗があるかもしれない。一旦帰宅するよう促すか?
ツバクロが言葉を探している間に、子供は岩山を駆け降りて振り向いた。
「やったあ、皆でキャンプ! さっき風穴を一杯見付けたんだ。寝るならあそこがいいよ。こっちこっち!」
三人はもう、気遣ってやるのも馬鹿馬鹿しくなって、溜息を吐きながら、馬を引いて、駆け降りて行く子供の後に続いた。
夜営の寝床を設(しつら)えたり薪を拾ったりしている合間、ツバクロが一人になった時に、カワセミがスゥッと横に来た。
「あのヒト、時々こういう事やるよね・・」
「ああ、まあね」
ツバクロは曖昧に返した。
多分これは長の故意だろうが、知らない振りをして流れに乗っているのが吉だ。
長に従っていれば間違いない。
「ボク達とあの子供とを近付けて、長は何がしたいんだろうね。ボク、コドモにあんまりイジられるのは嫌(ヤ)だよ」
「さぁ、あまり考え過ぎない方がいいよ。いざとなったら僕が間に入るからさ」
「うん、頼むね」
水色の妖精は軽い薪だけを引き摺って、竈を作るノスリの方へ歩いて行った。
遅れて重い薪を肩に担ぎながら、ツバクロはカワセミの言った言葉を反芻する。
――長は、何がしたいんだろうね・・
僕達三人はいずれ、蒼の長を継ぐ。
成人の名を授かった時、長にそう宣言をされた。
最初ビビったが、三人で協力する『三人長』と言われて、少し安心した。
今代の長には直縁の子孫がいない。今後出来るかもしれないが、まだこの世にも居ないあやふやな者より、目の前の実力者を重用(ちょうよう)しましょう、というのが長の考えだった。
一人一人の力は長に遠く及ばないが、カワセミの術、ノスリの剣、ツバクロの知を合わせ、三人で補い合えばやって行ける。
自分達も里の皆も、それで納得している。
今が一番ベストなのだ。今の状態でどこもいじらなくていい。いじられたくない……
「おい、赤毛」
焚き火を囲んで、焼けた肉に手を伸ばそうとする子供に、またノスリが絡んだ。
「食べるにも作法って物があるんだ。まずは年長者から」
子供は素直に手を引っ込めた。
「ほぉ、殊勝じゃないか」
「師匠に、何でも教わって来いって言われた」
「年長者って誰?」
カワセミがホワンと聞く。
「ああ――誰だ? 俺は八月生まれだが」
「ボク、十二月・・」
「あ、じゃあ四月の僕だ」
ツバクロがさっさと手を出し、全員順番に肉の串を取った所で、畏(かしこ)まって本日の糧への感謝の祈りを唱える。
毎日やっていたわけじゃないが、この子がいる間は手本としてやる羽目になりそうだ。
「三人は同い年なの?」
「ああ、子供の頃から一緒で、三人一緒に弟子入りしたんだ」
「へえ、いいな……」
「お前、友達いなさそうだもんな」
「いるよ! けど、小さい時から師匠に付ききりだったから、あんまり遊ぶ時間、無かった」
「人間の君に、どうして妖精が師匠に付いたの?」
「それは……俺に妖精の資質が現れたから。思ったよりも強く出ちゃって、危ないからって、まずは抑える事を習った」
ツバクロはノスリと顔を見合わせた。
アナーキーな妖精が、無責任に人間に術を教えたって訳ではないみたいだ。
***
「ボク、肉はいらない」
さっきから黙って焚き火を睨んでいたカワセミが、手付かずの串をノスリに押し付けた。
「ああ、またか?」
「うん」
ノスリは特に心配する風でもない。
子供が心配そうにキョロキョロしているので、ツバクロが先回りして説明した。
「カワセミは新しい術が入りそうな時は、身体を研ぎ清まして口に入れる物を制限するの。いつもの事だから心配しなくても……」
しかし子供は興味一杯にカワセミを覗き込んだ。
「術が入るってどんな感じ? 肉を食べないとそうなるの?」
カワセミは露骨に嫌そうな顔をし、ノスリが割って入った。
「人間には無理だろ。妖精の中ですらカワセミは特別なんだ。『物事の本質を見極め、この世の流れを見据える力』。里の中でも蒼の長に一番近いと言われている能力なんだぞ」
術者としての水色の妖精は、他の二人のちょっとした誇りだ。
しかし子供はノスリを飛び越し、いきなりカワセミの両手を掴んだ。
「教えて!」
「・・ナニ?」
「それこそ俺の求めるモンだ。物事の本質を見極め、世界の流れを見据える力! それが出来る者になりたいんだ!」
「放してよ」
カワセミは冷静に子供の手を振り払って立ち上がった。
「ボク、日課の修練に行って来る。その子が邪魔しに来ないように見張ってて」
「ああ、行ってら」
髪を振って繁みを分け入る後ろ姿を見送って、ノスリは押さえ付けていた子供の口から手を離した。
「ぷはっ、何で? カワセミさん怒ったの? 俺、謝りに行かなきゃ」
ジタバタする子供を抱えたまま、ノスリは眉間にシワを入れて相棒を見る。
ツバクロは息を吐きながら子供の真正面に来て、目の高さに屈んだ。
「何を怒らせたか分からないままの謝りの言葉は、意味を持たないと思うよ」
「……でも、ひとことくらい」
「それ、君だけの自己満足だから」
「おいおいツバクロ」
子供が手の中でショックで硬直して、ノスリの方が慌てている。
厳しすぎたか。この年頃の男の子は加減が分からない、自分も通り過ぎて来た筈なんだが……
青年は今一度子供の銀の目を覗き込む。
「物事を知りたい気持ちは悪い事じゃない。でもカワセミは小さい頃から食べる物も制限して、全ての時間を術の為に捧げて来たんだ。それを軽く扱われたら、自分の人生を否定された気分になる。君だってそんな経験あるだろ?」
子供は口を結んで、目の前の青年の言う事を一所懸命に聞いている。
クソガキだが、言えばちゃんと分かろうとする奴なんだな、とノスリは思った。
「俺、酷い事を言っちゃった。どうしよう……」
子供は項垂れて呟いた。
「今日は触れないでおけ。修練後はピリピリしているからな。謝るなら明日の朝イチがいいぞ。起きがけのボォッとしている時ならあいつ寛容だ」
ノスリは押さえていた手を離して、カワセミに貰った肉を半分に割いて子供にくれてやった。
「お前さん、急ぎ過ぎなんだよ。習得したい術があるんなら、里へ行ってから長に相談してみな」
子供は素直に肉を受け取って、かじった。
「うん、そうだね。俺、時間の制限があるから焦ってしまって。夏にはもう行かなきゃならなくて」
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