続・あなざぁ すとぉりぃ
文字数 3,212文字
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短編です
『蒼と赤』より十二年後
『あなざぁ すとぉりぃ』より五年後
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パォの隙間から朝の弱い光が洩れている。
イルアルティは目を覚ました。
昨日の興奮が覚めやらない。まだ慌ただしい夢の中にいるようだ。
周囲には、お祝いのご馳走でお腹をパンパンにした兄姉達が、布団にくるまってまだ夢の中。
昨日、この地方で一番大きな競馬(くらべうま)大会が催され、大人の部に出場した十二歳の女の子がぶっちぎりの勝利を飾って、観客達の度肝を抜いた。
もっとも子供の部ではもう勝負にはならなくての大人の部出場だったので、大概の馬乗り達はやれやれと納得していた。
「あの部族には風の申し子のような子供がいるぞ」
そういう噂は近隣に知れ渡っていた。
何せ、箸にも棒にも掛からなかった鼠馬でも、彼女が跨がると羽根が生えたように走り出す。
それでも各部族生え抜きの名馬名騎手に混じっても勝てるなんて、当の本人のイルアルティだって思っていなかった。
目を閉じて昨日のゴールの瞬間を何度も反芻する。胸がドキドキして目が冴えてしまった。
寝返りをうつと、枕元に並んだお祝いの品。
賞品のお酒は宴で振る舞い、羊は家族に、お菓子は小さい子から順に配っているとイルの手元には無くなった。
それを見ていた兄姉達が、お祝いと称して手持ちの宝物をくれた。
貝殻、骨ナイフ、キラキラのボタン、お母さんからは刺繍のスカーフ。
ニコニコしてそれらを眺めていたが、ふと見慣れぬ物に目が止まる。
「あれ? 昨日こんなのあったっけ?」
上等の羊皮紙にくるまれた、両腕に乗っかる程の包み。表面には確かに『イルアルティ』と書いてある。
「寝てしまってから族長さんとか偉い人でも来たのかな」
イルはそぉっと身を起こし、周囲を起こさぬように、包みを持ってパォを出た。
外の馬具掛けに腰掛けて、包みの紐を解く。
「わあぁっ!」
思わず声が出た。
新品の乗馬ズボン(ウムドゥ)!
しかも見た事もないような美しい品。
この空色のスベスベは絹かしら? お尻と内股の当て布は、真っ白な貂の(テン)の夏毛皮。
脇には白い刺繍の花模様。こんな細い糸、気の遠くなる時間が掛かりそう。
腰紐の末には濁りのないトルコ石。本当に、どこもかしこも夢のような作り。
イルはしばらく呆けて眺めていたが、お陽様が地平から顔を出しきった頃、やにわに包み直して厩(うまや)へ走った。
そうしてそれを、自分の馬具箱の奥深く突っ込んだ。
これは隠しておくべきモノだ。
族長じゃない。あそこの贅沢息子だって、こんな凄い品は履いていない。
周辺部族だって似たり寄ったりで、こんな品物は存在しないだろう。
そう、これもまた、あってはならないモノ。
駆け込んで来たイルを見て、馬達が嬉しそうに鼻を鳴らす。
イルは順に撫でてやりながら、ふぅっと呟いた。
「あのヒトだ、きっと……」
風に乗って空を駆ける草で編まれた馬。それに跨がる透けるように青いヒト達。
小さい時から普通に見える風景だ。
兄姉には見えない。
昔は喧嘩したりしたけれど、お父さんを困らせるからやめた。
お父さんはイルの言う事を信じてくれた。お父さんも小さい時は空飛ぶ馬が見えていたらしい
でも『いつまでも見えるままのイル』を不安がっている。
それが分かってからは口をつぐんだ。
お父さんは、イルも自分と同じに、大きくなったら見えなくなって忘れてくれると信じている。
皆と同じに平凡に普通に生きて欲しいのだ。
でもイルは、見えなくなるどころか年々色がはっきりし、馬の息遣いまで聞こえるようになって来た。
そうしてそれに心奪われている。
イルが空を見てボォッとしていると、お父さんが大きな声で呼び戻す。
その声には不安と恐れが入り雑じっていて、大切なお父さんにそんな声を出させてしまう事を、イルは罪に思っていた。
お父さんを安心させてあげられるように、見えていても見えない振りをして、異質な品物は隠して置かなければならない。
それでも馬の足音はどんどん近付いて、最近では、一人の騎手をはっきりと見極められるようになっていた。
白い法衣を着た背の高い男のヒト。長い髪が深い水の流れのようで、乗り姿も本当に綺麗。
気が付くとふと目の端に居る。木の上だったり真上の空だったり。
昨日もいた。
ゴールした瞬間、流れる観客の一番後ろに。
にこやかに細まる瞳までもがくっきりと。
歓喜に包まれて、今一度同じ場所を見ると、もうそのヒトは居なかった。
見えていない振りをせねばと思いつつ、イルの心はどんどんそのヒトに惹かれて行く。
どうしてこんなにあのヒトだけが気になるのだろう。
そうしてイルの中に一つの思いが芽生える。
「あのヒトが、イルの本当のお父さんかもしれない」
***
陽が昇って家族が起き出し、イルアルティはいつも通りに羊を追って草原へ出る。
お気に入りの馬に跨がった後ろ姿が遠ざかり・・後方の楡の木の梢が揺れた。
「聞こえました? お父さんだって、お父さんだって、うふふ」
梢の上の人影は二つで、片方は白い法衣の男性。
もう一人は、冬空に溶けてしまいそうに薄色な女性。男性の言葉にやや呆れ顔。
「兄様、あの娘(こ)には立派な父親がいてくれるではありませんか」
「貴女にそんな風に言われる筋合いはありませんね」
男性はムスッとして反論した。
「そもそも何の説明もなくあの子の母親を寄越して来たのは貴女です。生まれた子の資質が危ういから、私は心配で心配でず――っと見守っていたのですよ。ちょっとくらいお父さん気分を味わったっていいじゃないですか」
「その点は、感謝しています……」
女性はすまなさそうに目を伏せた。
でも見える者から完全に姿を隠すなど、兄にとってはお手の物な筈。
わざと視界に入るなんて自己顕示も甚だしい、そんなヒトだっただろうか?
(それでも、彼女の母親について何も聞かないでいてくれる。やはり感謝しなくては)
「あああああ――っ!!」
男性がいきなり絶叫した。
「どうしたんです?」
兄の視線、イルアルティが去った方向を見ると……
遠目に、馬に乗った誰かが、娘に近付いているのが分かる。
昨日の競馬大会の子供の部に出ていた族長の息子だ。
手のにした野の花束を真っ赤になって差し出している。昨日はおめでとうとでも言っているのだろう。
(可愛いものだなぁ)
微笑ましく眺めていたら、隣でメラメラと音がした。
「・・許しません、まだそういうのは早いです、あの小悪童(こわっぱ)・・!」
「いや兄様、だから兄様がそういう事を言う筋合いは……」
「ないって言うんですか! 私がどれだけあの子の事を見守って来たと思っているんです。ああいう子はイタズラ好きの精霊にちょっかいを掛けられやすいんですよ。
昨日の競馬大会だって、貴女も応援したいかなぁと思って、わざわざ呼んであげたんですよ。素晴らしかったでしょう、あの子の晴れ姿。
そもそも貴女だってずっとあの子を思って刺繍を刺していたって言うじゃないですか。渡せて良かったでしょ。包みを開いた時のあの子の顔ったら。そういうのを貴女と分かち合いたかったのですよ」
「ああはいはいすみません」
大切にしてくれるのは重々分かった。感謝もせねばならない。
遠征準備で忙しい所をいきなり手紙で呼び付けられたのにも、文句を言ってはいけない。
でも何だろう…………
(このヒト、こんなにベラベラ喋ったっけ……?)
イルアルティは貰った花束を困った顔で眺めている。
こんな物を急に渡されても、って顔だ。
この娘が花を貰って喜ぶなんて、まだまだ、まだまだ当分先の事だろう。
***
優しい風が頬を撫でる。
イルアルティは空を見上げる。
また何処かであのヒトが見ているのだろうか。
鳥も飛んでいないのに、薄い羽根が一枚二枚とそこを舞っていた。
~続・あなざぁすとぉりぃ・了~
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