カタカゴ・Ⅲ
文字数 2,904文字
群青の髪を垂らして、長が小机に突っ伏している。
「どうされたのですか?」
ベッドのカタカゴの君が、小首を傾ける。
「昨日の己の無能ッ振りに、落ち込んでいるのです」
「そうなのですか? オタネお婆さんのお話しでは、三人の子供も草の馬も、長様の素早い行動があったからこそ助けられたと」
「それは結果です、たまたまです。もっと的確な方法があった筈なのです。あんなギリギリになるようじゃダメなんだ」
スルスルと弱音が出る不思議。
何でだろう、この女性(ヒト)が里の者ではないからだろうか?
「先代は偉大だったのですよ。あの方なら、もっと完璧な判断が出来ていたでしょうに。そう、もっと、あの方なら……」
オタネお婆さんは、薬師の所で、わざとゆっくり四方山話をしていた。
先程、今日の外回りを済ませて帰還した長が、カタカゴのパォに向かうのを見たからだ。
子供の頃から長を知っている婆も、彼があんなにストレートに弱音を溢(こぼ)すのを見たことがない。
彼女が聞き上手という理由だけでは無かろう。
カタカゴの君には、何か、ヒトを無防備にさせ、本心を引き出す力がある。
あの長は、偉大な先代のプレッシャーにいつも押し潰されていた。幼い頃から己に厳しく、誰にも弱味を見せない。あれではいつか疲れて折れてしまうのではと、婆は案じていた。
彼の負担を薄める為に、先代に後妻を娶らせ、血縁を増やす計画も進められていたのだが、その前に先代は没してしまった。
独り残された長はますます張り詰め、一刻も緩める時がない。
だから、あの娘と話している時の長のほどけた表情を見ると、婆もほっとするのだった。
「できれば持ち直して欲しい物だが……」
日を追う毎に、枕から離れられなくなる娘の先行きを想うと、気持ちが沈む。
「お腹のお子に障るので、あまり強い薬は使えないんですよね」
薬師は独り言のようにぼやきながら、慎重に薬を量って調合する。
「何にしても、病の進行を少し遅らせるだけで」
「先代様は……」
カタカゴがぽつんと話し始めて、長は顔を上げた。
「本当に完璧だったのでしょうか?」
「!??」
長はカタカゴに向き直る。
「ええ、あの方には間違いがありませんでした。全てにおいてソツ無く抜け目無く」
「それは……さぞかし大変だったでしょうね」
「??」
「皆に完璧だと思われ、頼られるのでは、ひとときも気が抜けなくて」
長はムキになって反論した。
「いえ、あの方は大変だなんて思わないですよ。豊富な知識と力量があって、いつでも余裕たっぷりで。私はいつもそんな背中を見て憧れて……」
カタカゴは口を閉じた。
少し間が悪くなる。
「すみません。私、良く知りもしないのに」
「あ……いえ」
「でも私は……」
カタカゴは言葉を選びながらゆっくりと言う。
「迷ったり落ち込んだりなさる長様の方が好きですわ」
「え・・!?」
長はよっぽど言われつけていない言葉を聞いたのか、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔になった。
言葉の選び方をしくじったかと、カタカゴは慌てて言い直した。
「完璧で間違いのない方の下では、つい頼ってしまって自分が成長出来ません。私が里の民だったら、迷って、悩んで、失敗しては反省する長様と、一緒に成長して歩んで行きたいです」
「……………」
長は言葉という物を忘れたように、黒髪の娘を見つめていた。
***
風が少し強い。
丈の高い草がうねる中に、ハイマツと苔が覆う小さな丘があり、その天辺に、あの日自分の人生を変えてくれた女性(ヒト)が眠る。
大きな馬から助け下ろしたのは、彼女が命と引き替えにこの世に遺した少女。
母に近い年になり、やっと初めて母の名を知り、墓に訪れる。
「稚(いとけな)いお墓ですね……」
玉石がふたつ積まれただけの、言われなければ分からないような小さな墓。
石を撫でる少女の背で、母と同じ真っ黒い髪が波打つ。
「こちらへ来てごらんなさい」
蒼の長が丘の反対側で呼ぶ。
「……わあっ!!」
「少し季節を外してしまいましたが、まだ残っていますね」
丘の反対斜面は、一面のカタカゴの群落だった。
「雪の溶ける頃、この辺りで一番に咲くんですよ。」
一族を離れた妹は、父と共に散った人間の首領の息子の元へ行き、共に戦場を駆けていた。
暗黒の時代を潜り抜ける事が出来たのは、遠い所で、彼女も彼女なりの役割を果たしてくれていたからだった。
その妹が戦火の中、兄を頼って逃がした娘が、図らずも兄を救ってくれた。
ヒトの縁(えにし)は不思議な物。
今現在、里では長に着いて修行する若者が何人か居て、その中の有望株が、あの日の中洲の三人組だ。
遭難の翌日、三人伴って、弟子入りを志願して来た。
キビタキの巣を見つけ出した長を見て『カッコイイ』と思ったのが動機らしい。
その時はあしらうつもりで、キビタキの卵を孵したらね、と答えたのだが、何とあんなに冷えきっていた卵を見事に孵化させた。
ピイピイ言う雛を眺めながら思案に暮れている長に、血に関係なくやりたい事を伸ばしてあげればいいじゃありませんか、と後押ししてくれたのも、カタカゴだった。
蒼の里の者からは決して出ない意見。
勿論、反対はあった。
「あの子達の血では修行する価値があるかどうか。それ以前にやるべき基本の勉強が山積みです。まあ、長様がそう決められるのなら、仕方がありませんが」
気が進まない素振りの教官に、長は書き物机から顔を上げて、シレッと言った。
「そうですね。貴方の言う通りです」
「へ? はあ……」
「私が間違っているかもしれません。しかし子供達の将来を『仕方がない』で済ませてはいけません。子供達と、どのような時間割りを組めば可能か、話し合って下さい。その上で出来るかどうかを判断して下さい。貴方が」
教官は戸惑って長を見直す。この方、こんなに沢山喋るヒトだったか?
「あの、そんな手引き、私には……」
「楽しみですよね、あの子達は気骨がある」
そんな感じで責任を少しづつ分散したら、自分なりの長のやり方が見えて来た。
三人の子供は寝食惜しんで勉強し、修練所の基本勉強を半分の年数で終わらせた。
弟子入りしてからも、出来る事出来ない事に差があるが、それぞれに頑張ってくれている。
お陰で去年辺りから、長はかなり楽になった。
「もうあまり、会えなくなるんですよね」
黒髪が顔を隠して表情の分からない少女が言った。
母に似て、本当に敏(さと)い。
こうして会って話をするのは、今日までにしようと思っていた。
「貴方はもう寂しい子供ではありません。これから成長して、大人になって、人間として素晴らしい人生を送るんですよ。今までのように見守る必要はもう無いのです」
それでもこの先、彼女が何かに窮したら、必ず助けに行くだろう。
でもそうでなければ……関わらない方がいいのだ、そういうものなのだ。
「さあ、今宵は一番の天の川が見られる星回りです。最後にひと飛び参りましょう」
空色の乗馬ズボン(ウムドゥ)の少女は、長に助けられて馬に乗る。
二人を乗せた馬は、白鳥座の翼に包まれるように、星々の間に飛び立った。
~カタカゴ・了~
「どうされたのですか?」
ベッドのカタカゴの君が、小首を傾ける。
「昨日の己の無能ッ振りに、落ち込んでいるのです」
「そうなのですか? オタネお婆さんのお話しでは、三人の子供も草の馬も、長様の素早い行動があったからこそ助けられたと」
「それは結果です、たまたまです。もっと的確な方法があった筈なのです。あんなギリギリになるようじゃダメなんだ」
スルスルと弱音が出る不思議。
何でだろう、この女性(ヒト)が里の者ではないからだろうか?
「先代は偉大だったのですよ。あの方なら、もっと完璧な判断が出来ていたでしょうに。そう、もっと、あの方なら……」
オタネお婆さんは、薬師の所で、わざとゆっくり四方山話をしていた。
先程、今日の外回りを済ませて帰還した長が、カタカゴのパォに向かうのを見たからだ。
子供の頃から長を知っている婆も、彼があんなにストレートに弱音を溢(こぼ)すのを見たことがない。
彼女が聞き上手という理由だけでは無かろう。
カタカゴの君には、何か、ヒトを無防備にさせ、本心を引き出す力がある。
あの長は、偉大な先代のプレッシャーにいつも押し潰されていた。幼い頃から己に厳しく、誰にも弱味を見せない。あれではいつか疲れて折れてしまうのではと、婆は案じていた。
彼の負担を薄める為に、先代に後妻を娶らせ、血縁を増やす計画も進められていたのだが、その前に先代は没してしまった。
独り残された長はますます張り詰め、一刻も緩める時がない。
だから、あの娘と話している時の長のほどけた表情を見ると、婆もほっとするのだった。
「できれば持ち直して欲しい物だが……」
日を追う毎に、枕から離れられなくなる娘の先行きを想うと、気持ちが沈む。
「お腹のお子に障るので、あまり強い薬は使えないんですよね」
薬師は独り言のようにぼやきながら、慎重に薬を量って調合する。
「何にしても、病の進行を少し遅らせるだけで」
「先代様は……」
カタカゴがぽつんと話し始めて、長は顔を上げた。
「本当に完璧だったのでしょうか?」
「!??」
長はカタカゴに向き直る。
「ええ、あの方には間違いがありませんでした。全てにおいてソツ無く抜け目無く」
「それは……さぞかし大変だったでしょうね」
「??」
「皆に完璧だと思われ、頼られるのでは、ひとときも気が抜けなくて」
長はムキになって反論した。
「いえ、あの方は大変だなんて思わないですよ。豊富な知識と力量があって、いつでも余裕たっぷりで。私はいつもそんな背中を見て憧れて……」
カタカゴは口を閉じた。
少し間が悪くなる。
「すみません。私、良く知りもしないのに」
「あ……いえ」
「でも私は……」
カタカゴは言葉を選びながらゆっくりと言う。
「迷ったり落ち込んだりなさる長様の方が好きですわ」
「え・・!?」
長はよっぽど言われつけていない言葉を聞いたのか、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔になった。
言葉の選び方をしくじったかと、カタカゴは慌てて言い直した。
「完璧で間違いのない方の下では、つい頼ってしまって自分が成長出来ません。私が里の民だったら、迷って、悩んで、失敗しては反省する長様と、一緒に成長して歩んで行きたいです」
「……………」
長は言葉という物を忘れたように、黒髪の娘を見つめていた。
***
風が少し強い。
丈の高い草がうねる中に、ハイマツと苔が覆う小さな丘があり、その天辺に、あの日自分の人生を変えてくれた女性(ヒト)が眠る。
大きな馬から助け下ろしたのは、彼女が命と引き替えにこの世に遺した少女。
母に近い年になり、やっと初めて母の名を知り、墓に訪れる。
「稚(いとけな)いお墓ですね……」
玉石がふたつ積まれただけの、言われなければ分からないような小さな墓。
石を撫でる少女の背で、母と同じ真っ黒い髪が波打つ。
「こちらへ来てごらんなさい」
蒼の長が丘の反対側で呼ぶ。
「……わあっ!!」
「少し季節を外してしまいましたが、まだ残っていますね」
丘の反対斜面は、一面のカタカゴの群落だった。
「雪の溶ける頃、この辺りで一番に咲くんですよ。」
一族を離れた妹は、父と共に散った人間の首領の息子の元へ行き、共に戦場を駆けていた。
暗黒の時代を潜り抜ける事が出来たのは、遠い所で、彼女も彼女なりの役割を果たしてくれていたからだった。
その妹が戦火の中、兄を頼って逃がした娘が、図らずも兄を救ってくれた。
ヒトの縁(えにし)は不思議な物。
今現在、里では長に着いて修行する若者が何人か居て、その中の有望株が、あの日の中洲の三人組だ。
遭難の翌日、三人伴って、弟子入りを志願して来た。
キビタキの巣を見つけ出した長を見て『カッコイイ』と思ったのが動機らしい。
その時はあしらうつもりで、キビタキの卵を孵したらね、と答えたのだが、何とあんなに冷えきっていた卵を見事に孵化させた。
ピイピイ言う雛を眺めながら思案に暮れている長に、血に関係なくやりたい事を伸ばしてあげればいいじゃありませんか、と後押ししてくれたのも、カタカゴだった。
蒼の里の者からは決して出ない意見。
勿論、反対はあった。
「あの子達の血では修行する価値があるかどうか。それ以前にやるべき基本の勉強が山積みです。まあ、長様がそう決められるのなら、仕方がありませんが」
気が進まない素振りの教官に、長は書き物机から顔を上げて、シレッと言った。
「そうですね。貴方の言う通りです」
「へ? はあ……」
「私が間違っているかもしれません。しかし子供達の将来を『仕方がない』で済ませてはいけません。子供達と、どのような時間割りを組めば可能か、話し合って下さい。その上で出来るかどうかを判断して下さい。貴方が」
教官は戸惑って長を見直す。この方、こんなに沢山喋るヒトだったか?
「あの、そんな手引き、私には……」
「楽しみですよね、あの子達は気骨がある」
そんな感じで責任を少しづつ分散したら、自分なりの長のやり方が見えて来た。
三人の子供は寝食惜しんで勉強し、修練所の基本勉強を半分の年数で終わらせた。
弟子入りしてからも、出来る事出来ない事に差があるが、それぞれに頑張ってくれている。
お陰で去年辺りから、長はかなり楽になった。
「もうあまり、会えなくなるんですよね」
黒髪が顔を隠して表情の分からない少女が言った。
母に似て、本当に敏(さと)い。
こうして会って話をするのは、今日までにしようと思っていた。
「貴方はもう寂しい子供ではありません。これから成長して、大人になって、人間として素晴らしい人生を送るんですよ。今までのように見守る必要はもう無いのです」
それでもこの先、彼女が何かに窮したら、必ず助けに行くだろう。
でもそうでなければ……関わらない方がいいのだ、そういうものなのだ。
「さあ、今宵は一番の天の川が見られる星回りです。最後にひと飛び参りましょう」
空色の乗馬ズボン(ウムドゥ)の少女は、長に助けられて馬に乗る。
二人を乗せた馬は、白鳥座の翼に包まれるように、星々の間に飛び立った。
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