金銀砂子・Ⅹ
文字数 2,048文字
イルアルティは根っからの草原育ちだ。
山といっても、頂が一つポンとあるお饅頭のようなお山を想像していた。
だから今、翼を広げたように連なる白い稜線群を見て、クラクラしている。
しかも寒い、オタネお婆さんに『ありったけを着て行け』と言われた事がヒシヒシと有難く感じる程に寒い。
馬上で、トルイは荷物から毛皮を引っ張り出した。
「着ていろ」
「皇子様は?」
「いいから着ていろ。足手まといになられても困るんだよ」
休ませてやりたいが、丸一日飛んでもう日暮れ近い。帰りの事も考えると一刻も早く山に着きたかった。
もやの中、ひときわ高い頂がヌッと現れた。ここいらで一番高い山の筈だから、きっとあれだ。
トルイは馬を上に向けようとしたが、何でか風に乗れなかった。
それどころか、山懐に入るにつれて経験した事もない気流に翻弄される。
「こ、こんなの、習わなかった」
闘牙の馬じゃなければ飛んでいられない。水圧に近い風にぶつかられる中、イルが叫んだ。
「皇子様、あれ!」
前方の急斜面を岩塊が転がり落ち、雪煙の中から生き物が飛び出して来た。
毛むくじゃらの……熊? 違う、翼が開いた。
人間大の巨大蝙蝠(こうもり)!!
「ニ、ニンゲン、ニンゲン、キタ!」
灰色のマダラ模様の魔蝙蝠が数匹、気流に乗って舞い上がる。
この山に定住している魔物だろう、小さい翼のくせに、乱気流に自在に乗っている。
縄張りを死守するタイプか、曲がった鉤爪を振り上げて四方から威嚇して来る。まずい。
トルイは剣を抜いた。母に一通りは仕込まれている。
破邪の光で怯ませて、その隙に離脱。この馬なら行けるだろう。
しかしイレギュラーな横風が来た。
しまった、馬が傾いて……
・・・・
魔物達が止まっている。
どうした?
それぞれが黄色い目を見開いて、トルイの後ろを凝視している。
振り向くと、イルが柘榴石の杖を高く掲げていた。
「オタネ、オタネノ姉御――!」
「ナンデ、ソンナ、縮ンダ?」
何とまあ、蝙蝠型の魔物達はオタネ婆さんの旧知だった。
しかも会話が通じた。
オタネ婆さんの弟子だというと、彼らの洞穴に案内してくれた。
「知っていたの? イル」
「いいえ。でもお婆さん、若い頃ヤンチャしてあちこちに子分を作っていたって。冗談だと思っていたら本当だったんですね」
「…………」
どんなヤンチャだったか知らないが、『氷蝙蝠(コォリコゥモリ)』達は親切に、凍えた二人の為に火を用意してくれた。
トルイ達の事情を聞いて、洞穴の奥から真っ白な老蝙蝠の手を引いて来る。一番長く生きている蝙蝠らしい。
「コノ山ノ、チョウジョウハ、ヨウセイニハ、キンキ」
「俺達は妖精と違う。貴方がたの理(ことわり)からは外れない筈だ」
老蝙蝠はしばらく渋ったが、イルが命の恩人を助けたい気持ちを一生懸命伝えると、心を動かされたようだった。
若い者に地図を持って来させて、説明を始めてくれた。
「コトワリユエ、オタネニモ、言ッタコトナイ。オヌシタチノ、ムネダケニ、オサメテホシイ」
風出流山(かぜいずるやま)・・禁忌の霊峰は、今見えている範囲ではなく、その背後に、もやに包まれて天にも突き刺さる如くに存在すると。
「あれより高いの!?」
その頂上直下に神殿がある。いつ誰が建てたのかも分からない氷の神殿。封印が効いている為、妖精には近寄れない。ただ妖精に対する封印なので、トルイ達には近寄れるだろうとの事。
「妖精にだけ……?」
「ヨウセイニハ、フコウシカ持タラサヌト、言イ伝エラレテイル」
蝙蝠翁も先代からそう聞かされただけだ。
先祖代々口伝(こうでん)されている内に、失する事柄もあったのだろう。
それでも行くという意思を見せると、蝙蝠達は、気流の荒れている山懐(やまふところ)の外までの案内を約束してくれた。
ありがたい。イルが柘榴石の杖を持って来てくれたお陰だ。でも……
朝の幾分凪いでいる時に出発するからそれまで休めと、蝙蝠達は毛皮を敷いて床を設(しつら)えてくれた。
周囲が寝静まってから、トルイは隣に話し掛けた。
「イル、お前、ここに残れ」
娘は寝返りを打ってこちらに向いた。
「人間とはいえ妖精の血が混じっている。不幸って奴がどんな物か分からないし、呪いを被ったら洒落になんないだろ」
「皇子様だっておんなじです。イルがはいそうですかと引き下がるとでも思っているんですか」
青みをおびた白目に浮かぶ真っ黒な瞳にじっと見つめられ、トルイはドギマギした。
「いやだから、その自信は何処から……」
観念して、トルイは上を向いて、はぁ・・と息を吐いた。
「お前さ」
「はい」
「皇子様って呼ぶのやめない?」
「…………」
「トルイでいい。俺の好きな奴で皇子様って呼ぶ奴、いない」
「…………」
返事がないので見ると、娘は口を半開きにしてクゥクゥと寝息を立てていた。
自由だなっ!
山鳴りが響いて洞穴を揺らす。
氷蝙蝠達にはこんな夜が日常なんだろう。
世の中には自分の知らない日常が沢山ある……と思った。
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