金銀砂子・Ⅱ
文字数 2,596文字
小狼(シャオラ)が息を呑むのと同時に、上空で甲高い鳥の声がした。
足に伝信筒を着けた鷹が風を切って降りて来て、女性の腕にズシリと留まる。
「蒼の里からの鷹?」
「ええ、少し待っていて下さいね」
「うん、いいよ」
トルイ少年は母から離れて、馬の世話を始めた。
妖精の母さんの所へ来る綺麗な鷹は、同じく妖精のお兄さんの持ち物で、大切な連絡を運んで来るらしい。
今は手紙が来た時は邪魔をしないように離れているけれど、もうちょっと大人になったら内容を教えて貰って手伝うんだ。 何せ母さんの助けになれるのは俺だけなんだから。
「トルイ」
呼ばれて少年は振り向いたが、母はまだ手紙を凝視している。
「その、さっきの話の続きをして下さい」
「え?」
手紙を読んでいる最中じゃないの?
「えっと、風を使う奴の話? 俺と同じ位の子供で、女だった。結構強い風を使って、俺が本気出さなきゃ置いて行かれる所だったよ」
「…………」
「?? 明後日の競馬(くらべうま)大会に出る為に来たんじゃないかな。この街では見かけない肌の色だったし」
聞くだけ聞いて無言な母親に、少年は「ちぇ」と呟いて、馬の世話に戻ろうとした。
「トルイ」
「もお、なぁに!?」
「明後日の競馬大会、貴方も出場して下さい」
「は?」
「そして、王から手渡される優勝杯を貴方が受け取って下さい」
「・・・・」
しばしの沈黙の後、少年はそれまでと違う重い声を出した。
「・・俺なんかがそんな事をやらかしたら、シラけるぜ・・」
小狼はハッとして散っていた目の焦点を戻した。
「ああ、そうよね、そんな大層な場所、貴方は嫌いだったわよね。ごめんなさい。何を言っているのかしら、私は」
トルイは少し考えてから聞いた。
「そいつと親父を会わせたくない、って事?」
――!!
なんて頭の回転の早い子供だろう!
小狼は手の中の紙を握りしめた。
手紙には、『目を離した隙にイルアルティが王都に招かれ、出発した後だった。絶対に王に会わせないで欲しい』と、慌てた感じの兄の文字が綴られていた。
そう、遠目ならともかく、テムジンが真正面から見て、あんなにアルカンシラそっくりな娘に気付かない訳がない。
「トルイは凄いですね。その通りです」
「俺が何とかしてやろうか?」
「でも、貴方、競馬大会などには……」
「そいつが大会に出られなくなればいいんだろ? ケガさせるとか」
「だ、駄目です!」
冷静な母が顔色を変えたので、トルイはピクッとした
「なんだよ、そいつの事そんなに大事なの?」
「いいえ、いいえ、貴方が簡単に人にケガをさせるとか言うのが嫌なの」
「じゃ、じゃあどうすればいい? 俺、母さんの助けになるよ」
母は俯(うつむ)いて、手の中の手紙を畳んだ。
「何もしなくていいわ」
「だって」
「大丈夫よ、なるようになるから」
「そ・・」
王宮の方から号砲が響いた。
「王のご帰還だわ」
女性は顔を上げた。
街が浮き足立ってざわめくのがここまで聞こえて来る。
「さ、もう戻って。あちらの行事ではきちんと振る舞うって約束しているでしょう」
少年はムスッとして兜をかぶり直した。
「そうやっていつも、何も話してくれないんだ」
「トルイ」
「何だよ」
「落ち着いたらまた来て下さいね。剣の上達振りを見てあげるわ」
「ちぇ」
舌打ちしながらも少年は、馬上から片手をヒラヒラ振って、森の中へ分け入って行った。
残った女性はもう一度手紙を開き、所在なさげに止まり木の鷹に話し掛ける。
「本当に、なるようになるしかないわ」
自分だってイルアルティには、アルの遺言通り穏やかな人生を歩んで欲しい。
でもどんなに阻止しようとも、風が流れ始めたら止められない……
***
イルアルティは宿の二階の部屋に一人でいた。
王の凱旋パレードで、街の中央はお祭り騒ぎ。
族長達は見物に行ってしまった。
イルも行ってみようとしたけれど、チビの自分には人の背中しか見られない。
人混みに揉みくちゃにされ、ヨレヨレになって逃げて来た。
「はぁ、早く帰りたい・・」
ふと窓の外を見ると、中庭の厩の外に見覚えのある馬が立っている。
「あの青鹿毛?」
イルは階段を降りて外に出た。
宿の客も従業員もほとんどがパレード見物に行っているらしく、人気(ひとけ)がない。
そろそろと厩に近寄ると、話し声がした。
「だからこうやって頼んでるんじゃないか!」
戸口から覗くとやはりあの兜の子供。だが一人だ。
正面にはイルの尾花栗毛。
(んん? イルと同じで馬に話し掛けるタイプ?)
「融通の効かない奴だな、しようがない」
男の子は兜を脱いだ。
イルは息が止まった。
血のように真っ赤な髪、横からでも分かるギラギラと動物みたいに光る目。
尾花栗毛の頬を両手で押さえ、妖しい瞳の男の子は、馬の顔にズイと近付く。
馬が絞め殺されるみたいな呻きを上げた。
「ややややめて――!!」
厩の天井まで響くイルの叫び声。
振り向く銀の目。
その目の横を、乾し草用の三本ホックが掠めた。
「ちぇ、ほら、お前が素直に言うことを聞かないから、ご主人様が来ちゃったじゃないか。どうすんだよ、これ……おっと」
テンパったイルが振り回すホックの先を、男の子は避けて掴んだ。
「危ねぇなあ、こんなの当たったら死んじゃうだろ」
「イイイ、イルの馬にぃっ、呪いを掛けようとしたぁっ!!」
「そうな大層なモンじゃないって。ちょっと二、三日怯えて動けなくなる程度で……」
「やっぱりぃ! 正々堂々勝負しなさいよ、この卑怯者ぉ!」
「何だと、俺は卑怯なんかじゃない。訂正しろ」
「しないわ、何度でも言ってやる! 卑怯者、卑怯者、ヒキョ――モ――ノ――!」
さすがにこれだけ騒げば、残っている従業員も気付く。
複数の足音がした所で、少年は兜をかぶって青鹿毛に飛び乗った。
「逃げるの? 卑怯者!」
「卑怯じゃない、正々堂々勝負してやる! 覚えてろ!」
馬を返して身を低くして駆け去る男の子。
イルは三本ホックを握ったまま肩で大きく息をして、その後ろ姿を睨み付けていた。
許せない、馬に手出しをするなんて。悔しい悔しい悔しい!
あんな奴に絶対負けたくない! 勝たせるもんか!!
・・
・・・・
「親父ィ 頼みがあるんだけど」
「凱旋の労いも無しの第一声がそれか?」
金の輪兜を外しながら、赤毛の四男坊に甘い王は、頼み事をされるのが嬉しくてたまらない様子でニニッと笑った。
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