蒼と赤・Ⅳ
文字数 2,485文字
戦が小康状態なのもあって、アルカンシラの陣中見舞いは予定を大きく越していた。
小狼(シャオラ)は木陰で縫い物に勤しみながら、穏やかな空気に身をたゆたわせていた。
思いも寄らない友達が出来、テムジンは小鳥のヒナなんてのどかな事にかまけている。
このまま戦が消滅すればいいのに……
しかし始めたモノを忘れる訳には行かない。
アルの乗馬用のズボン(ウムドゥ)を縫い上げて糸を切った所で、空から赤い狼が降りて来た。
小狼の後ろに隠れる人間の娘を横目でねめつけ、王に歩み寄って素早く何か耳打ちする。
テムジンの中で歯車が切り替わった。
「アルカンシラ、長らくありがとう。一度故郷の集落へ戻りなさい。追って本国から迎えを差し向けるから」
アルは即座に状況を悟った。
「はい、王さま、お気を付けて」
「小狼、アルカンシラを集落まで護衛するんだ」
「承知しました」
「そしてそのままそこに残りなさい。アルカンシラを護衛しながら待機を命ずる」
「ど……!」
どうして! と言葉を出す前に、赤い狼が目をギラ付かせて口端から炎を吐いた。
「分かんねぇのか!」
テムジンが片手で彼を制しながら言った。
「小狼はもう戦場(いくさば)には出さない」
***
小狼(シャオラ)の剣は人間を斬れない。
物理的に非力なのもあるが、妖精の理(ことわり)で禁忌とされている。
人間を屠ると妖精でなくなる、冥府の魔性に身を落として二度と戻れなくなってしまう。
そう教えられているのだが、具体的にどうなってしまうのかは知らない。
だからと言って全くの役立たずではなく、妖精なりに術が使える。
風を起こして先陣を足止めしたり、空も飛べて姿を隠せる存在は、戦場でもかなりな役に立つ筈だ。
ましてや、敵に魔物使いがいる時に戦場を外されるとは思わなかった。
「嫌です。私は私の意思でここに来たんです。駒扱いされる覚えはありません」
「分かった、言い方が悪かった。小狼はもう危ない場所に出ないでくれ」
アルは双方を見てオロオロしている。
「足手まといなんだよ!」
狼がブチキレた。
「剣を抜くのが一拍も二拍も遅い! 戦場に向いていねぇんだよ、てめぇは! こいつに皆まで言わせるつもりか!?」
小狼は頭から鉄芯を通されたみたいに硬直したが、やがてガクリと肩を落とした。
項垂れたままテムジンに一礼し、無言でアルの手を引いてその場を去った。
「要らん事を言ったとは思わねえぜ」
「いや、感謝する」
二人は顔を上げて遠くの空を見た。
――鴉(からす)が、動き出した……
***
馬車の御簾の隙間から何度も覗いては、アルカンシラは横を歩く草の馬を確認している。
鞍上の小狼の表情は真っ青で生気が無い。
護衛の兵士がいるので話し掛ける事も出来ない。
本当は今すぐに抱きしめてあげたいのに。
通りすがりの流れ者が産み落とした娘。部族内での扱いはそれなりだった。
そんな生きている価値が分からないような自分でも、一生に一度くらいは光に当たりたい。
族長の家で駆け落ち騒ぎが起こった時、今がその時だと思った。健やかに育った年頃の娘達は皆、知らない国から来た恐ろしい鬼神の所へ行くのを、泣いて嫌がっていた。
私が参りますと名乗り出た時、今まで冷たかった面々が、ケロリと顔を緩ませて讃えてくれた。
ここを抜け出せるのなら後はもう、行き先が地獄だろうと鬼の懐だろうと構わないと思った。
アルカンシラにとっても小狼は、生まれて初めての友達だった。
故郷の集落にはその日の内に着けない。行きも二泊の道程だった。
荒野に張られた天幕の中、アルはやっと妖精の娘と二人きりになれた。
小狼は少し落ち着いていた。
「要するに早く『破邪の呪文』を習得すればいいんだ。今は上手く行かなくて空振りばかりだけれど、魔物を一撃で祓えるようになれば、テムジンはきっと側に置いてくれる」
アルは黙って聞き役に徹していた。
この妖精があの王にどれだけ阿(おもね)ているか、側に居れば分かった。確かにあの方には、表より隠している無垢で脆(もろ)い部分がある。放って置けなくなるような。
そういう所に気付いて、妖精の里を出奔してまで側に添いに来たのだろう。
だがアルは、彼女の方が心配だった。
妖精だから相当の力があるのかもしれないが、精神が一途過ぎて、何と言うか、幼い。
戦場に行って欲しくない、危ない場所に立って欲しくない。だけれど今、一生懸命立ち直ろうとしている彼女に、そういう自分の本心は言えなかった。
小狼がピクリと顔を上げた。
天幕がハタハタと風に揺らめいている。
外の草の馬が、激しく足踏みして嘶(いなな)いた。
小狼が剣を掴んでアルを庇うのと、突風が天幕をまくり上げて持って行くのと、同時だった。
――!!
大鴉(おおからす)! 人間の身の丈もあろうかという巨大な鴉が、月光の下黒々と、護衛の兵士に襲い掛かっている。
人間に対して姿を現している。
――何故?
小狼は草の馬にアルを押し上げながら頭を巡らせた。
三人居た兵士は爪を掛けられる事なく、ただ追い立てられている。生きて証言をさせる為だ。
――何を?
「アル、しっかりたてがみを握って!」
馬の尻を叩いて一気に走らせ、自分は剣を抜いて鴉の前に立ちはだかった。
鴉使いの陰陽師は只者ではない。草原の覇王の弱点を、適格に突き止めていたのだ。
***
先に気付いたのは赤い狼だった。
「何かおかしかねぇか?」
テムジンも不自然を感じていた。
敵方が大きく動き、撃って出るのを匂わせたが、どうにも殺気が薄い。
「中途半端なタイミングでちょっとづつ動きやがる。大将をここに張り付けて置く為みたいな」
「――狼、あの中に鴉使いはいるか?」
「ああ、鴉は飛んでいる…………いやちょっと待てよ。薄い、あれは幻影だ。術者は側に居ない」
「狼・・」
テムジンが呼んだ時、赤い狼はもうその場に居なかった。
膠着状態の本陣に、泡を吹いた馬の伝令が駆け込んだのはその直後。
――側女を護衛していた一行が信じられないような巨鳥に襲われ、アルカンシラが行方知れずだと。
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