蒼と赤・Ⅶ
文字数 2,577文字
小狼(シャオラ)は周囲を見回した。
「狼狽えるな、アイツが見ている」
見張りに残った黒虎が、結界の向こうから不審げに覗いている。
小狼は虎に背を向け、ベッド駆け込んで突っ伏した。
「うわああ――ん、うえええ――ん」
黒虎はやれやれという感じで、入り口から離れてそっぽを向いた。
「どこ?」
枕に顔を埋めたまま小声で聞く。
「俺様が分身を作れるのは知っているだろ。本体は屋根の上」
耳に手をやると、狼の硬い体毛が数本、指に触れた。
「鴉は?」
「俺様があんな小者に気取られるようなドジを踏むと思ってんのか、お前じゃねぇんだ」
「ごめん……」
「ああ、分かった分かった、今は脱出するのが先だ。草の馬は地下に繋がれていたから、ここを出たら自分で取りに行けよ。俺様は他を引き付けて置いてやる。まったくお前さんが質とか、冗談じゃないからな」
「そうじゃない、狼、先にアルカンシラを助けて」
「はあああ!?」
狼が思わず声を上げたので、黒虎がまた覗き込んだ。
「ああ――ん、ひっく、ひっく」
妖精の泣き声で、虎はうっとおしそうに引っ込む。
「狼、お願い。私は自分で渦中に飛び込んだ身だけれど、アルは静かに暮らしていた所を巻き込まれたのよ」
「いやいや、あいつ思いっきり間者だったんだろが。テムジンがここに居ても、『放っとけ』って言うぞ」
「それは……・・でも助けて。狼の言うこと何でも聞くから。契約してもいい」
「いい加減にしろ!」
妖精の娘ははなだ色の瞳でじっと分身の毛を見つめる。
――くそ!
「分かったよ、あの娘を外に逃がせばいいだけだな」
「ううん、私の所へ連れて来て」
「は・・」
また大声を出しそうになって狼は口をつぐんだ。
あああ、面倒くせえ!
「そいじゃ一度で済ませるぞ。あの娘を助けながら騒ぎを起こすから、お前はそれに便乗して自力で脱出してこちらへ来い。出来るな?」
「うん、狼、ありがと……」
「言うな! 俺様はお前に礼を言われるのが、この世で一番大っ嫌いなんだよ!」
赤い毛は妖精の手を離れて、壁の隙間にすぅと消えた。
程なくして、大きな破壊音。
建物全体が激しく揺れる。
***
「派手ね」
小狼は呟いてベッドから身を起こした。
何でだろう、凄く冷静になれた。
狼が来てくれたお陰? だとしたら何か悔しい。
入口を向くと、黒虎が音のした方を気にしながらも、こちらを凝視している。
「何があったのかしら? ね、黒虎さん?」
また破裂音がして、虎はそちらへ顔を向けた。今だ!
――真空!
素早く唱えて、風の渦を結界の手前に飛ばした。渦巻く風が、周囲の物を吸い込む。
油断していた黒虎も真空に引っ張られ、一回転して間にある結界に激突した。
虎だってやっぱり痛い。唸りながら無茶苦茶に暴れて、入り口周囲の壁を壊してしまった。
支えの無くなった結界は、急激に収縮して、瓦礫と共に虎を呑み込む。
ごあぁ! という悲鳴と共に、爪を宙に一掻きし、黒虎は結界の中へプツンと消えた。
後には、運よく下の階に通じる大穴。
階下の人間の兵士達が何事かと右往左往している。
小狼は息を吸い込んで、そのまま大穴に飛び降りた。
***
月が煌々と照らす、砦の塔の屋根の上。
赤い大きなケダモノが、黒髪の少女を咥えてぶら下げている。
「助けて、助けてぇ……」
城壁から見上げるのは、墨将(メィジャ)。
「そいつはテムジンの所の戦神(いくさがみ)だ。怒りを買ったな、諦めろ」
「嫌ぁあ!」
赤い狼は、アルが監禁されていた部屋をいきなり叩き壊して、何も言わずに彼女を咥えて屋根に飛んだのだ。
タダで助けてやるもんか。怖い思いの一つもしやがれ!
「狼さん」
ぶら下がりながらアルが小さな声で言った。
「今轟音がした部屋は小狼(シャオラ)がいる所だわ。早く助けに行ってあげて」
「…………」
「私の事は気の済むようにして。早く小狼を。虎の唸り声もしたわ。お願い早く」
またかよ!
狼は、自分でも血管が二、三本ブチ切れるのが分かった。
「てめぇら、これ以上俺様に『お願い』すんな! 俺様はそんな何でも聞いてやるような『いいヒト』じゃねぇ!!」
思わず開いてしまった口から、アルの身体が転がり落ちる。
「きゃっ!」
狼は慌てて追い掛けて、屋根の端で取り押さえた。
「危ねぇ危ねぇ……あ」
墨将がワナワナ震えながら見上げている。
「茶番かあ! 謀(たばか)りおって! 行け!」
陰陽師の影が延びて、白虎が飛び出した。
「はぁん? 俺様が娘を庇って自由に闘えないとでも思ったか?」
狼はアルを掴まえていた前肢をあっさり離して、白虎を迎え撃った。
「きゃああ!」
アルは簡単に屋根から落ちた。
次の瞬間、蒼の妖精の駆る草の馬が、屋根の下から現れる。首にアルを引っ掛けて。
小狼はアルを抱えたまま、屋根の天辺に馬を下ろした。
「狼、ちょっとだけ時間稼いで」
「ヒト使いが荒過ぎるぞ!」
赤い狼は白虎とガッツリ四つに組みながら、陰陽師の方へ飛んだ。
墨将が慌てて避けた後に、二頭の戦神が絡まって激突する。
「小狼(シャオラ)、私、私……」
「時間がないから私の話だけ聞いて」
小狼はアルをきちんと鞍に座らせて、自分は下馬した。
「集落へ帰っては駄目。テムジンの元も、北の都の後宮も駄目。貴女とお腹の子供が戦から逃れて本当に安心出来る場所」
一旦息を呑み込む。
故郷を出てから、極力迷惑をかけないようにと縁を絶っていた。
でもアルと子供を様々な柵(しがらみ)から守って貰えるのは……
「蒼の里を目指して。この馬が場所を知っている。私の兄がいるわ。兄様を頼って」
「小狼……」
アルに何を言う暇も与えないで、小狼は馬の尻を叩いた。
しがみついて何かを叫ぶ娘を乗せて、草の馬は一気に跳躍した。
鴉が一斉に飛び立ったが、呪文の効いた馬は彗星のように夜空に消える。
「もういいのかよ」
赤い狼が、白虎の首をペッと吐き捨てながら隣に来た。
城壁では、怒りの陰陽師が黒いオーラを発散させながら、次々と怪しげなモノを召喚している。
「うん。後はあいつをやっつける」
小狼は屋根の天辺で、狼と背中合わせに剣を構えた。
何処で調達したのか、三本の細剣を腰帯ごとたすき掛けに背負っている。
「あれは人間扱いしない方がいいぞ」
「やっぱりそう?」
「掟破りになるとか惑っている余裕はねぇって事だ。・・来るぞ!」
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