金銀砂子・ⅩⅥ
文字数 1,812文字
一夜明けたら、小狼の背中の羽根跡は、綺麗に浄化されていた。
無理矢理消し去っても肉体は同じに回復したろうが、アルカンシラの願いも消し去られていた。
即ち小狼は自分を責め続け、大人達の心に乾かぬ傷痕を残したままだったろう。
蒼の長は溜まった用事にうんざりしながら、慌ただしく帰って行った。
トルイからある程度は聴取したが、羽根の事、神殿の事についてはまだまだ調べねばならない。一度開いた封印も心配だ。彼に休まる暇はない。
だが途中で、イルがたてがみの中に編んだ小さなボンボリを見付けて、少しはホンワリ出来るだろう。
オタネ婆さんは小狼の看護でもうしばらく鎮守の森に滞在する。毎日凄い臭いの膏薬を精製してはトルイと喧嘩をしている。
テムジンは、再びの遠征準備に掛かっている。
世界統一はライフワークだから止むことはない。
世界を同じに塗り潰し、戦を無くする事が、彼の母親や兄弟やアルカンシラや、沢山の不幸を止める事に繋がる……そういう信念は、多分一生揺るがない。
そんなテムジンの息の止まるその時まで、小狼は側にいる。
「私、アルに嫉妬した時期があったかもしれません。いつ頃だったかは忘れたけれど」
と告白してみるが、テムジンはふぅん、と惚けるだけだった。
トルイは兜を被る事がなくなった。
赤い髪をなびかせて城内を闊歩していると、意外と若い兵士のシンパが着いた。
同年代の友人が出来、遅まきながらの反抗期で、小狼を困らせテムジンを楽しませている。
それから王妃ヴォルテの書庫に出入りし、ぎこちない会話をしたりしている。
次は遠征に道々するか? とテムジンに尋ねられた夜、久しぶりに母の元へ出向いた。
「戦場へ行く前に、一度ちゃんと妖精の学びを受けたい。人間だけでない、多くの繋がりを知って、広い目で統べる事の出来る者になりたい」
そう申し出ると母は、兄様に相談してみましょうと言ってくれたが、少し寂し気だった。
「何か障りがある? 言ってくれないと俺、分かんないから」
「そうじゃなくて…………人間の子供って、大きくなるのが本当に早いなぁ、って……」
そう呟く母を見て、自分の背丈がこのヒトを追い抜いている事に気付く。
イルアルティは………………草原へ帰った……
不思議な事に、風の魔法や能力がほとんど使えなくなった。
妖精や草の馬が見えて、ちょっと馬に乗るのが上手いだけの平凡な女の子になってしまった。
「思い込みだったんじゃ」
不思議がるトルイに、オタネ婆さんが説明する。
「自分が『あの草の馬を駆る蒼い髪のヒト達の子供』だと思い込むだけで、風を使う能力が生まれ、『蒼の長の子供かも?』と思い込んでからは急激に能力が上がった」
「ま、まさか? そんな事あり得るの?」
「普通はあり得ん。じゃがあの子ならあり得る、思い込みだけで何でも出来てしまう、そんな気がせんか?」
オタネ婆さんの手元の柘榴石の杖は、何だか以前と違っていた。
前は、傷だらけで長年の酷使を忍ばせる風貌だったのが、今は、一度溶けて固まったようにピカピカと輝いている。
トルイはそれを眺めながら、大真面目に頷(うなず)いた。
婆さんは次の句を呑み込む。
父親が人間と分かっただけで能力が消えちまうのも、思い込みの一種なんだがね。
一体どちらが本当のあの子なのやら。
イルは魔法が使えなくなっても、あまりガッカリしていない。
むしろ何であんな事が出来たんだろうと、風出流山での出来事を幻のように思っていた。
相変わらず馬でビュンビュン駆けるのは楽しいし、自分はあまり変わっていないと思う。
ああ、家族は増えた。お父さんやお婆さんが一気に増えたのも嬉しいけれど、一番嬉しいのは、一生末っ子だと思っていたイルに弟が出来た事だ。
実はほっぺパッチンを弟にやるのは夢だった。次はヨシヨシもしてあげなくては。
***
晩春の夕方。
イルは空色の乗馬ズボン(ウムドゥ)を履いて、大好きな楡(にれ)の木の下にいた。
軽いいななきに振り向くと、懐かしい闘牙の馬と……
「お待たせしましたか?」
「いえ」
蒼の長は、イルが草原に帰ると言った時、一番嬉しそうだった。
そして母の墓参りに行きたいというイルの願いを聞いてくれた。
その帰りに、雲の上の天の川を見せてくれるという約束も。
金銀砂子の星々の中に、大きな羽根を広げた白鳥がいるという……
~金銀砂子・了~
草原のイルアルティ
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