蒼と赤・Ⅲ
文字数 3,392文字
小狼(シャオラ)だって、最初からこんな複雑な感情は持っていなかった。
獅子髪の少年の所へは、好意、心配、守りたい、そういう単純な気持ちで参じたのだ。
何せ、テムジンと行動を共にして最初にやった事が、囚われの彼の妻を取り戻す戦だった。
「妻帯者だったのですかっ!?」
「小さい頃、親同士が決めた許嫁(いいなずけ)。けど俺にとっては残り少ない大切な家族だ」
無事奪還した彼女を正室とし、世継ぎに恵まれ、統治事業はトントン進み、その頃のテムジンは順風満帆だった。
后(きさき)のヴォルテ妃には妖精や狼は見えなかったけれど、自分の夫が何か人知を超えたモノに守られているのは理解して、夫の決め事に従い、彼女なりの信心をした。
小狼は、后や側室に対してこれと言った感情はない。テムジンの家族なら健やかでいて欲しい、くらいに思っていた。
揺らぎが見えたのは、正妃に跡取りになるべく男の子が生まれた頃だ。
生まれた子供の目が開く度に、小狼はこっそり引き合わされた。
そして幼子(おさなご)が妖精を目で追わないのを見る度に、テムジンは少なからず落胆するのだった。
「兄弟で人外が見えるの俺だけだったし……血が薄くなりつつあるのかなぁ……」
深刻に呟く王の横で、小狼はそれならそれで良いと思っていた。
蒼の妖精の矜持に、『摂理に沿う』というのがある。天がそう決めたのなら、それに従い地上の者が変わる。妖精の里で育った彼女には、息をするように身に付いた考えだった。
しかしテムジンは天に抗(あらが)う人間だ。
そもそも己の力で過酷な運命を打破して来たのだ。天に委ねたって欲しい物は手に入らない。
思えばテムジンがやたらと側室を集め出したのは、三番目の男の子も人外が見えないと判明した頃だ。
自分の家系には太古に妖精の血が入っていた。ではあらゆる血筋の娘を集めれば、どこかに同じような血の者がいるのではないか? と。
表向きは、跡取りは正室の皇子でいい。しかし世界に覇権を広げるには、絶対に人外と通じる身内が必要だ。
ヴォルテ妃は忠実に、どんどん大きくなる後宮の世話と管理をした。この世界の権力者が血縁で周囲を固めるのは当然な事。
小狼は一抹の危うさを感じたが、テムジンは全員を家族と呼んでそれなりに大切にしたので、口出ししなかった。
***
そして陣中。
先日平伏して来た近隣の小さな氏族に、急遽側女(そばめ)を差し出せと申し付けたのだ。この暴君は。
赤い狼は上空を旋回しながら、歯をガチガチと噛み鳴らした。
どチビに安全な護衛任務に専念させる為とか、・・阿呆か!
「まどろっこしいにも程がある」
少ない可能性に賭けて女を集めるぐらいなら、目の前の妖精が守備範囲とやらに育つまで待ちゃあいいだろうが。どうせこの世の本筋から外れた身だ、ロクな事にならないのも承知の上だろう。
そこまで思い巡らせて、狼はふと思い至った。
「あのどチビ、無意識に勘付いて、それで成長を止めているんじゃねぇか?」
高原の小さな氏族にとって、王に側女を差し出すというのは、そう悪い事ではない。生まれる子供の先行きによっては、一気に良い思いが出来る。
差し出される本人がそれで良ければ……なのだが。
急ごしらえの輿(こし)一つで、花嫁は陣にやって来た。
小康状態とはいえ戦の陣中なので、華やいだ雰囲気は無く、『陣中見舞い』の体裁を取っていた。
小狼は崖の上から見守っていたが、輿から小柄な人影が降りた所で、草の馬に跨がって岩肌を駆け下りた。
気が進まないが王の決め事だ。
天幕の御簾の隙間からそっと滑り込むと、護衛すべき娘は王の前で重そうな被り物を外した所だった。
古い刺繍の襟飾りに包まれた、くっきりとした顔立ちの十代であろう娘。
黒々とした髪が墨で線を引いたように腰まで波打ち、肌は糖蜜のような飴色。
へぇ、綺麗だ、と単純に眺めていると、娘はツンとした唇を開いた。
「アルカンシラと申しま……す……??」
言葉を途中で止め、真っ黒な瞳は入り口を凝視する。
「どうしたのかね?」
「あの、ここは戦の陣中と聞いていました。何故にあのような幼子(おさなご)がおわすのですか?」
小狼(シャオラ)は二つの事に驚いた。
一つはこの娘に人外が見えている事。
もう一つは彼女の物怖じの無さだ。
鬼神とも称される草原の覇王の元に召されたのだ。
大概の娘は口を聞くどころか、おののいて顔も上げられない。
だがこの娘は、世間話のように素朴な疑問を口にする。語尾のハッキリとした感じから、頭が緩い訳でもなさそうだ。
小狼はムクムクとこの娘に興味が湧いて来た。
「さぁ、何か居るのかい?」
惚(とぼ)けてカマを掛ける王に、娘は真っ直ぐに向き直った。
髪と同じく真っ黒な瞳の後ろの白目は青みを帯びて、水底の玉石を思わせる。
「王様もご覧になれていらっしゃるのでは? その御瞳に映っていますわ。空色の髪の小さな女の子」
小狼はつい、クスリと声を上げてしまった。
テムジンがたじろぐのなんて初めて見る。
娘は今度は妖精の女の子に向き直る。
「こんにちは、私はアルカンシラです」
「あ、小狼(シャオラ)です……」
今度は小狼がタジタジとなる番だった。
「あらごめんなさい、幼子などと言ってしまったけれど、何だか私よりお姉さんな感じがします。不思議です」
小狼は王と顔を見合わせて、ゴクリと唾を呑み込んだ。
***
テムジンは上機嫌だった。
積年の心配が解消したのだ。
「見える父親に見える母親。当然見える子供が生まれて来るよな」
本日は、小狼の森のハンモックはテムジンが占領していた。
「ただ見えれば良いだけではないと思いますよ。英雄イェスゲイ・バァトルは、全ての人外を惹き付け魅了する力をお持ちだったと聞き及びます」
小狼は木の下に座って縫い物を広げ、チクチクと針を刺した。
「俺は?」
「それなりの魅力はお持ちだと思います」
妖精のひっつめた髪には、珍しく薄桃色の花が飾られていた。
「おーうーさま――」
同じ花を髪に刺した娘が、両手に何かを包んで駆けて来た。
「鳥のヒナが落ちていました。巣に戻してあげなくては」
「ほぉ、王に木登りをしろと?」
「いえ、王様だと親鳥が怯えます。登るのは私が」
娘は小さな靴を脱いで裸足になった。
「じゃあ俺は?」
「肩車して下さい」
小狼は縫い物をしながら思わず吹き出した。
「この娘は?」
「かなりな魅力をお持ちです」
最初の日、アルカンシラは小狼(シャオラ)のパォに泊まり、枕を並べて語り明かした。テムジンがそうしろと勧めたのだ。
朝、二人は赤い目をしてニコニコと手を繋いでいた。特に妖精の娘の、ここ最近の額の縦線が、嘘のように失せていた。
そう、妖精の娘には、他愛なくお喋り出来る存在が、必要だっただけなのだ。
そうして朝食を共にしながら、アルカンシラは小狼に促されて切り出した。
「王さまに告白せねばならぬ事がございます」
「うむ、構わないよ、話して」
「私、あの氏族の首長の娘と言う触れ込みで来ましたが、嘘ですの」
「ふぅん」
「ね、王はそんな事では怒らないって言ったでしょ」
隣で嬉しそうにチャチャを入れる妖精の娘に、王はチラと複雑な表情をしたが、すぐに戻した。
「じゃあ何者なの?」
「あの氏族の者ですらありません。
私の母は流民だったそうです。行き倒れて命と引き替えに私を産み落とし、私は集落の人達に育てて貰ったのだけれど、差し出される事に決まった首長の娘さんが前の晩に駆け落ちしてしまって、皆が困り果てていた所に、ご恩を返すなら今だと思って名乗り出たのです」
壮大なストーリーをあっさりと一気語りした娘は、口を閉じて、例の美しい瞳で王をじっと見つめる。
(ずるいぞ小狼……)
テムジンは匙をクルクル回しながら仕方なく答えた。
「んん、じゃあ、それは聞かなかった事にしよう。君の恩人の氏族にも咎めは無しだ」
アルはニッコリして礼を述べた。
その隣で澄ましている妖精の娘を、テムジンは一瞬だけ忌々しげに睨んだ。
夕べ、アルカンシラの血縁の娘すべてを召し上げる算段をしていた。
他所から来た流民だと言うのなら、その計画はお流れだ。
実際アルの言う事は真実だろうが、こちらの考えを先読みして釘を刺されるのは、非常に面白くない。
(成りは子供なのに、要らない所ばかり年長けて!)
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)
(ログインが必要です)