カタカゴ・Ⅰ
文字数 3,095文字
***
短編です
『金銀砂子』の十三年前
***
「水疱瘡ですねぇ」
熱に喘いで横たわる子供の手をとって、そのヒトは家人を振り向いた。
「お祈りより熱冷ましですね。薬とたっぷりの湯冷まし、安静、清潔、風通し。村内の防疫は先程教えた通りに」
一通りの説明を済ませ外に出ると、そのヒトはもう居なかった。
そのヒトを呼んだ祈祷師だけが、平伏している。
家人も習って、その方向に頭を下げた。
「人間がもう少しまとまって暮らしていた時代は、水疱瘡くらいで呼ばれなかった物ですがねぇ」
蒼の長は草の馬で空を駆けながら、小さくなる集落を振り向いた。
それでもたまに、本当に恐ろしい呪いや憑き物に出くわす事もあるので、人間の求めも無下に出来ない。
妖精は……取り分け、蒼の長の血筋は、人間の何倍も長命だ。
その分、完成された知識を受け継ぐ。
それを行使するのは長命な者の摂理。
人助けとか、積徳等の概念は無い。
摂理なのだ。
その信念の元に、長は代々風の末裔の一族を率いる。
「今日はここまででしょうかね」
先代ならば、こんな些末な呼び出しは、やり過ごしていたかもしれない。
先代は、『物事の流れを見据え、正しき方向に風を流す力』を完璧に行使出来ていた。
長の血が継承する、『内なる目』と呼ばれる、予言者にも近い能力。
それがあり、永々と実績を積み上げて来たからこそ、蒼の長は草原の人外種族から絶対的な信頼を集めている。
自分にその『内なる目』が継承出来ているかというと…………多分、出来ている……筈……
それは天啓のようにピシャンと閃く物ではなく、先代いわく『当たり前のように思考の中にあり、当たり前に身体が動く』らしいのだ。
自分も確かに、これがそうかな? と感じる時はある。
が、まだあやふやなのだ。
だから里に舞い込む依頼のすべてが『必要な事』に思えてしまい、こうしててんてこ舞いな日々が続いている。
先代……自分の父親なのだが……は厳しくて、お前は未熟者だから、とても何も任せられないと、連れ回してはくれたが実践はあまりさせてくれなかった。
見せて目で盗ませて、太くゆっくり育てる方針だったのだと思う。
その父が、人間の戦の流れ矢で呆気なく逝ってしまった。
いや、彼の名誉の為に補足すると、交流のあった人間の首領の危機に、突発的に飛び込んだのだ。
息子の癖に、父にそんな感情的な面があったなんて知らなかった。
茫然としている暇も無く、遺されたのは、能力があやふやな若い長。
おまけにその人間の首領も共に散ってしまったので、人間社会とのパイプも切れてしまった。
人間界の戦は治まらないし、人外界にも悪影響が出る。
暗黒の時代を苦労して潜り抜け、最近ようやく安定して来た所なのだ。
「あの子を行かせてしまいましたからねぇ」
彼と同じ血を持つ妹が居たのだが、何十年も前に里を飛び出したきり。
それなりの目的があったから自分も許したのだが、こうも忙しいと愚痴ってみたくもなる。
今の所頼りになるのは、本業の傍ら長の補佐をしてくれている、オタネお婆さんという里の医療師。
その彼女が今は、他の用件に掛かりきりなのだ。
長は溜め息ひとつ吐いて、草原の真ん中の、結界で守られた蒼の里へ帰還する。
「長さま、長さま――!」
里の馬繋ぎ場で係の者に馬を預けていると、淡い髪色の子供が数人駆け寄って来た。
蒼の妖精は白に近い髪で生まれ、成長するにつれ青い色が付いて来るのだが、術力の高い者ほど色が濃くなる。
長の髪は里で一番濃い群青色だ。父はほとんど黒に近かった。
「長さま、先日の試験で約束通り一番を取りました。僕、早く名前が欲しいです!」
「今度、沼地の蟲を退治に行くの、俺も行っていいですよね。兵長さんが長さまに許可を貰えって!」
「ああ、よくやりましたね、でも名前はもうちょっと先ですよ。あと百回は一番を取って下さい。
蟲退治? あ――・・勇敢なのは結構ですが、あと百回は剣の稽古を……」
そんな話、なんで兵長の所で止めて置けなかったのだ?
分かっている……前の長が何にでも完璧な判断が出来たので、みんな長に頼る習慣が抜けていないのだ。
「おさたま、おさたま」
こんな小さな者まで何の用事が?
うんざりしてそちらを向くと、鼻先に薄桃色の花を突き付けられた。
「今年いちばんのカタカゴの花が咲いたの。おさたまに見てイタタキたくて」
「あ、ああ……ありがとうございます」
幼い手に握られた小さな花を受け取り、多少穏やかな気持ちになる。
「あ――! ずるい! それなら俺は今年一番のゲジゲジを」
「僕、カマキリのタマゴを」
長は群がる子供達を何とか振り切って、里の中央の坂を登った。
坂上には石造りの執務室があるが、それを通り越して、里の裏側へ向かう。
人家の無い寂れた場所に山茶花(さざんか)林があり、その奥にポツリと小さなパォがあった。
外から声を掛けて入ると、淡い明かり取りの下で、女性が半身を起こそうとしていた。
「ああ、そのままで良いですよ、無理しないで下さい」
オタネお婆さんは何の用事か、外しているようだ。
「今日はお顔の色が宜しいようですね」
「はい、今とても気分が良いのです。風の具合で修練所の方から子供達の元気な声が聞こえて来たせいかしら」
女性は長い黒髪を滑らせて身を起こした。
ふっくらしたお腹が重そうだ。
「オタネお婆さんが、長様は気が付いたら子供達の輪の中に居られると言っていました。慕われていらっしゃいますのね」
「いや、特に機嫌を取っている訳でもないのですが……何でなんでしょうね」
「子供ってそういうの、分かるんです。自分を子供扱いしないヒトを信頼するんです」
最初に比べたら随分喋ってくれるようになった。
初めは何を聞いてもダンマリだった。
まだ冬の最中の何ヵ月か前。
草原の外れに、長年音沙汰のなかった妹の馬が現れた。
背には妹でなく、凍えた人間の娘が乗っていて、これが酷い病で、おまけに身重だった。
蒼の里で保護し、オタネお婆さんが付ききりで看病しているのだが、容態は芳しくない。
そして、名前もここへ来た経緯も、一切喋らないのだ。
「では、こちらの聞く事は何も答えてくれなくて結構。貴女の話したい事を話してください。特に妹に関して」
そういう言い方をしてみたら、ポツポツと断片的に喋ってくれた。
「乗馬ズボン……」
「は? 乗馬ズボン(ウムドゥ)、ですか?」
「はい、妹君が、私の為に縫ってくださいました。私が馬に乗った事がないと言うと、教えてあげると仰ってくれて」
「裁縫ですか、あの子が……」
「ヒトの物を繕う機会が多かったので、段々と縫えるようになったとか」
少しでも周りの状況が見える話になると、彼女は聡く話を切った。
「あの乗馬ズボン、履かないうちにお別れしてしまった。一度くらい履いてみたかったわ」
「どんな乗馬ズボンだったんです?」
「明るい青の、彼女の髪と目の色に合うと、ある方に頂いた絹だって。私なんかに使ってくれなくてもよかったのに」
核心に触れずとも、そうした言葉の端々に、妹があの王君にそこそこ大切にされているのが垣間見れて、長は彼女と雑談するのが好きになった。
「あ、カタカゴ」
言われて長は、手の中の花を思い出した。
小さな皿に水を張り、花弁を浮かべて枕元の小机に置く。
「私、この花、一番好き。春が来るって教えてくれるの」
女性は嬉しそうに淡い薄桃を見つめる。
「では、カタカゴにしましょう」
「は?」
「貴女は名前を教えてくれる気がないし、カタカゴでいいでしょう。不便だし」
「…………」
「一応、祝福しましょうか?」
短編です
『金銀砂子』の十三年前
***
「水疱瘡ですねぇ」
熱に喘いで横たわる子供の手をとって、そのヒトは家人を振り向いた。
「お祈りより熱冷ましですね。薬とたっぷりの湯冷まし、安静、清潔、風通し。村内の防疫は先程教えた通りに」
一通りの説明を済ませ外に出ると、そのヒトはもう居なかった。
そのヒトを呼んだ祈祷師だけが、平伏している。
家人も習って、その方向に頭を下げた。
「人間がもう少しまとまって暮らしていた時代は、水疱瘡くらいで呼ばれなかった物ですがねぇ」
蒼の長は草の馬で空を駆けながら、小さくなる集落を振り向いた。
それでもたまに、本当に恐ろしい呪いや憑き物に出くわす事もあるので、人間の求めも無下に出来ない。
妖精は……取り分け、蒼の長の血筋は、人間の何倍も長命だ。
その分、完成された知識を受け継ぐ。
それを行使するのは長命な者の摂理。
人助けとか、積徳等の概念は無い。
摂理なのだ。
その信念の元に、長は代々風の末裔の一族を率いる。
「今日はここまででしょうかね」
先代ならば、こんな些末な呼び出しは、やり過ごしていたかもしれない。
先代は、『物事の流れを見据え、正しき方向に風を流す力』を完璧に行使出来ていた。
長の血が継承する、『内なる目』と呼ばれる、予言者にも近い能力。
それがあり、永々と実績を積み上げて来たからこそ、蒼の長は草原の人外種族から絶対的な信頼を集めている。
自分にその『内なる目』が継承出来ているかというと…………多分、出来ている……筈……
それは天啓のようにピシャンと閃く物ではなく、先代いわく『当たり前のように思考の中にあり、当たり前に身体が動く』らしいのだ。
自分も確かに、これがそうかな? と感じる時はある。
が、まだあやふやなのだ。
だから里に舞い込む依頼のすべてが『必要な事』に思えてしまい、こうしててんてこ舞いな日々が続いている。
先代……自分の父親なのだが……は厳しくて、お前は未熟者だから、とても何も任せられないと、連れ回してはくれたが実践はあまりさせてくれなかった。
見せて目で盗ませて、太くゆっくり育てる方針だったのだと思う。
その父が、人間の戦の流れ矢で呆気なく逝ってしまった。
いや、彼の名誉の為に補足すると、交流のあった人間の首領の危機に、突発的に飛び込んだのだ。
息子の癖に、父にそんな感情的な面があったなんて知らなかった。
茫然としている暇も無く、遺されたのは、能力があやふやな若い長。
おまけにその人間の首領も共に散ってしまったので、人間社会とのパイプも切れてしまった。
人間界の戦は治まらないし、人外界にも悪影響が出る。
暗黒の時代を苦労して潜り抜け、最近ようやく安定して来た所なのだ。
「あの子を行かせてしまいましたからねぇ」
彼と同じ血を持つ妹が居たのだが、何十年も前に里を飛び出したきり。
それなりの目的があったから自分も許したのだが、こうも忙しいと愚痴ってみたくもなる。
今の所頼りになるのは、本業の傍ら長の補佐をしてくれている、オタネお婆さんという里の医療師。
その彼女が今は、他の用件に掛かりきりなのだ。
長は溜め息ひとつ吐いて、草原の真ん中の、結界で守られた蒼の里へ帰還する。
「長さま、長さま――!」
里の馬繋ぎ場で係の者に馬を預けていると、淡い髪色の子供が数人駆け寄って来た。
蒼の妖精は白に近い髪で生まれ、成長するにつれ青い色が付いて来るのだが、術力の高い者ほど色が濃くなる。
長の髪は里で一番濃い群青色だ。父はほとんど黒に近かった。
「長さま、先日の試験で約束通り一番を取りました。僕、早く名前が欲しいです!」
「今度、沼地の蟲を退治に行くの、俺も行っていいですよね。兵長さんが長さまに許可を貰えって!」
「ああ、よくやりましたね、でも名前はもうちょっと先ですよ。あと百回は一番を取って下さい。
蟲退治? あ――・・勇敢なのは結構ですが、あと百回は剣の稽古を……」
そんな話、なんで兵長の所で止めて置けなかったのだ?
分かっている……前の長が何にでも完璧な判断が出来たので、みんな長に頼る習慣が抜けていないのだ。
「おさたま、おさたま」
こんな小さな者まで何の用事が?
うんざりしてそちらを向くと、鼻先に薄桃色の花を突き付けられた。
「今年いちばんのカタカゴの花が咲いたの。おさたまに見てイタタキたくて」
「あ、ああ……ありがとうございます」
幼い手に握られた小さな花を受け取り、多少穏やかな気持ちになる。
「あ――! ずるい! それなら俺は今年一番のゲジゲジを」
「僕、カマキリのタマゴを」
長は群がる子供達を何とか振り切って、里の中央の坂を登った。
坂上には石造りの執務室があるが、それを通り越して、里の裏側へ向かう。
人家の無い寂れた場所に山茶花(さざんか)林があり、その奥にポツリと小さなパォがあった。
外から声を掛けて入ると、淡い明かり取りの下で、女性が半身を起こそうとしていた。
「ああ、そのままで良いですよ、無理しないで下さい」
オタネお婆さんは何の用事か、外しているようだ。
「今日はお顔の色が宜しいようですね」
「はい、今とても気分が良いのです。風の具合で修練所の方から子供達の元気な声が聞こえて来たせいかしら」
女性は長い黒髪を滑らせて身を起こした。
ふっくらしたお腹が重そうだ。
「オタネお婆さんが、長様は気が付いたら子供達の輪の中に居られると言っていました。慕われていらっしゃいますのね」
「いや、特に機嫌を取っている訳でもないのですが……何でなんでしょうね」
「子供ってそういうの、分かるんです。自分を子供扱いしないヒトを信頼するんです」
最初に比べたら随分喋ってくれるようになった。
初めは何を聞いてもダンマリだった。
まだ冬の最中の何ヵ月か前。
草原の外れに、長年音沙汰のなかった妹の馬が現れた。
背には妹でなく、凍えた人間の娘が乗っていて、これが酷い病で、おまけに身重だった。
蒼の里で保護し、オタネお婆さんが付ききりで看病しているのだが、容態は芳しくない。
そして、名前もここへ来た経緯も、一切喋らないのだ。
「では、こちらの聞く事は何も答えてくれなくて結構。貴女の話したい事を話してください。特に妹に関して」
そういう言い方をしてみたら、ポツポツと断片的に喋ってくれた。
「乗馬ズボン……」
「は? 乗馬ズボン(ウムドゥ)、ですか?」
「はい、妹君が、私の為に縫ってくださいました。私が馬に乗った事がないと言うと、教えてあげると仰ってくれて」
「裁縫ですか、あの子が……」
「ヒトの物を繕う機会が多かったので、段々と縫えるようになったとか」
少しでも周りの状況が見える話になると、彼女は聡く話を切った。
「あの乗馬ズボン、履かないうちにお別れしてしまった。一度くらい履いてみたかったわ」
「どんな乗馬ズボンだったんです?」
「明るい青の、彼女の髪と目の色に合うと、ある方に頂いた絹だって。私なんかに使ってくれなくてもよかったのに」
核心に触れずとも、そうした言葉の端々に、妹があの王君にそこそこ大切にされているのが垣間見れて、長は彼女と雑談するのが好きになった。
「あ、カタカゴ」
言われて長は、手の中の花を思い出した。
小さな皿に水を張り、花弁を浮かべて枕元の小机に置く。
「私、この花、一番好き。春が来るって教えてくれるの」
女性は嬉しそうに淡い薄桃を見つめる。
「では、カタカゴにしましょう」
「は?」
「貴女は名前を教えてくれる気がないし、カタカゴでいいでしょう。不便だし」
「…………」
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