金銀砂子・Ⅵ
文字数 2,635文字
兄にはなるべく連絡しないで……というのは事ある毎の小狼(シャオラ)の口癖だが、今回は上空で待機していた鷹が一部始終を眼(まなこ)に記録して帰ったので、一気にバレた。
競馬大会の翌日には、蒼白な蒼の長と、赤鬼のようなオタネ婆さんが、脱兎の如く飛んで来た。
「あああ、やっぱりあの王に関わっているとロクな事にならない」
「受け身が甘いからそういう事になるんじゃい」
などとブツブツ言いながらも術で骨を継ぎ、特製の膏薬で足をぐるぐる巻きにしてくれた。
妖精の治癒の術はけして万能ではなく、身体が直そうとする力を後押しする物だ。それでも施して貰うと痛みがすうっと引く。
小狼は素直に感謝した。
「お忙しいでしょうに、すみません」
「いやいや今回は私の不手際が発端です。貴女はよくやりました。よくイルアルティを守ってくれました」
入り口にパサリと音がする。
街へ買い物に行っていたイルが、荷物を足元に落っことした音だ。
小狼に誉めてもらった黒髪は、おさげに編んで下ろしている。
長が振り向いて感動の瞳を潤ませた。
ずっと成長を見守って来た赤子。いつも遠目でしか見られなくて、こんなに近くで対面するのは初めてなのだ。
「貴女が・・ぐふ!!」
「お父さん! イルのお父さんでしょ!」
背の高い長にチビッ子のイルがタックルすると、丁度鳩尾(みぞおち)に入る。
痛そう……と思いながら小狼がベッドから見上げると、兄は、『お父さん』と呼ばれて抱き付かれた事にじ――んとしている。
訂正しないで放って置いてあげた方がいいのかしら。
「人の娘よ、お主には歴とした両親がおるだろう」
オタネ婆さんが思いっきり怖い顔をして娘をねめつけた。
「だって……」
「お主を育んでくれた者がお主の両親じゃ。人の娘が人外と関わりたがるとロクな目に合わぬぞ。とっとと故郷へ帰りなされ」
厳しい。でもその通りなのだ。
誰も味方してくれないので、イルは泣きそうになった。
「帰しちまっていいのかよぉ?」
戸口に片足を掛けて、オタネ婆さんの天敵が現れた。
可愛かったのは赤子の頃だけの、赤毛の小悪童(わっぱ)。
「少なくとも風の制御方法ぐらい仕込んでやんないと、こいつ同じ事を繰り返すぜぇ」
トルイは落ちていた荷物を拾って、イルと長の間に挟むように押し付けた。
「知った風な口をききおって、お主が挑発したせいではないか」
婆さんが小突いて来る杖を掴んで、皇子は空いた片手で蝋印された羊皮紙を、長に突き付けた。
「親父から。外せない会合で挨拶に来られなくてゴメンって内容」
「トルイ、親書は両手で正面に立って渡しなさい」
「この態勢でどうするんだよ!」
「礼儀が優先です。小突かれておきなさい」
「うう」
母子が言い合っている間に長は手紙を開いて目を通し、丁寧に畳んで懐にしまった。
「イルアルティの風の制御についての相談も書かれていました」
「ああ、母さんには無理だし、長に頼みたいって言ってた」
隅に突っ立っていたイルはビクッと顔を上げた。
もしかしてお父さんに教えて貰えるの?
「蒼の長を何と思っておるのか。長様にそんな暇はお有りでない!」
婆さんの一喝がイルの期待をペシャンコにする。
「俺が教える?」
「ヒヨッコがさえずるでない!」
「じゃあ……」
「仕方がない、この婆が直々に一肌脱いでやろう」
イルはまたヒキガエルみたいな顔になった。
よりによってこの場で一番怖そうなヒトが師匠だなんて。
と、思う暇なく、鼻先にビッと杖を突き付けられた。
「挨拶は!?」
「よ、宜しくお願いします……」
***
結局オタネ婆さんは小狼(シャオラ)の出産の時と同じに居座り、トルイも暇を見付けては入り浸ったので、西の森は今までになく賑やかになった。
小狼の額の傷は塞がり、外から見える怪我はほとんどが回復した。
まだ枕から頭が離れないが、たまに皆と雑談して笑ったりしている。
イルアルティは、能力に酷いムラがあった。
今まで人間の騎手相手の競馬しかして来なかったので、『無意識に使っていた風』は微々たる物だった。
その程度ならと長も見過ごしていたのだが、トルイ相手に眠っていた力が爆発してしまったのだ。
「俺はさ、分かるの。母さんが妖精だから。でもあいつは? あいつもどっちかの親が妖精だったりすんの?」
パォの前で並んで立つトルイとオタネ婆さん。
上空ではイルアルティが自分の馬に跨がって、半泣きになりながら課題の八の字乗りをやっている。
馬は婆さんの術で浮かばされ、了が出るまで地上に降ろして貰えないのだ。
「長様が仰るには、本当にたまたま、あの娘の両親とも大昔に妖精の血が入っていたらしい」
オタネ婆さんは、イルの両親が誰かを聞いていたが、長や小狼が言わないならば自分も言う物ではないと心得ている。
「へえ? だったらすっごく薄い筈だよね、半分の俺と違って。何で俺とガチで走れたの」
「一概に血の濃さなどで測るような物ではないのじゃよ。・・! そらまた踏歩変換が出来とらん!」
婆は、娘に喝を飛ばして馬の傾きを正してやりながら、答えを続ける。
「父親方は多分蒼の妖精、母親方は他国の風の妖精じゃ。血が交じるというのは、時として思いも寄らぬ効果をもたらす事がある」
「そうなの?」
「我ら蒼の一族も、太古に風の霊峰から下りて来た風の民が始祖じゃ」
「あ、それ、母さんに教わった。そんで今の蒼の里に住んでいた大地の妖精と交わって蒼の一族になったんでしょ」
「ふむ、お嬢はキチンとお主に里の歴史を学ばせておるようじゃな。
そういう理由で、血が交じわるという事を、我々はお主らが思うよりも深く考えておる。故に混血児の扱いにも慎重なのじゃ」
「じゃあ俺も、いきなりピキーンとか謎の力が目覚めたりする?」
「調子に乗るな、小悪童(わっぱ)が」
ようやくイルが綺麗な八の字を描け、婆さんに許されて降りて来た。
「あ、足がガクガクですう」
「でも大分、風の加減が自分で出来るようになったじゃん」
最初は邪険だったトルイも、彼女の頑張りを認めて褒めるようになった。
訓練が終わったら病人の身の回り、水汲み洗濯、おつかいに馬の手入れと、彼女は本当にクルクルと働いた。
イルの話す遊牧民の日常は小狼のお気に入りで、トルイのツッコミと共に明るい時間が過ぎて行く。
このまま順調に時を重ね、細い繋がりを持ったまま其々の生活に戻って行けばいいと、皆が思っていた。
でも……
いつだって影は、油断している所に忍び寄る。
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