金銀砂子・Ⅷ
文字数 1,730文字
城の書庫の奥深く。
蜘蛛の巣とホコリにまみれて、書物のトンネルから真っ赤な髪が抜け出して来た。
「何か用?」
「あの、お母君が、皇子様がしばらく見えないから、気にしていらっしゃいました」
イルは天井まで届く書物の山に目をパチクリしている。
「ああ、ずっとここに居たから……」
「さっき長様がいらして、王様と、里の治癒師を呼ぶ算段をしていらっしゃいました」
「で? 俺が行ったってどうなる訳でもないだろ」
「…………」
小狼の容態は変わらない。
蒼の長が数日置きに術を掛けに来てくれるが、一時回復しても翌日には後戻り。
それでとうとう、『背中に根付いている羽根の記憶を抜き去る』という手段を取る事になった。
難しい技術で、長以外にも里から専門の治癒師を頼む。
因果が分からないのが不安だが、後になる程小狼の体力がもたなくなるのだ。
トルイは起きている時間の全てを羽根の事を調べるのに費やしていた。
オタネ婆さんをせっついて、どんな僅かなヒントでもないかと聞き出そうとした。
その段階で、アルカンシラという女性が蒼の里でイルを生み落とした事も打ち明けられたが、羽根には関係なさそうだった。
書庫に潜って古い書物を掘り起こし、羽根に関連しそうな物を片っ端から読み漁る。
多分、婆さんや長も同じような事をしただろう。あのヒト達に比べたら自分の調べられる範囲なんて蚤の歩幅だ。
それでもトルイは何もせずにいられなかった。
「お前、用事がないならパォへ戻れよ」
「イルは、あの羽根、消し去ってしまっていいのか不安なんです。皇子様もそうじゃないんですか?」
「お前……」
確かにそうなのだ。
あの時、羽根なんか見えなかったけれど、石つぶてみたいに飛ばされたイルとそれを受け止めた母親。
自分は両方とも無事では済まないと思った。下敷きになった方は身体が千切れてしまうのではないかという位。
だけれど母の怪我は思った程ではなかったし、イルなんか無傷だ。
考えてみれば、あれだけの勢いなら地面にバウンドするか転がりそうな物なのに、背中から一回着地して終わり。
そう、イルの言うように見えない羽根が折れてクッションになってくれたのだろう。
何で? たまたまあった見えない羽根が、たまたま助けになっただけ?
それだけで済ませてしまうには、何か危ういのでは……トルイはザワザワした胸騒ぎに突き動かされていた。
コトリ・・ 書庫の入り口で音がした。
二人の少年……ヴォルテ妃付きの小姓が、大きな長持ちを運んで来てそこに置いたのだ。
「トルイ皇子様、あの、王妃様のお言い付けで、これを」
「ではお渡ししました。これで」
二人は銀の瞳を恐れるように、そそくさと去って行った。
「あの人が、何を?」
長持ちを開いてびっくりした。
美しく整頓された書物。どれにも羽根の絵や文字があり、明らかに羽根に関連する文敵を選って集めた物だ。
「どうして、急に?」
イルが横から覗き込んで、キョンと言った。
「お城の王妃様は、博学でかなりの蔵書家だと、イル達平民にも伝わっています。でも行動がお早い」
「お前……?」
「さっき、お城に入った所で呼び止められたのです。王様と皇子様の様子が最近ただならない、さすがに気に掛かるから教えて欲しい、って」
「それで、ベラベラ喋ったの?」
「皇子様の血を分けた方のお母様が、羽根が折れて病んでいて、治す方法を探しているんです、って。何もやましい事はないと思って」
イルはケロリと言った。
「いけなかったですか?」
「いや……」
トルイは、書物の一つを手に取って、パラパラと捲ってみた。
書庫の物と違って、保存状態が段違いに良く、大切に扱われていたのが分かる。
……そして、あの人が自分を知らないのと同じに、自分もあの人を知らないのだと気が付いた。
イルが西の森へ戻った後、トルイは長持ちの書物を備(つぶさ)に調べた。
古い民話、伝承……
何となく意味があって一つに繋がって行く気がした。
そして、最後に長持ちの底に残った一冊・・
それを手に取った瞬間、トルイの前髪を風が吹き上げた。
理屈じゃない、全身の血がその書物に引っ張られる。
――全ての風が生まれ還り行く場所・・風出流山(かぜいずるやま)――
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