第45話 女の約束
文字数 2,824文字
楓が部室から出ていくと、三津は大きく欠伸をした。気の緩み。ここ最近は、ずっと緊張している。
――明らかに楓は変わった。
傍目には、少し恥ずかしいくらいに変わろうとしている。
すごく、意識されていると思う。
今までと違って、あからさまで直視できないくらい。
それでも、三津からは行動に移せないでいた。
疲れるけど、今の状況は悪くない。大切にされているってわかるから。
不意打ちの度に、胸が締め付けられるのも嫌いじゃなかった。
今日はもう楓以外は部室に来ないだろうと、三津は上履きを脱ぐ。脚をぶらぶらとだらしない格好。暑い。窓は開いているけど、全然風は感じない。
なのに、楽しそうな声は無配慮に飛びこんできて――関係ない、と振り払うように机へと突っ伏す。自分にはいらないモノだと言い聞かせる。
――こんな自分にも友達がいたことはあった。
中学の少しの間だけど、楽しかった記憶は残っている。
同時に罪悪感も、未だ健在だ。
自分なんかと仲良くしてくれた相手だったのに、私は裏切ってしまった。
だから、自分が一人なのも嫌われるのも仕方ない。
扉の開く音がして、三津は伏せたまま顔だけを向ける――楓じゃなかった。
けど、体裁を整える真似はしなかった。
「こんにちは、三津さん」
丁寧に挨拶してくる塩谷に、三津は呻くように返す。態度が悪いと自覚していても、彼女相手に改めるつもりはなかった。
「……楓は生徒会室」
「そうなんだ」
塩谷は椅子には座らず、突っ立っていた。
三津は不審に思うも、わざわざ勧めたりはしない。無駄な会話も必要ない。
「疲れてるの?」
「最近、あまり眠れなくて」
それでも、話しかけられたらきちんと返す。無視をしきれないのは、経験上わかっている。相手がイイ子であればあるほど、申し訳ないって思ってしまう。
「眠れないって……悩みごと?」
本当に心配そうに鳴らせるものだから、言い淀んでしまう。
でも、結局選ぶのは変わらない。
「楓のことが好きすぎて」
相手を困らせる――釘を刺す答え。嫌われるのは承知の上。そうやって友達も失くしたのだから、今更改めたってしょうがない。
楓を好きになったのは、友達が先だった。三津が意識しだすのは、ずっとあとだったにもかかわらず、こんな風に言ってやった。
「楓のことは諦めたほうがいいよ」
――私に勝てる訳ないでしょ?
暗にそう言い含めて、嘲笑する。最低だ。最低だけど、楓を取られるよりはマシだ。あの馬鹿は泣いて縋られたら折れ兼ねないから、こうやって危ない芽は潰したほうがいい。
「それ、佐藤君は知ってるの?」
塩谷は傷ついたように唇を噛むも、迎え撃ってきた。
「私なんかに言わないで、直接言えばいいのに」
予想外。責める物言いに三津はたじろぐ。
動揺している相手になら負けはしないが、塩谷は仁王立ちと言わんばかりに落ち着いていた。酷い言葉を浴びせたのに。
「あなたには関係ない」
「関係なくない!」
ねじ込むような声量に、三津は完全に沈黙する。
「二人の所為で、結構酷い目にあった」
冗談ぽく、塩谷は唇を尖らせる。大抵の人間に睨みが効くタイプだと思っていた三津には、解せない対応である。
とても苛められていたとは思えないほど、塩谷は強気でいた。
「もう、ああいうのは嫌なの! だから、はっきりして欲しいの!」
それこそ、もう関係ない。表情だけで読み取ったのか、塩谷は矢継ぎ早に言葉を放ってくる。
「文化祭、栞も手伝うって言ってた。あの子は、今の私たちを見たら、絶対にまた突っかかる」
自覚のある三津は否定しない。苛めまでは到底及ばないが、自分の態度は冷たい。
楓ならいざ知れず、同性には見抜かれてしまうほどにあからさまだ。
「止めればいいじゃない。友達なんだから」
「親友だから止められないの!」
琴線に触れたのか、塩谷は今までよりも、激しく荒げた。
「私が黙ってたって、大丈夫だって言ったって! 栞は絶対に見逃さない!」
――もう、二度と。
か細い声は掻き消えず、三津の耳に届いた。それで気付いてしまった――三人の関係性に。
「あぁ……、友達を取ったんだ」
自嘲気味に三津は零す。正解だったのか、塩谷の体が揺れた。見る見る内に顔が真っ赤に染まっていく。
「いいね、それ。それで今はもう、別の人が好きになれたんだ……ほんと、いいね」
「……悪い?」
「別に。ただ、私には無理なだけ」
そう簡単に人を好きにはなれない。これが純粋な気持ちなら、自分に酔えたかもしれないけど、三津は違った。
単純な嗜好の問題――整った顔が好きなだけだ。
だから、寄ってくる男性もそう無下には扱えなかった。気持ちはわかるから。タイプの容姿が目の前にいると、それだけで好きになる。ある程度のマイナスなら、許せてしまう。
現に自分は子供でつまんなくて、明るくもなくて愛想もないけど男性には好かれてしまう。
逆に言わせて貰えば、楓は馬鹿で、優柔不断で、弱くて、情けなくて、イライラすることが多々あるけども――私は好きだ。
――でも楓はきっと、私の容姿以外も好きだと言うんだろうな。
どこかはわからないけど――わからないからこそ、三津は自分のスタンスを変えられないでいた。もし、それで楓に嫌われたらと思うと、怖くて動けない。
――それなら今のままがいい! 言える訳がないんだ。私から好きです付き合って下さいなんて――だって、楓は絶対に理由を求める。
そうなったら、三津には答えられない。三津が好きなところを、楓は嫌悪しているから――振られるだけじゃなくて、嫌われてしまうかもしれない。
「私には、どうしようもないんだよ」
弱音を吐くのは癪だけど、三津には他に打つ手がなかった。
「私になにを言ったって、時間の無駄。なんとかしたいなら、楓に告白させてよ」
目の前にいる彼女が、決して嫌いな訳じゃない。
三津はただ、楓を取られるんじゃないかって怖いだけ。話しをしているだけでも落ち着いていられないぐらいに、楓のことが好きなだけだ。
「それか、楓に振られてよ。そしたら、仲良くできるかもしれない」
酷い言い草だと思う。勝手で我侭で最低だけど、間違いなく本音。そうでもしないと、楓を好きだという少女を好きにはなれそうになかった。
塩谷は俯いている。長い髪が邪魔して顔色は窺えない。
結局、彼女がどんな顔をしていたのかはわからないままだった。髪が勢いよくなびく。綺麗だなと羨ましがっていると振り返って、
「それ、約束だからね!」
塩谷は捨て台詞を残して出ていってしまった。
――明らかに楓は変わった。
傍目には、少し恥ずかしいくらいに変わろうとしている。
すごく、意識されていると思う。
今までと違って、あからさまで直視できないくらい。
それでも、三津からは行動に移せないでいた。
疲れるけど、今の状況は悪くない。大切にされているってわかるから。
不意打ちの度に、胸が締め付けられるのも嫌いじゃなかった。
今日はもう楓以外は部室に来ないだろうと、三津は上履きを脱ぐ。脚をぶらぶらとだらしない格好。暑い。窓は開いているけど、全然風は感じない。
なのに、楽しそうな声は無配慮に飛びこんできて――関係ない、と振り払うように机へと突っ伏す。自分にはいらないモノだと言い聞かせる。
――こんな自分にも友達がいたことはあった。
中学の少しの間だけど、楽しかった記憶は残っている。
同時に罪悪感も、未だ健在だ。
自分なんかと仲良くしてくれた相手だったのに、私は裏切ってしまった。
だから、自分が一人なのも嫌われるのも仕方ない。
扉の開く音がして、三津は伏せたまま顔だけを向ける――楓じゃなかった。
けど、体裁を整える真似はしなかった。
「こんにちは、三津さん」
丁寧に挨拶してくる塩谷に、三津は呻くように返す。態度が悪いと自覚していても、彼女相手に改めるつもりはなかった。
「……楓は生徒会室」
「そうなんだ」
塩谷は椅子には座らず、突っ立っていた。
三津は不審に思うも、わざわざ勧めたりはしない。無駄な会話も必要ない。
「疲れてるの?」
「最近、あまり眠れなくて」
それでも、話しかけられたらきちんと返す。無視をしきれないのは、経験上わかっている。相手がイイ子であればあるほど、申し訳ないって思ってしまう。
「眠れないって……悩みごと?」
本当に心配そうに鳴らせるものだから、言い淀んでしまう。
でも、結局選ぶのは変わらない。
「楓のことが好きすぎて」
相手を困らせる――釘を刺す答え。嫌われるのは承知の上。そうやって友達も失くしたのだから、今更改めたってしょうがない。
楓を好きになったのは、友達が先だった。三津が意識しだすのは、ずっとあとだったにもかかわらず、こんな風に言ってやった。
「楓のことは諦めたほうがいいよ」
――私に勝てる訳ないでしょ?
暗にそう言い含めて、嘲笑する。最低だ。最低だけど、楓を取られるよりはマシだ。あの馬鹿は泣いて縋られたら折れ兼ねないから、こうやって危ない芽は潰したほうがいい。
「それ、佐藤君は知ってるの?」
塩谷は傷ついたように唇を噛むも、迎え撃ってきた。
「私なんかに言わないで、直接言えばいいのに」
予想外。責める物言いに三津はたじろぐ。
動揺している相手になら負けはしないが、塩谷は仁王立ちと言わんばかりに落ち着いていた。酷い言葉を浴びせたのに。
「あなたには関係ない」
「関係なくない!」
ねじ込むような声量に、三津は完全に沈黙する。
「二人の所為で、結構酷い目にあった」
冗談ぽく、塩谷は唇を尖らせる。大抵の人間に睨みが効くタイプだと思っていた三津には、解せない対応である。
とても苛められていたとは思えないほど、塩谷は強気でいた。
「もう、ああいうのは嫌なの! だから、はっきりして欲しいの!」
それこそ、もう関係ない。表情だけで読み取ったのか、塩谷は矢継ぎ早に言葉を放ってくる。
「文化祭、栞も手伝うって言ってた。あの子は、今の私たちを見たら、絶対にまた突っかかる」
自覚のある三津は否定しない。苛めまでは到底及ばないが、自分の態度は冷たい。
楓ならいざ知れず、同性には見抜かれてしまうほどにあからさまだ。
「止めればいいじゃない。友達なんだから」
「親友だから止められないの!」
琴線に触れたのか、塩谷は今までよりも、激しく荒げた。
「私が黙ってたって、大丈夫だって言ったって! 栞は絶対に見逃さない!」
――もう、二度と。
か細い声は掻き消えず、三津の耳に届いた。それで気付いてしまった――三人の関係性に。
「あぁ……、友達を取ったんだ」
自嘲気味に三津は零す。正解だったのか、塩谷の体が揺れた。見る見る内に顔が真っ赤に染まっていく。
「いいね、それ。それで今はもう、別の人が好きになれたんだ……ほんと、いいね」
「……悪い?」
「別に。ただ、私には無理なだけ」
そう簡単に人を好きにはなれない。これが純粋な気持ちなら、自分に酔えたかもしれないけど、三津は違った。
単純な嗜好の問題――整った顔が好きなだけだ。
だから、寄ってくる男性もそう無下には扱えなかった。気持ちはわかるから。タイプの容姿が目の前にいると、それだけで好きになる。ある程度のマイナスなら、許せてしまう。
現に自分は子供でつまんなくて、明るくもなくて愛想もないけど男性には好かれてしまう。
逆に言わせて貰えば、楓は馬鹿で、優柔不断で、弱くて、情けなくて、イライラすることが多々あるけども――私は好きだ。
――でも楓はきっと、私の容姿以外も好きだと言うんだろうな。
どこかはわからないけど――わからないからこそ、三津は自分のスタンスを変えられないでいた。もし、それで楓に嫌われたらと思うと、怖くて動けない。
――それなら今のままがいい! 言える訳がないんだ。私から好きです付き合って下さいなんて――だって、楓は絶対に理由を求める。
そうなったら、三津には答えられない。三津が好きなところを、楓は嫌悪しているから――振られるだけじゃなくて、嫌われてしまうかもしれない。
「私には、どうしようもないんだよ」
弱音を吐くのは癪だけど、三津には他に打つ手がなかった。
「私になにを言ったって、時間の無駄。なんとかしたいなら、楓に告白させてよ」
目の前にいる彼女が、決して嫌いな訳じゃない。
三津はただ、楓を取られるんじゃないかって怖いだけ。話しをしているだけでも落ち着いていられないぐらいに、楓のことが好きなだけだ。
「それか、楓に振られてよ。そしたら、仲良くできるかもしれない」
酷い言い草だと思う。勝手で我侭で最低だけど、間違いなく本音。そうでもしないと、楓を好きだという少女を好きにはなれそうになかった。
塩谷は俯いている。長い髪が邪魔して顔色は窺えない。
結局、彼女がどんな顔をしていたのかはわからないままだった。髪が勢いよくなびく。綺麗だなと羨ましがっていると振り返って、
「それ、約束だからね!」
塩谷は捨て台詞を残して出ていってしまった。