白い森 ~寂しい天の川~・Ⅸ
文字数 1,660文字
時は少し遡る。
西の森、中央の広場。
空から戻った女性は、馬を下りてパォの入り口を潜った。
中にいたヒトがいない? と思ったら、床に転がってカブトムシの幼虫のようにくの字になって、ヒクヒクと痙攣している。
「兄様?」
「ひ、ひ、クルシイ……」
小机には一抱えもあるビイドロの大皿。清水が張られた水面に、今しがた出会って来た三人の若者の呆けた顔が映っている。
彼女の兄である蒼の長が、まだヒィヒィ言いながら起き上がった。
「ああおかしい、ツバクロの顔ったら。カワセミでもこんな顔をするんですねぇ」
「兄様、趣味が悪いです。ご自分の弟子をそんな風にオモチャにする長が、何処にいますか」
「オモチャになんかしていません!」
長は長い髪を払って背筋を伸ばした。
「ただね、あの子達が勝手にオモチャになってくれるだけですよ」
また相好を崩して笑い出す兄に溜め息吐いて、女性はベッドに腰掛けた。
確かに自分で頼んだ事だから、文句は言えないのだが……
トルイが妖精の学びを受けたいと言うのを、長は二つ返事で承諾してくれた。
人間に生まれたので油断していたが、思った以上に妖精の資質を継承していた子供を、彼も案じていたのだ。
技や術は妹でも教えられるが、蒼の妖精としての根っこの摂理を、一度きちんと学ばせねばならない。
ただ、多忙な長を独占する訳には行かず、他の弟子の子達と机を並べる事となる。
心配したのは、里を出奔した身の妹だ。
「心配いりませんよ、皆本当にいい子達です」
長は不安がる妹の為に、少しの『お試し期間』を設けて参観させてくれた。
水鏡の術は、音声は聞こえないが大体の状況を見る事が出来る。
最初はギクシャクしていた弟子達との間柄が段々とほぐれて行くのを、母は涙ぐみながらここで見つめていたのだった。
水盤の映像がフッと消え、甲高い鳴き声と共に外から鷹が帰って来た。
「ご苦労様でした」
昨日の夕方から、この鷹の目が水盤に映像を送ってくれていたのだ。
褒美のエサを与え、長は水鏡の術を解いた。
「参観はもう要りませんよね、安心したでしょ。何せ私の自慢の弟子達です」
「はい、でも、お弟子さん達にもっとお礼を言いたかったわ。身を挺してトルイを守ってくれたあの身体の大きな方なんか、抱きしめて感謝を示したかった位です」
「そ、それは、絶対にやめて下さい、ああ、釘を刺しておいて良かった……」
黒虎との闘いを見届けに行こうと馬に跨がる妹に、長は幾つかお願いをしていた。
『表情は崩さぬよう、間違っても笑ったりせぬよう、弟子達に話し掛けるのは最小限にして下さい』と。
「出奔した身ゆえ、里の者とあまり関わってはならぬのは得心しておりますが……」
「あ、そういうのじゃないです」
長は努めてシャッキリして、妹に向き直った。
「貴女には、あの三人にとって『孤高の存在』になって貰います」
「へ……は?」
「必要なんですよ、ああいう成長途上の若者には。今後もし会う事があっても、毅然としていて下さい」
「はぁ……でもそういう役割は兄様の方が適任ではありませんか?」
「嫌ですよ、疲れるから」
「…………」
「私は優しくて美味しいトコ取りのオジサンでいます。楽だから」
「…………」
「貴女も、一族の事を私に任せきりで引け目を感じているのなら、その位は引き受けて下さい」
「……分かりました」
渋々承知する妹に、長は横目でほくそ笑む。
この妹(こ)は、自分を見られる者がほぼ限られた環境で成長し、唯一の大人の男があの『唐変木(テムジン)』だ。
だから自分の外見が、他の者にどれだけインパクトを与えるかなんて、全く知らない。
弟子達が一通りのリアクションを取ってくれて、長は大いに満足だった。
まあ、予想外の収穫もあった。
優等生過ぎて、横風(イレギュラー)に弱かったツバクロ、
自分の事だけで精一杯だったカワセミ、
物事を早合点して、即席に答えを求めがちだったノスリ、
……あの子らが自分の欠点に向き合って、克服する切っ掛けをくれた。
(本当に大した子供ですよ、貴女の息子は……)
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)
(ログインが必要です)