金銀砂子・Ⅲ
文字数 2,217文字
朝から快晴の競馬(くらべうま)日和。
城門から宮殿まで続く広いメインストリートがコースに据えられ、出店の屋台、賭け事屋、有料の高見見物席と、抜け目のない商売が両脇に陣取る。
各地方の代表騎手達が、この日の為にピカピカに磨き上げた馬に跨がって行進する。
誰も彼もがウキウキと沸き立っていた。
街の賑わいを遠目に、妖精の女性が鷹を肩に、丘の上の一本杉に立つ。
今朝方また兄からの手紙があって、くれぐれも宜しくと言って来た。
どうなるか分からないが、結果は報せてやらねばならないだろう。
トルイがいる今、王がイルアルティにそこまで執着するとは思えない。そうであって欲しいし……
「あら?」
宮殿前庭の王族のバルコニーに、兜を被ったトルイの姿がある。
目立つ場所に立つのを嫌う子なのに?
大勢の名騎手や名馬の中で、イルも愛馬も見るからに貧相だった。
でも今日は萎縮している暇はない。
絶対にやっつけなきゃならない敵がいる!
「あいつ、どこにいるんだろ?」
キョロキョロしていると、選手達の前の方でざわめきが上がった。
「なになに?」
「決勝で勝ち残った者と、皇子がマッチレースをやるんだってさ。それに勝ったら優勝杯を渡されるって」
「何だそれ、帝国の大王も親バカだったか」
「末の皇子だろ、まだ十二かそこらの。ちょっと遊んでやって最後に勝ちゃあいいんだって」
バルコニーでは王の後ろでトルイがふてくされている。
「俺は普通に参加して、予選から走りたかったのに」
「それじゃあ可哀想だろ」
王がニヤニヤしながら振り向く。
「お前と走らされる面々が」
皇太后のヴォルテ妃は、訳の分からない策略を相談する男達に一瞬眉をしかめるが、すぐに見流した。
自分は自分で、気に入りの娘や小姓達と素直に祭りを楽しんでいる。
そういうのが、人並み外れた大王の正妃で居られるコツらしい。
背の低いイルアルティからバルコニーが見えないのは幸いだった。
見当たらぬ敵に勝手に闘志を燃やし、鬼のような走りで予選をぶっちぎる。
王が嬉しそうにトルイの肩に手を回した。
「あのコ? お前の気になる娘って。遠目でよく分からんが……随分とチビッ子だな。ふ――ん、あのサイズがお前の趣味か、くふふ」
「そんなんじゃない!」
「じゃあどんな?」
「三本ホックで追い回されたんだ!」
決勝ゴールを駆け抜けて、三本ホック娘はオッズ屋に悲鳴を上げさせる。
人垣が割れ、マッチレースの相手の皇子が兜を被り直してバルコニーの階段を降りて来て、初めて彼女は兜の君の正体を知る。
「はひ? ふへ?」
スタートラインに突っ立ったイルは、馬に乗ろうともしないで呆けている。
青鹿毛に跨がったトルイが、急(せ)いて近付いた。
「どうした? 正々堂々勝負してやるって言っているんだ。とっとと乗馬しろ」
しかしイルの目は焦点が合っていない。
「わたわたわた私、打ち首になるの? おおお皇子さまに三本ホックを……」
「公にする訳ないだろ、あんな恥ずかしい事! 俺はただお前と……あああ、もお!」
トルイはヒラリと青鹿毛から飛び降りて、硬直したままの女の子をヒョイと抱えて尾花栗毛に押し上げた。
場内にクスクス笑いが起こる。
しかしイルはカチンコチンに硬直したまま。
こんな奴に勝っても意味がない。
勝負してやる為にわざわざ大っ嫌いな公衆の面前に出て来てやったというのに。
「しっかりしろ、『あのヒト』も見ているぞ」
イルがピクンと揺れた。
「あのヒトって……」
「青い髪の妖精だよ」
一瞬でイルの目の焦点が合った。
「あのヒトを知っているの!?」
「勝ったら教えてやるよ、行くぞ!」
「待って!」
二人はロケットスタートした。
***
トルイの青鹿毛が先に立ち、余裕で振り向いて犬歯を見せて笑った。
「へへんどうした、そいつは驢馬(ロバ)か?」
「待って教えて、あのヒト誰なの!?」
イルは必死に追い付こうとする。
「聞こえないなァ、ここまでおいで」
「・・!!」
イルは目一杯集中した。
風よ来い! もっと沢山!
今までにない感覚が来た。尾花栗毛がグン、と抜き返す。
歓声が上がるが、二人にはそんなの聞こえない。
「貴方もあのヒトが見えるの?」
「見えるのどころか俺の師匠だ。風の使い方も馬の乗り方も全部あのヒトに教わった。だから……」
トルイは本気の風を呼んだ。
お前なんかに負ける訳に行かないんだよ!
俺の乗馬を貶(けな)されるのは、母さんを貶されるのと同じなんだ。
ところが女の子の尾花栗毛はピタリと脇に着いて来る。
引き離せないまま並んでゴールを通過した。
歓声が上がるが、二頭は止まらない。
「しつこいな、離れろよ!」
「待って待って、あなたずるい!」
王宮前の水盤をぐるりと回って、二頭はメインストリートを逆走し始めた。
場内は何の演出かと大興奮。
「ずるいって何だよ!」
「だってイル、何も教わってない、ずるい!」
「知るか!」
「ずるいずるい!」
王が立ち上がった。
「城門を開けろ――!!」
城門なんか見えていなかった二人は、寸でで開かれた扉から外の草原に飛び出した。
馬の脚がもう地面を掻いていないのを、イルは気付いていない。
「あのヒト、あのヒトは、イルのお父さんなのにィ!」
――!? トルイは言葉が詰まった。
「いや、あのヒトって女だぞ、俺の母親」
瞬間、イルの集中が切れた。
我に返る、空が回る、真っ白い雲がトンでもない早さで流れて行く。
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