白い森 ~寂しい天の川~・Ⅷ
文字数 2,837文字
「ノスリ、ツバクロ――!」
空に響くカワセミの叫び声。
三頭の馬が黒い影に覆われた。
真上の空中に、いきなり黒虎が出現したのだ。
「派手過ぎだろ、カワセミ!」
ツバクロは馬を翻して虎の前に飛び込み、剣を抜いて見せてから降下した。
地上まで虎を誘導するつもりだ。
ところが虎は武器に見向きもせず、風を巻いて空中を走り、反対方向へ逃げるノスリの馬を追い掛けた。
「いかん!」
一人なら迎え撃つが、今は子供を乗せている。ノスリは速力に劣る自分の馬に渇を入れて、何とか逃げ切ろうとする。
その時、後ろの子供がいきなり立ち上がった。
「あの虎、俺が目当てなんだ!」
言うが早いか、馬の背を蹴って進行方向と逆側に飛び降りてしまった。
もうほとんど地面近くにいたが、上手く風に乗れずに着地に失敗し、子供はゴロゴロと転がる。
虎は本当にそちらへ向きを変えた。
「あああっ! まずい!」
想定外の事態に、ツバクロもカワセミも反応が遅れた。虎が思ったように動いてくれない。
まだ転がる子供を追い掛け、青竜刀のような前肢が振り上がる。
――ガシィ!
二人と違って油断していなかったノスリが、いち早く馬を飛び降り、二刀で爪を受け止めた。
「カワセミ! 呪文を寄越せ!」
「あ、うん」
カワセミは慌てて術を唱えてノスリの剣に向けて放った。夕べみたいに一撃で終わらせたら元も子もないので、ややセーブした呪文だ。
ツバクロも馬を返して戻って来た。
――!??
視界の端に何か映った?
地平に細い人影、と、昨日の馬……?
ゆっくり凝視している暇はない。
とにかく子供を逃がさなきゃ。
術を貰ったノスリの剣が虎を退かせ、ツバクロもカマイタチを放った。
しかし黒虎は全く効いていない感じで、首を左右に振っている。
おかしい? 夕べの森で闘った分身とは大分違うような……?
「カワセミ?」
「ごめん、本体が来ちゃったみたい」
「マジか、ヤバいだろ!」
子供が立ち上がって、二人に向かって走って来る。
「カワセミ、俺の剣!」
「来るな! キミは逃げろ!」
しかし黒虎は、鼠に執着する猫のように子供の方へ向きを変える。
「うぉりゃああ!」
跳躍したノスリが一閃、虎の肩に大刀で斬りかかった。
しかし術の入っていない剣は、固い毛皮に止められる。
食い込んだ大刀はビクとも動かず、ノスリは身を振った虎に振り飛ばされてしまった。
流石に虎も肩の刺(とげ)が気に障り、刺した本人に向かって両前肢を振り上げて行く。
小刀のみになったノスリはまだ体勢が取れていない。
一瞬の隙を突いて、子供が虎の背に駆け上がって大刀に飛び付いた。
「カワセミ、呪文、呪文ちょうだい!!」
振り回されながらも握った刀を離さない子供。
考えている暇はない。カワセミはフルスロットルで呪文を放った。
術を貰った大刀が緑から白に輝き、子供は両手に力を込める。
――破邪――!!
光が翡翠に変わる。
虎は肩口から真っ二つに分かれた。
分かれた瞬間粉微塵になり、ザアッと崩れて子供はダルマ落としのように真下に落っこちる。
三人の妖精はしばし茫然としていた。
最初に我に返ったノスリが、落ちた所へ駆け寄る。
子供は大の字になって黒い破片の中に伸びていたが、大刀はしっかり握ったままで、ノスリを見てニニッと笑う。
残りの二人も来て両側から手を差し伸べ、子供を引っ張り起こした。
ツバクロは地平の人影を振り向いた。カワセミも途中から気付いていた。
何で助けに入らなかったんだろう?
その人影が、馬を引きながらこちらへ歩いて来た。
「・・!!!!」
三人は息が止まった。
赤毛の子供の師匠、『蒼の狼』が、出奔した蒼の妖精だというのは聞いていたが、ごつい剣士か老練賢者のような風貌をイメージしていた。
だから……
歩いて来た、風柳(かぜやなぎ)みたいに細い女性に、何のリアクションも取れずに棒立ちになっている。
冬空色の、霜の降りたような髪と瞳、透ける肌。遥か氷の山から粉雪と共に飛んで来たのかと思わせる……アイスレディ。
こんな女性(ヒト)、里でも何処でも見た事がない……
(まったく、どの辺が『狼』なんだよ)
三人は口をパカンと開いたまま突っ立っていた。
「母さん!」
子供が駆け寄った。
え――っと、粉雪さん、じゃなくて、この子の母さん? が、蒼の狼でこの子の師匠?
あ、もしかして馬を借りてるだけで師匠はまた別に? ダメだ、頭が働かん……
などと脳みそを巡らせている間に、女性は大きく手を振り上げていた。
――ピシャリ!
三人は自分が叩(はた)かれたように目を閉じた。
頬を張られた子供が、女性の前で三歩よろめいている。
「虎に付け狙われているというのに、剣を身体から離すなんてもっての他です。貴方は一人しかいないのですよ」
凛と通った、鈴をひと振りするような声。
「ごめんなさい……」
「やっと虎を倒せましたね、よくやりました。でも一人で倒したと思ってはいけませんよ」
「はいっ」
それから女性は、空間に糊付けされたように固まっている三人に正面向いて、深々と頭を下げた。
「未熟な子供でございますが、何卒宜しくご指導下さいますよう……」
「あ、は、はははい!」
三人は電気に弾かれたように返事をした。
女性がもう一礼をして草の馬で飛び去って、しばらくしてから青年達はようやく硬直が解けた。
子供が神妙に覗き込む。
「ね、とても『気楽に会える』って感じじゃないでしょ?」
三人は首降り人形のように何回も頷いた。
***
いぶかる子供とノスリを連れて白い森へ戻り、ツバクロとカワセミは自分達の企てを白状した。
ノスリは蚊帳の外だった事に不満タラタラだったが、結果一番早く動けたのだからと宥められた。
「母さんが助けてくれる訳ないじゃん!」
子供は口を尖らせた。
「黒虎は俺が怒らせたんだから、責任取ってちゃんと倒せ、って言われていたんだ」
「怒らせたって……」
「何ヵ月か前、カゼイズル……北西の山で、気楽に暮らしている所に騒ぎを起こして怒らせたんだ。それ以来、影に乗っては俺を襲いに来る」
「ええ……」
ツバクロの影に乗って来たのも必然?
道理でこの子にばかり向かって行った訳だ。
「術を持たされて、責任持って祓えって言われていたんだ。でもいつも力が足りなくて、山に帰す事しか出来なかった。みんなのお陰でやっと倒せた!」
子供は犬歯を見せて笑顔になり、三人に向けてピョコンとお辞儀をした。
「……それで、君が命を落としそうになったらどうするつもりなんだ? 今日だって剣が無かったし、結構危なかったと思うんだが」
ツバクロが真剣な面持ちで問うた。
「そうならないように普段からシゴかれてんじゃん」
キョンと返事をする子供。
三人はうっすら分かって来た。
この子と蒼の狼の師弟関係に、自分達の定石は通用しない。二人だけの絶対の信頼で成り立っているんだ。
「どうりで色々通用しなかった訳だ……」
カワセミがポツリと言った。
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