カタカゴ・Ⅱ
文字数 3,003文字
その頃、山沿いの沼地に、巨大な蟲が異常繁殖していた。
何処まで成り行きに任せて、何処から手を出すべきなのか、判断するのも蒼の長の役割りだ。
害を成すモノは排除! で済ませていては、必ず破綻する。
広く遠くまで見渡す必要があるのだ。
理由も無しにそれまでの理が崩れたりしない。
流れを見据える蒼の長の目が頼られる由縁だ。
昨日から蕭々(しょうしょう)降っていた雨が本降りになり、空が暗くなる夕方。
沼の周囲に住まう部族に話を聞きに行った兵士が、渋い顔で帰って来た。
「一番古く生きている翁も、初めて見る繁殖ぶりだそうで。平常なら成虫は二、三匹しか見られないのに、今は目に付くだけで十数匹、しかも倍の大きさです」
厩横の詰め所で、馬の雨養生を外しながら、長に報告をする。
「そこまで異常な繁殖ぶりとは、何か理由があるのかもしれない。翁は、他に何か言っていませんでしたか? 例えば最近のこの悪天候についてとか」
「あ、えっと……聞いて来いと言われたのは蟲の事だけでしたので」
「…………」
「長!!」
慌ただしく飛び込んで来たのは、修練所の若い教官だった。
「どうしました?」
教官の後ろから、足元のおぼつかない幼い女の子が着いて来た。
「イトコのお兄ちゃんたち三人が、夕方、ムシの沼に行くって……止めたんだけれど勝手にお馬で飛んでって、帰って来ないの」
「な、なんですって!?」
「先月馬に乗り始めたばかりの子供達です。気の大きくなる年頃で……」
「解説は要りません!」
長は雨衣をはおって、外に飛び出した。
「闘牙の馬を引け! 雨に強い馬の班を招集、準備次第沼へ! 私は先に行きます!」
伝令が飛び、各所から兵士達が走って来た。
まさに飛び立とうとする長に、教官が、私も行くべきでしょうか? と尋ねる。
当然でしょう! と喉まで出掛かるのを呑み込み、お願いしますと叫んで飛び立つ。
雨脚は強くなり、普通の草の馬の脚力は宛てにならない。
闘牙の馬は雨を突いて一騎、矢のように飛んだ。
沼の畔に近寄る頃には辺りは真っ暗で、どうどうという水の音だけが響いていた。
闇の中、馬を空中で停止し、長は両手を回して印を結ぶ。
――蒼の一族の血を持つ者・・
――血に応えよ・・
即座に眉間に三つの反応がよぎった。
よかった、生きている。
反応のあった方向に目を凝らすと、茅草に覆われた中洲が見えた。
暗闇の中、長は更に、同族の血をかぎ分ける。
折り重なった草の間、抱き合う三人の子供が見え、長は胸を撫で下ろした。
「長さまっ、長さまぁっ」
馬から飛び降りた長に、子供達が駆け寄った。
「怪我は無いようですね。貴方達の馬は?」
三人が泣きべそで指し示す先に、ずぶ濡れになった三頭の草の馬が半分泥に埋もれていた。
「う……わあ……」
子供って、何で一番やっちゃイケナイ事をやらかしてくれるんだろう……
「沼地に馬を降ろしちゃ駄目って習いませんでしたか? あぁ、説教は後です」
長は空中で待たせていた闘牙の馬に術を飛ばし、高く舞い上がらせた。
上空で馬は白く明滅する。
「さあ、後は後発部隊を待ちましょう。こちらへいらっしゃい」
屈んで三人を抱き寄せ、自分の雨衣を、被せる。
三人とも冷えきっているが、顔色は大丈夫だ。
「何だってこんな日に蟲の沼に来ようと思ったんです?」
「こいつが……」
「お前だろ……」
「自分のする事に責任を持たない者は、立派な草の馬の乗り手になれませんよ」
二人は項垂れ、三人目の一番背の小さい子が告白する。
「ボクが言い出したんです。トモダチを助けに行こうって」
「友達?」
「中州にトモダチが居るの」
「水が増えて怖いって」
「だから助けに来たのに、見つからないんだ」
「友達なのに……見つからないんですか?」
「だって、会った事ないんだもの」
「??」
「長さまお願い、トモダチを助けて」
そんな無茶な……
しかし三人は真剣な様子で、嘘を言っている風ではない。
「では、こちらへ手を」
長の差し出された手の平に、三人の小さな手が重なる。
「友達の事を強く思って下さい」
長も集中する。
確かに一定のイメージが流れ込み、一つの場所を示す。
長は立ち上がって、そちらへ歩いた。
「この辺り……?」
中洲の少し高い所に薮があるばかりだ。
「あっ」
ひとつ雨衣の下に六本足で動いていた子供達が、足元に何かを見つけた、
「キミ、こんな所に居たのか!」
そこにはキビタキの巣があり、卵が幾つか残っていた。
まだ僅かに生きているが、親鳥は居ない。
ギリギリまで護っていたのが増水で諦めたか、蟲に喰われたか……
「今晩中に水に沈んでいたでしょう」
長は巣ごと持ち上げて子供達に渡した。
一番大きい子が、大切に懐にしまう。
(卵の内の者の声を聞いていたのか。まったく子供って……)
「長さま、あの」
真ん中の背丈の子が、遠慮がちに口を開いた。
「はいはい、今度は何ですか?」
「生物学で習ったのですが、蟲って」
「はい、蟲って?」
「点滅する光に寄って来るんじゃなかったですか?」
「!!!」
わ・す・れ・て・た・・・!!!
雨闇の中を見渡すと、大木程もある巨大蟲達が、鎌首をもたげて中洲を取り囲んでいる。
トモダチ捜しに構けていて、気付けなかった。
(何たる失態!)
腕を上げて、闘牙の馬を別方向に移動させるが、遅かった。
何匹かは馬に着いて行ったが、既に大多数は中洲の四人の体温に執着している。
(倍の大きさドコロじゃない、ほぼ大型魔獣だろ、こんなの!)
「長さまぁ・・」
「三人、雨衣をしっかり被って、私の真後ろに、出来るだけ身を低くしていなさい」
剣を抜いて、呪文を含ませる。
真空術で薙ぎ払うしかないが、最初の一撃でどれだけ倒せるだろう?
腰を落としたその時、上空がにわかに明るくなった。
同時に火の付いた草の束が、中洲のあちこちに落ちて来る。
「うわっ」
「くっさ!!」
蟲達は首を振って縮まりながら退散して行った。
蟲避けのニガヨモギの煙。
こんなに機転を効かせてくれるのは……
「オタネお婆さん!」
上空に、兵士に指示を出している婆勇者のエンジの馬が見える。
「助かりました……」
沼地の馬にロープを掛けて引き揚げ、子供達は兵士の馬に分乗させて、全員が飛び立った所で……
山が唸り出した。
どっどっどっ・・・
どどどどどどどど!!!
「鉄砲水じゃ!」
「もっと上空へ!」
間一髪だった。
山から一気に流れ落ちた土砂が、みるみる沼の形を変えて行く。
皆口を閉ざして、どうしようもない大地の力を茫然と眺めていた。
子供達は、衣の上からキビタキの巣をさすり、口を一直線に結んでいる。
「あ!?」
若い教官が叫んだ。
松明で照らされた先の方、水に押し流された巨大蟲が、沼の流れ口に引っ掛かる。
蟲は段々に重なり、水の流れを緩く塞き止めてしまった。
彼らはこのまま死んで石になり、天然の堤となる。
これにより、下流の森や集落は、大きな被害を免れるだろう。
「蟲の増殖は、これを予見していたのでしょうか?」
長はオタネお婆さんに尋ねる。
「奴等は何も考えとりませぬ。在るのは何らかの意思、それだけですじゃ。下流の者達は、まだ滅ぶべきでなかったという事」
「蟲を切り刻んでいたら……」
「長様、わしら小さい者は、その場その場で精一杯をやるだけなのですじゃ」
長は雨に打たれながら、一匹また一匹と折り重なる蟲を見つめていた。
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