蒼と赤・Ⅴ
文字数 2,325文字
細く吸った小狼(シャオラ)の息が腕を伝い、振り下ろした剣から強烈な光が弧を描いて飛び、鴉に命中した。
蒼の妖精の破邪の術。
(や、やった、一発で出来た!)
真っ二つになった鴉が羽根を散らして消滅するのを見てホッとしたのも束の間、上空が渦巻いて、更に二羽の鴉が降って来た。
(えっ、複数居たのなら何故アルを追わなかったの?)
考えている隙もなく、左右から鋭い鉤爪が迫る。
「――破邪!」
続けて術を炸裂させる。
空振りなんかしている暇はない。
とにかくここには自分しかいない、誰も助けてくれない。
自分が抜かれたらアルが襲われる!
経験のない高揚が身体を駆け上がった。
空気が震える。
剣から撃ち下ろされた衝撃波が波紋状に広がる。
(わ! なにこれ!?)
双方の鴉がその場から動けず粉々になった。
信じられない威力。
自分がやったのか?
一瞬、また狼が助けてくれたのかと思ったが、気配はない。やっぱり自分がやったんだ。
その代わり、身体から一気に力が抜けて膝を着いてしまった。
手の中の剣がボロボロと崩れ落ちる。
駄目だ、目が回る、立ち上がれない。
術を使い過ぎたせい? こんなの経験がない。
(で、でも、アルは、守れた……)
グラグラする視界を上げて、小狼は凍り付いた。
目の前の空間がまた渦巻いているのだ。
(嘘でしょ……)
今度は黒雲が現れ、すぅ、と左右に千切れて二匹の大虎となった。
白地に黒縞の虎と、黒地に白縞の虎。
狂暴そうな吐息が、妖精の娘がしゃがみ込む地面にまで伝わって来る。
しかし小狼が鳥肌を立てているのは、虎の間に立っている人影を見てだ。
人間…… 人間には違いない、でも……
「・・そのように恐ろしげな顔をするな。ちと色々なモノと契約を交わし過ぎておるだけなのだ」
おどろおどろしい雲の中に像を結んだのは、姿形は人間の陰陽師の出で立ちではあった。
だけれどこの気配は人間とは違う。
今まで出会ったどんな邪(よこしま)な魔物よりも恐ろしい。
小狼は背筋の於曾気(おぞけ)に身を震わせながら、懐の小剣に手を伸ばした。
間違いない、この人間が、テムジンを悩ませている鴉使いの陰陽師。
「さすが噂に聞く北の草原の蒼の妖精殿。大した術をお使いになる。じゃが小さいお身体が術力に見合っておらぬようですな」
二匹の虎の間に立つ黒い男は、蛇がうねるような声で喋る。
「稀少な太古の術を使う蒼の妖精。戒律厳しく警戒心の強い筈の妖精の子供が、草原の覇王の側仕えにおると、魔性どもの噂で耳に入りましてな。お会い出来るのを楽しみにしておりました。もっともこれからは儂のコレクションに加わって頂くが」
――!!
小狼は身震いした。於曾気の正体はこれだ。
この男の目的は敵王の寵姫の誘拐などではない。それはついでで、優先しているのは自分の欲だ。
子供が珍しい虫を掴まえたがるみたいに、妖精の子供を自分の収集箱に入れたいのだ。
多分、自分が仕える王にも戦の先行きにも興味はない。
(アルに意識が行っていないのは良かった。あとはどうにかしてこの場を切り抜けなくては)
小狼は残った術力を必死にかき集める。
***
赤い狼が見付けたのは、荒野に野営の残骸と、飛散した鴉の羽根、砕けた剣……
「・・ふん」
鼻から息を一つ吐き、消し炭になった焚き火跡を覗き込む。
「なぁ兄弟、お前さんは見ていたよな? 妖精のチビと人間の女はどうなった?」
焚き火跡に芥子粒のように残っていた燃えさしが瞬き、たちまち大きな炎となった。
赤く揺れる中心に、今しがたここで起こった出来事が浮かびあがる。
人かとみまごう隈取りを湛えた陰陽師が、手にした杖を振り上げる。
両脇に鎮座していた黒白の二頭の虎が、糸で操られるように立ち上がった。
並みの虎の数倍の大きさ。
妖精の娘は座り込んだまま動けない。
「二つ返事では来て頂けるとは思ぅておらぬ。黒虎(こくこ)よ、白虎(びゃくこ)よ、ほぉれ出番だぞ」
奇矯な形の杖が地を打つと、虎の爪の色が根元から紫に変わり、切っ先から毒がしたたった。
小狼は変わらず動かない。
でも懐で小刀を握って、絞り出した魔力を貯めている。眼の奥の光は消えていない。
「やめて、やめてぇ!」
双方の間に、黒髪の娘が割って入った。
「えっ!?」
妖精の娘は固まった。何が起こったのか理解出来ない表情。
しかしアルカンシラの次の言葉が、彼女を心臓深くまで凍り付かせる。
「妖精の女の子には何もしないって言ったじゃない。誰も血を流さないで戦を終わらせるって言うから協力したのよ!」
――それ見たことか・・
映像を映していた炎がシュンと消え、赤い狼は今一度鼻から息を吐いた。
(本音を言わない人間なんぞ、無償で信用しちまうからいちいちダメージを受けるんだ。ヒトとヒトとの関わりなんぞ、術で縛った契約だけにしておけばいいのによ)
あの陰陽師はモノホンだ。ヤバイ気配がビンビンする。魔界に片足か両足首ぐらいまでは踏み込んでいるだろう。
「テムジンに知らせるか? いや……」
知らせてどうなる?
側女はともかく、どチビが敵の手に落ちたとなると、あの唐変木は何をトチ狂うか分からない。俺様にとって面白くない方向に転がっちまう事だけは確かだ。
炎の記憶の最後は、脱力して連れ去られる妖精の後ろ姿だった。
「あっちか……」
狼がその方向に踏み出した時……
足元に何かが転がった。小指の先程のトルコ石の玉。
「あの娘がしていた首飾り?」
確かテムジンがアルカンシラに贈った物だ。
見ると、幾ばくか置きに、ポツポツと落ちている。
「ふん、しゃら臭ぇ」
狼は三度(みたび)鼻から息を吐き、青い玉を辿りながら空中を駆け出した。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)
(ログインが必要です)