風の末裔・Ⅲ

文字数 2,768文字

 


 地平に赤い揺らめきが見える。

 ――ああ・・!

 女の子は息を詰まらせながら馬の高度を下げた。

 赤く炎に包まれた幾つかのパォ。
 松明を掲げた騎馬兵士達の黒い影。
 遅かった……駄目だ。

 馬がフルルと嘶(いなな)いて、離れた方向へ首を向けた。
「あっ」
 月に長い影を落として、一頭の馬が駆けている。
 裸馬の背には昼間の男の子。
 妹は? 兄の懐で背に手を回して泣きながらしがみついている。
 二人とも下着姿だ。寝込みを襲われ、着の身着のまま逃げ出したんだ。

 鞍も無い馬で不安定な姿勢、今にも投げ出されそうな二人に、複数の騎馬兵が追い討ちを掛ける。
 斬られて馬を盗られるか、捕らえられて『物資』となるか。

 女の子は必死に馬を駆って、間に割り込んだ。

 風の妖精と草の馬は人間からは見えないが、馬には見える。
 斜め上から降って来た物に、兵士の馬は驚いて飛び退いてくれた。
 しかしそんなのは時間稼ぎにすらならない。鞍上の子供達はもう限界だ。

 ――風、風よ、もっと風!
 腕を上げて懸命に風をかき集める。
 もっと、もっと早く、走らせてあげて!
 小さな金の鈴がキシキシと音を立てて軋む。

 不意に、大きな風がうねった。
 女の子の身体がふっと軽くなる。
 彼女の起こしていた風とは比べ物にならない大きな渦が、小さな草の馬と兄妹の馬を包み込んだ。
 次の瞬間、どん! と加速が付いて、二頭は木の葉のように軽々とそこを離れた。
 兄妹を見ると、馬の背に危なげなく収まって、信じられないという表情で茫然としている。馬の足が地に付いていないので、反動が一切無いのだ。

 ヒュン、ヒュン、ヒュン
 風切り音と共に、武装した立派な草の馬が数頭、斜めに降りて来た。蒼の妖精の兵士達だ。

 女の子の横にも一頭の草の馬が寄る。
「何をやっている。お前のような子供が人間の争いに手出しをするな」
 里の兵士長だ。普段は修練所の教官をやっているので、女の子の味噌っかす振りも知っている。

「ご、ごめんなさい、鈴を、落として……」
「この忙しい時に、他の子はまったく手間を掛けないというのに、どうしてこうお前だけ」
「……」
 駄目だ、全部を説明している余裕がない。

 言っている間に兄妹の馬は、他の兵士二頭に挟まれたまま遠くへ運ばれて行く。
 あぁ……という顔で見送る女の子に、老練の兵士長は前を向いたまま厳めしい顔で言った。
「あの子供達の家族はもうおらぬ」
「…………」
「少し先に古い部族の集落がある。草が少なく暮らしにくい土地だが、誰も欲しがらないので争いが起きず穏やかだ。住民も昔ながらの互助の精神を持っている。後はあの子らの運次第だ」
「……ありがとうございます……」
「土着(どちゃく)の子供の未来まで絶えてしまったら我々も困る」

 追い掛けていた人間の黒い騎兵達の姿も見えなくなって、兵士長は風の術を解いて馬を止めた。

「あ、あの、兵士長様」
「いいから里へ戻りなさい。罰は明日だ。今夜我々は忙しい。捜し物があるのだ。月占の告げがあった。長様も出張って来られている。あの方に余計な心配をかけるでない」

「あ、赤い狼を見たんです、全身が火に包まれた凄く大きい狼。前に授業で習った、ヒトの欲を糧にして育つ『欲望の戦神(いくさがみ)』じゃないかと……」
 兵士長の表情が変わった。


 ***


「お前は先に里へ戻っていなさい」
 兵士長にそう言われたが、女の子は彼の後ろ姿が見えなくなるや、即座に踵を返して塔の街へ向かった。
 今さら罰の一つ二つ増えたって同じだ。それよりも約束だ。そして炎の狼の正体・・

 ――『欲望の戦神(いくさがみ)』
 ヒトの欲望を煽って戦の炎を燃え立たせる邪神。
 少年の計画する脱走には支障は無さそうだけれど、戦火は思ったより大きくなるかもしれない。
 何せあの魔性は、ヒトの攻撃性を操って戦を止まらなくし、地上が丸坊主になるまで争わせ続けるのだ。

 黒い騎兵群は松明を持たずに粛々と行進をしている。
 それを上空から追い抜いて、先程の壁の端に辿り着いた。
 地面に降りたが少年の姿は見えない。仲間の所へ行って逃げる準備をしているのかもしれない。

 塔の狼は銀の目を細めて妖精の子供を視線で追っているが、それだけで意に介していない風だ。近付く部隊の方に興味津々で、上げた口角から炎を漏らしている。
 塔の窓には見張りの人間が立っているが、狼にも近寄る脅威にも、まるで気付いていない。

「ボンクラだろ」
 不意に壁越しに声を掛けられ、女の子は飛び上がった。
 壁の切れ目を乗り越えて、獅子頭の少年が、何処から入手したのか、大きな鉄製の火掻き棒を携えて現れた。
「分かるか? これが人外を見る事の出来る者と見えない者の違いだ。この世の人の上に立って率いるには、人外と通じる事が不可欠だ。俺の親父や爺さんにそう教わった」

 女の子はそれには返事しないで、狼の正体だけを急いで話した。
「狼が煽ると人間は止まれなくなるから、争乱は思うよりも酷くなるかもしれないです。それに……」
「それに、なに?」
 少年は唇を舐めながら次を促す。

「うっかり心を持って行かれないで」
「俺が!? はん!」


 漆黒の草原にポツポツと火が灯る。

「よし、あんた、こいつで俺の鎖を壊してくれ」
 火掻き棒を渡されて、女の子は息を吸って石の上に張られた鎖に振り下ろした。
 大きな音が響くのと、地平の灯りが火の粉のように広がって空を飛んで来るのと、同時だった。

 塔の銅鑼が打ち鳴らされる。
 石の街は一気に、蜜蜂の巣箱を引っくり返したような騒ぎなった。
 火矢が降り注ぐ街の上空で、赤い狼が飛び上がって嬉しそうに遠吠えをする。

「はは、確かに俺にとってあいつは味方かもな。奴隷小屋の施錠を叩き壊して来るから、後は頼むぞ」
 少年は火掻き棒を持ち直して、火矢の降り注ぐ小屋の方へ走って行った。

 約束の半分は果たした。後は逃げ遅れた人を助ける……自分に出来るだろうか。
 でも約束だ、やれるだけの事をやらなくちゃ。 
 こんなに人間に関わって、里へ戻ったらどれだけ叱られるだろう。もう後戻り出来ない。

 女の子は胸を押さえた。動悸が喉元まで上がって来る。 
 何でか、あの少年の燃える目に逆らえない。里の誰にもこんな気持ちになった事はない。

 そう、まずは乗馬しなくちゃ、と馬を引き寄せた時
 ――ガ、ガガン!

 どちらかの投石が、すぐ側の石垣を砕いた。
「あっ」
 一瞬の油断、馬はパニックを起こして手綱を振り払い、そのまま街中へ駆け込んでしまった。
「ああっ、何でそっちに!」

 蒼の妖精は馬に文句を言ってはいけない。
 草の馬は主の鏡映し。馬が動揺するのは主が動揺しているからだし、馬に怪我をさせるのは主にとって最も恥ずかしい事だ。

「待って、待って!」
 女の子は馬を追い掛けて、炎の上がり始めた街中へ駆け込んだ。





ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

妖精の女の子:♀ 蒼の妖精

生まれた時に何も持って来なかった

獅子髪の少年:♂ 人間

生まれた時から役割が決まっていた

蒼の長:♂ 蒼の妖精

草原を統べる偉大なる蒼の長を、継承したばかり

先代が急逝したので、何の準備も無いまま引き継がねばならなかった

欲望の赤い狼:?? ???

欲望を糧にして生きる戦神(いくさがみ)  

好き嫌いの差が両極端

アルカンシラ:♀ 人間

大陸の小さな氏族より、王に差し出されて来た娘

故郷での扱いが宜しくなかったので、物事を一歩引いて見る癖がついている

イルアルティ:♀ 人間

アルカンシラの娘  両親とも偶然に、先祖に妖精の血が入っている

思い込みが激しく、たまに暴走

トルイ:♂ 人間

帝国の第四皇子 狼の呪いを持って生まれる

子供らしくあろうと、無理に演じて迷走

カワセミ:♂ 蒼の妖精

蒼の長の三人の弟子の一人  能力は術に全フリ

他人に対して塩だが、長の前でだけ仔犬化

ノスリ:♂ 蒼の妖精

蒼の長の三人の弟子の一人  能力は剣と格闘

気は優しくて力持ちポジのヒト

ツバクロ:♂ 蒼の妖精

蒼の長の三人の弟子の一人  能力はオールマイティ

気苦労の星の元に生まれて来た、ひたすら場の調整役

小狼(シャオラ):♀ 蒼の妖精

成長した『妖精の女の子』

自分を見る事の出来る者が少ない中で成長したので、客観的な自分を知らない

オタネ婆さん:♀ 蒼の妖精 (本人の希望でアイコンはン百年前)

蒼の妖精の最古老  蒼の長の片腕でブレーン

若い頃は相当ヤンチャだったらしい

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み