金銀砂子・Ⅶ
文字数 1,788文字
小狼の具合が一向に良くならない。
朝も夕もぐったりと瞼を閉じて食も進まない。
いやいや、外から見える回復と身体の痛みは別物なのだろう。焦らなくても今日よりは明日、明後日にはもっと良くなっている筈…………
「一度、蒼の長を呼んでくれ」
枕元でとうとうテムジンが言った。
オタネ婆さんが自分の馬で秒で消え、半刻もせぬ内に長と共に戻って来た。
怪我はほとんど治っているのに、小狼の身体に力が入らない。
体温が低いままで、体力をどんどん奪われて行く感じなのだ。今では枕から頭も上げられない。
テムジンと、トルイやイルも見守る中、長が病人の額に手を当て、身体中に気を巡らす。
「自分で何か、心当たりはないですか? 特別に重い箇所などは」
「いいえ、本当に分からなくて。ご心配かけてすみません」
取り敢えずの治癒の術を施し、枕元にイルを残して、一同は外へ出る。
「本当に原因が分からないのか? 何でもするから治してくれ」
「ヒトを万能みたいに言わないで下さい。体温が上がらないのは生命力が落ちているからです。なまじかの目で見える怪我より厄介なんですよ」
「生命力って……大好きなアルカンシラの娘に看病して貰って、何を落ち込む事があるんだ」
「本人も分からないと言っているでしょう。そう単純に割り出せる物ではありません」
大人の男性二人が言い争う横、トルイはパォを振り向く。
アルカンシラという名前はイルも気にしていたが、二人で話し合って、容態が良くなるまで詮索しない事にしていた。
(母さんの、大好きな友達の娘って事? 何で内緒にしてんだろ?)
などと思っていると、イルがパォから出て来た。
「何かあったのか?」
「いえ、今は穏やかに眠っておられます。あの、ちょっとお聞ききしたい事があって」
テムジンと長は緊張の顔をした。今の不用意な会話を聞かれてしまったか?
しかし娘の口から出たのは、全く別な言葉だった。
「怪我は綺麗に治ると仰っていたので安心していたのに、全然治る気配がないです。もしかしてずっと元に戻らないのですか?」
「ああ、貴女は心配しなくていいのですよ。怪我はほとんど治っています。後は何か別の原因が……」
「治っているんですか? 全然生えて来ないけれど」
――??
長はテムジンと顔を見合わせた。
「何が生えて来ないって?」
「羽根ですよ、背中の羽根。イルを庇った時、折って散らしてしまったでしょ? 綺麗に治ると仰ったから、すぐに生え揃うんだと思っていたんです」
――!!!
テムジンは長を見、長はオタネ婆さんを見た。
婆さんは全力で首を横に振り、長も振った。
そりゃ確かに、蒼の里にはごくごく稀に、先祖返りで『羽根の痕のような物』を持って生まれる子供はいる。だが妹にはそんなの無かった。今世話をしているオタネさんだって知らない。
イルが言うには、助けられて目を開けた時、周囲にキラキラした羽根が舞っていたというのだ。
背中には天使のように美しい女性。だから羽根はこの女性の物で、自分を受け止めた衝撃で折れてしまったのだと思ったと。
「見間違いじゃねぇの?」
トルイがぶっきらぼうに言った。
あの場にいた自分はそんなの見ていないし、鷹の眼にも記録されていなかった。
そう言われるとイルも自信をなくし、やはり見間違いだったという事に収まりそうになった……が、長が念の為と呟いて、パォに引き返した。
妹に横を向かせ、背中に手を当てる。何の痕もないツルンとした背中だ。
半信半疑の視線の中、長はハッと目を開けた。
「羽根・・!?」
「兄様?」
「確かに、背中の肌に、『羽根がここにあった』という記憶があるのです。貴女、知っていましたか?」
「えぇ? いいえ、いいえ」
「イルアルティの言うように、折れて散ってしまって今は、背が記憶に残しているだけ。ただその記憶が、根のように貴女の身体を縛っている」
小狼は狐につままれた顔をした。羽根なんて寝耳に水。しょっちゅう会っていた長にだって見えていなかったのだ。
「そいつが母さんの身体に触りを起こしているって事?」
トルイが叫んだが、長は即答出来なかった。
確かに原因はこれだろう。だがこの手の物は因果をキチンと紐解いてやらねばならない。あと……
(どうして自分には見る事が出来なかった?)
長は目を上げてイルアルティを見た。娘は女性の背を凝視して、口を結んで黙っていた。
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