風の末裔・Ⅵ
文字数 1,515文字
地平線が紫に白んでいる。もう白夜の季節だ。
露に濡れる草原を、女の子は馬を引いてヒタヒタと歩いていた。
紫紺の空には泣きたくなる程満天の星。
この星々が消える頃には、里の皆は残して来た手紙に気付くだろう。
あの出来事から数ヵ月かけて、女の子は一晩で犯した数々の掟破りの罰則をこなした。
最後の『草の馬と狼を、一時だけ人間に見せる術』を使った罰が、一番重かった。あれのせいで厩掃除が倍に増えてちょっと大変だった。
……いや、これからの自分はもっと大変な道を選んでしまった。あの位で大変だとか言っていてはいけない。
丘を登り掛けた所で、星を背景に背の高いヒトが佇んでいた。
隣の大きな馬は闘牙を静かに燻(くゆ)らせている。
「長さま」
「こんな夜中に何処へ行くというのです。兵士長は貴女の事を親身に心配しているのですよ」
「すみません、でも掟破りはこれで最後です。そう伝えて頂けませんか」
言い捨てて進もうとする女の子の前に、長は立ちはだかった。
「どうして貴女が行くのです」
「…………」
それだけあの少年がヒトを引き付ける磁力を持っているという事。それは長にも分かる。
現に今や続々と、草原の隠れていた部族が彼の元に集っているという。
だがそういう噂を耳に入れる度、この子供が眉間にシワを入れて暗い顔になるのを、長はちゃんと知っていた。
欲望の戦神(いくさがみ)を背負ってしまった少年は、もう一時も立ち止まれないのだ。気を抜くと一瞬で、その身が炎に焼き付くされてしまう。
長は、頭(こうべ)垂れた小さな馬を見やった。
「鈴は、置いて来たのですか?」
「勝手に一族を抜けるのです。もう長さまの加護は受けられません」
少し間を置いて、長は自分の馬に寄って闘牙のたてがみを少し切り取った。
目を丸くしている女の子の前で、それを小さな馬のたてがみに絡ませる。
たちまち馬は金砂のような光を振って首をシャンと立ち上げた。一回り大きくなったようにも見える。
「長さま?」
「内緒ですよ」
「…………」
「私にしてあげられる餞別はこのくらいです。結局貴女の為に何も出来ませんでしたから」
女の子は顔を上げて首を横に振った。
「違う、本当は私が、生まれた時にもっと多くを持って来なければならなかったのに」
「…………」
「でも見付けました。私でも世界の為に出来る事。あの少年の横へ行って、狼に飲み込まれぬよう寄り添う事。妖精の里を出奔して、掟から離れた者にしか出来ない事です」
確かに、魔性と契約を交わしてしまった彼に関わるには、そうするしかない。妖精の身上では無理なのだ。
「それが、私が味噌っかすに生まれた意味だったんだわ。私がいなくなっても里は何も困らないもの。そうでしょう? 兄さま」
長は瞳を一杯に見開いた後、色んな感情の入り交じった表情で小さい妹を見た。
それから静かに右手を上げる。
「生まれて来た意味を見付けたのなら、貴女はもう子供ではない。もう一つあげられる餞別が出来ました。風の末裔の成人の名を」
「兄さま、私は一族を……」
「その前に一つだけ誓って下さい。いつか、貴女が彼と意志を違(たが)える日が来たら、ここへ戻って来るのです。里へは戻れないけれど、私の元へ必ず。約束して下さい」
女の子は俯(うつむ)いて小さく頷き、雫を一粒落とした。
「貴女はこれから一つ処に留まらない自由な風となる。『欲望の赤い狼』と対峙した者、
『慈しみの蒼の狼』を名乗りなさい」
「……慎んで、お受け致します」
俯いたままの瞳からもう二粒の雫が溢(こぼ)れた。
遥か中天にけぶる天の川は、光の道のように白夜の地平に伸びる。
夜明けはこの先にある。
~風の末裔・了~
天の川
天の川:改
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