鎮守の森・Ⅱ
文字数 3,093文字
赤子の背中には、首筋から繋がって真っ赤なたてがみもあるという。
「それって、それってまるで……」
呆然と震える長の前で、胸ぐらの手を掴んで、王は真顔で言った。
「俺の子だよ」
「いや、だって……」
「テムジンの子なの」
「…………」
長はチラリとオタネ婆さんを見た。
婆さんは心得た感じで一礼し、王を睨み付けながら外へ出た。
「いいですか、二人ともよく聞いて下さい。貴方達の気持ちはね、分かりました、よ――っく分かりましたっ。しかし現実的な問題を考えなくてはならません。混血児はどちらの資質が出るか分からないし、きちんと考慮して資質に合った教育を施してやらねば、当人の不幸に繋がります。そういう意味で受け継いだ血をはっきりさせておく必要が……」
「ね、テムジン、もう歯が生えて来たのよ、ほら」
「ホント? おお、犬歯じゃん、かっけぇ――!」
のどかに赤子を覗き込む王を、青筋立てた長が引き剥がし、胸ぐらを掴んでガクガクと揺さぶった。
「貴方ね、貴方! 能天気過ぎやしませんか? 男として、妻が産んだ子供が明らかに……あ――・・」
「うゎっ、嬉し! 俺、そんなぶっちゃけトークしてみたかったんだ! 『お兄さん』と!」
長はテムジンを突き飛ばしてパォの壁に張り付いた。
しばし、長の荒い息と沈黙。
妹が静かに切り出した。
「確かに最初は戸惑ったけれど……本当にテムジンの子なの、兄様」
「小狼がそう言うならそうなんだ。だって小狼は俺に嘘を言う必要なんかないもん。いつだって、どんな時だって」
「…………」
「ね、兄様、もう一度この子をよく見て」
長は少し落ち着きを取り戻して、赤子に近付いた。
「このゲジゲジ眉毛とか、小憎らしく上むくれた口の端とか、テムジンにそっくりじゃない?」
・・言われてみるとそうかもしれない。色を考えないでよく見ると、この子は王とそっくりだ。
「兄様なら分かるかもと思って、オタネお婆さんに頼んで手紙を書いて貰ったのは私なの。これってどういう事なのか。もしも病気か何かだったら治療をしてあげなきゃならないし」
「あ、ああ、そうですね……」
長はやっと冷静になって、両手を出して赤子を受け取った。
銀の瞳は臆する事なく長を見ている。
その眉間の奥、深い深い所に、長は意識を送り込む。
王も隣に来て、口を結んで大人しく待った。
永いか短いか分からない時間が過ぎ……
顔を上げて長は、潜水から上がって来たように息を吸った。
「何か分かった?」
「呪い……」
「えっ?!」
妹が赤子を受け取りながら強張った。
「あの獣……は、大陸から戻る少し前に、フィといなくなったと言いましたね?」
「ああ、小狼が身籠る前だよ」
だから長は今こうして、王とも普通に話せるようになったのだが。
「去り際に呪いを掛けて行ったのです。次にこの子から生まれる赤子には、生まれながらに狼の呪いをと。そういった所でしょう」
「あいつが?」
「あの、兄様、呪いって、具体的にどんな災いが?」
妹は母らしくうろたえている。
「いえ、直接悪い事を起こす物ではありませんが……この容姿が、災いといえば災い……」
「見た目だけかよ!」
王が叫んで、両手を頭上に突き出した。
「ついでにあいつの強さと図太さも乗っけてくれればよかったのに!」
長がまた胸ぐらを掴みに行こうとするのを、妹がそっと止めた。
「イタズラ、なんだわ」
「いた……ず……?」
「自分がいなくなっても覚えていて欲しいって、ホント、タチの悪い、子供じみた、
イ タ ズ ラ 」
***
オタネ婆さんが戻って来て、授乳の時間だと、男二人はパォの外に追い出された。
王はスタスタと高台へ歩き、先に座って長を振り向いた。
「ありがとうね、長。やっぱり小狼も不安で思い詰めていたみたいでさ。真相が分かってスッキリした」
「それは良かったです」
長も息を吐いて、少し離れた隣に座り、意味ありげに聞いた。
「あの子は絶対に貴方に嘘は吐かないですか?」
「うん、必要ないもの」
王も意味ありげに答えた。
「隠し事はあるかもしれないけれどね」
「隠し事……について、貴方は問いただしたりはしないのですか?」
「うん、しない」
「どうして?」
「言える時になったら、ちゃんと話してくれるから」
数ヵ月前、兄の元を訪れた妹が、懐妊の報告の後にした事は、アルカンシラの墓参りだった。
里の近くのハイマツの丘で、玉石が二つ積まれた小さな墓を撫でながら、彼女はアルの子供の出自(しゅつじ)を打ち明け、改めて先行きの見守りを兄に願った。
元より長は、あの子供の事は全て引き受けるつもりでいた。
アルカンシラの子の存在を王に告げるつもりのない妹に、心中で安心した。
王はどんな子も皆大切にするだろうが、あの子は穏やかであるべきだ。
ただ、お腹の目立つ妹に一抹の不安を抱いた。
まさかアルカンシラの身代わりになるつもりなのか? と。
(今日の様子を見た感じでは、幸せそうで良かった。これからも気は抜けないが……)
「長、生まれた子は人間だった!」
王の声に、長は我に返った。
「俺の勝ち!」
口端を上むくれたさせて勝ち誇る王に、長は眉間に縦線を入れた。
「そうですね、見た目はアレですが人間です」
懐妊を聞いてから、長は一度、妹を通さずに王と会った。
混血児の扱いについて知っていて欲しかったからだ。
「どっちだって俺の子じゃん!」
「妖精の子供を人間が教育出来ると思いますか。ましてや長の本流の血筋。妖精として生まれたなら里で引き取ります。そこは曲げられません」
「鬼が生まれようと蛇が生まれようと俺の子だ!」
険々豪々の問答の末一触即発までになり、とにかく生まれるまでお互い頭を冷やそうと、その時は物別れした。
結局王の遺伝子が勝利し、オタネ婆さんに報らせを受けた時は、長も内心で胸を撫で下ろした。
「人間の母親を決めておくって約束してたろ」
「ええ、王の子息として生きるのに母親不明では、あらぬ苦労をするでしょうからね」
「ヴォルテが引き受けてくれるって」
「ヴォルテって……! それは無理があるでしょう!?」
ヴォルテは王の正妃だ。既に三人の皇太子がいる。
「その位置が一番安全だからさ。中途半端な側室に頼んでみろ。男児が生まれたとなると、絶対本人も知らない親族がウジャウジャ湧いて出て、いらん画策をやり始めるぞ」
「大変ですね、王様というのも」
「長ン所はそういうのないの?」
「そもそも蒼の長なんて、誰もやりたがりませんからね」
それから王は、二枚の羊皮紙を取り出した。両方に同じ文が書かれている。
「頼まれていた誓約書、一応作っておいたけれど、いいの? こんな紙切れ一枚で」
「私が不破の術を掛けますから。共に内容を改めましょう」
証紙には、子供の将来に付いての約束事が記されている。
『妖精の血を持つこの子はけして跡取りには数えない』『大人になって子を成した時は報告する』等、あらかじめ長が依頼していた事柄とは別に、『王亡き後の相続は、北の草原台地のみ』の一文。
「これは……?」
「蒼の里のある場所だよ。いいだろ、それくらい」
二枚の証紙にそれぞれ署名をし、長が最後に祝詞をあげた。
何やかやの手続きを終えて、長はやっと肩を降ろした。
パォから小さなむずかり声が聞こえ、何とはなしの感情がジワジワと胸に広がる。
(甥っ子なんですよねぇ……)
長だって本当は手放しで喜んでいたい。
「さてと、祝福を授けて帰るとしましょう」
「あの婆さんも連れて帰ってよ!」
「それは妹に聞いて下さい」
男性二人は草を払って立ち上がり、明るい光の当たるパォへ向かって歩き出す。
~鎮守の森・了~
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