金銀砂子・Ⅴ
文字数 2,018文字
西の森のパォ。
寝台に横たえた小狼(シャオラ)の手当てをするテムジン。
「足は折れてはいない。肋(あばら)は多分ヒビ。内蔵は大丈夫そうだけれど当分安静で様子を見よう。額は俺が縫ったから、痕が残ったらごめんな」
「いえ……」
「しばらくトルイを滞在させるよ」
「大丈夫です。薬が効いてきました。貴方、お城に戻らなきゃ」
「ヴォルテに任せて来た。俺より仕切りが上手い。『若い二人の旅立ちに拍手を』とか言って城門を閉じちまった。お陰で大部分の者が演出だと思ってくれている」
「あらまあ……」
女性は笑ったが、力が弱い。
目立たないが筋肉やら血管やら、あちこち潰しているのだろう。
「間抜けね、戦場でも怪我なんかした事なかったのに」
「間抜けなもんか、あの娘(こ)は無傷だ」
「……あの子ね、あの子……」
「うん……」
「イルアルティっていうの」
「うん……」
「ごめんなさい、アルはお腹に赤ちゃんがいました」
「俺の?」
「はい」
王は、動揺を表に出さないように、努めて冷静に聞いた。
「アルは?」
「亡くなったそうです。拐われた時に呪いを掛けられていたと」
「…………」
少し時間を掛けてから、聡明な王は呑み込んだ。
王の寵姫という理由でそんな目に遭ったのなら、子供を自分から遠ざけたいと思われても仕方がない。
「アルの遺志なんだね? 子供は俺と関係のない所で人生を歩ませたいって」
「……はい」
「君は大切な友人の願いを守った。では俺もそれに沿おう」
小狼は目を閉じて、心からの感謝の礼を述べた。
よかった…………
ただもう一つ、今話さなかった事は、自分が墓まで持って行く事だ。
――アルカンシラが、敵方の国の間者だった事。
(せめてテムジンの中では、無邪気で純粋な乙女でいさせてあげたい)
パォの入り口が揺れた。
銀の瞳のトルイと、後ろに居心地の悪そうなイルアルティ。
「何でその娘を連れて来た!?」
テムジンが怒鳴った。
「だ、だって、こいつが」
「ひっく……」
大声に驚いて息が止まっている娘。
話を聞かれていた訳ではなさそうだが……
「ほら言うんだろ? 無理矢理にでも着いて行くって大暴れした癖に」
トルイが娘を押し出した。
「あ、あのあの、きちんとしなければいけないと思って。い、命を助けて頂いて、ありがとうございましたっ。そして、大変な怪我をさせてしまってごめんなさい!」
小狼はテムジンと顔を見合わせた。
「大した怪我ではないのよ。綺麗に治るから大丈夫」
「ほ、本当に?」
「本当ですよ。妖精は身体の傷は人間より治りやすいの」
「すごい……あ、良かったです、良かったぁ」
心から胸を撫で下ろす娘に、小狼も痛みが癒された気がした。
きっと、この子を育んだ両親は、心豊かで誠実な方なのだろう。感謝をせねば。
「あ、それでですね。皇子様に聞いたんですけれど、お母様は妖精さんだから他の人には見えないって。だったら、もしも嫌じゃなかったら、治るまでイルに看病させて下さい! お掃除もお洗濯も何でもやります!」
決死な顔で一気に言い切って、黒髪がピョコンと頭を下げた。
夢のような申し入れ。しかし小狼は王を見て目を游がせた。
今しがた、関わらないようにしようと話し合った所なのだ。
「うん、じゃあお願いしちゃおうかな」
テムジンが軽く言って、周囲を驚かせた。
「君、イルアルティだっけ? ここへは家族と? ……あ、族長? では手紙を書こう。もう少し滞在して皇子の乗馬指導を頼む、って名目でいいだろ。トルイ、後でこのお嬢さんと一緒に宿舎まで行って、先方を安心させて来なさい」
「何で俺が!」
トルイは不満いっぱいだ。
自分ばっかり叱られるし、母を付ききりで看病するのは自分だと思っていたからだ。
「皇子なら民がいらぬ心配をしないよう采配してやる物なの。嫁入り前の嬢ちゃんを王宮が引き留めるなんて、あらぬ噂が広まったら可哀想だろうが」
王はさっそく腰掛けて、羊皮紙を引っ張り出して書状を書き始めた。
本当に決めるのも動くのも早い人だ。
イルはクルクル進む話に目を白黒させていたが、希望どおり看病出来そうなのでホッとしている。
「あ、皇子様、無理言ってごめんなさいでした」
「はいはいどういたしまして」
「おじさまも有難うございます」
手紙を書いていたテムジンが顔を上げてキョロキョロした。
「え、おじさま……俺の事?」
「はい、駄目でしたか、何とお呼びすれば」
「いやむしろ俺を誰だと思っていた?」
「はあ、そういえば、あの、どなた様で」
口をポカンと開いて何も言えない男性と、忍び笑いが肋(あばら)に響いて悶絶している女性の代わりに、トルイが口を開いた。
「この人、俺の父親」
「父親、皇子様の父親、ち、ち、お、や、、、」
イルアルティの口が秒刻みでヒキガエルみたいに横に伸びて行く。
「お、う、さ、ま? 王様! へほほほ!?」
飛び上がる娘を眺めながら、テムジンがトルイに耳打ちする。
「面白いな、この娘」
「面白れぇだろ」
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