第17話 幼馴染=友達未満

文字数 4,438文字

 くしゅんっ――と、楓は何度目かのくしゃみをした。布団の中。この部屋の基調となっているアイボリーが、ぼんやりと視界に広がる。天井、シーツ、壁……ほのかな甘い香り。
 辿った先には本棚――お菓子の本が陳列されている。
 連日して広げていたので匂いが移っていた。まだ、全てに目を通していない。わかり易い紅葉の実習ノートと比べて、市販の本は不親切で中々進まなかった。
 文化祭までにはと意気込むも……起きるまでには至らず、寝がえりを打つ。
 
 飛びこんできたピンクのカーテンが、夕刻を報せていた。
 
 風邪をひくのは久しぶりだった。現に、薬棚にあった風邪薬は消費期限を超過しており、残量からしても活躍の場は少なかったとみられる。
 とりあえず、調理せずに食べられる物――お菓子だけを口にして、楓はベッドで安静にしていた。
 比較的栄養価の高いチョコレートや生クリーム、卵を使った物を選んでいるものの、食事と呼ぶには問題だらけ。ビタミンとたんぱく質が足りない、消化に悪い……習ったばかりの栄養学の授業を思い返しながら、楓は自分で駄目だしをする。
 
 しかし、改善のしようはない。外に出るのは億劫だし、この体調で包丁を扱う自信もなかった。
 
 そうして、今の状況。手の届く位置に置いたテーブル上には、散乱したお菓子の包装、使い終わった食器、常温になったお茶や牛乳……学校に連絡してからは、一度も部屋から出ていなかった。
 だから、チャイムが鳴っても楓には届かない。が、階段を上がる音となると話は別だ。
一瞬だけある人物を想像するも、時計を見て振り払う。
 
 ――やっぱり来たか、と。
 
 近づいてくる足音は隣の部屋で……止まらなかった。迷いもなくこの部屋――紅葉の部屋が開かれて、制服姿の三津が姿を見せた。

「やっぱり、こっちだった」
 
 スーパーの袋に訪問理由は察せられるも、楓は素直になれなかった。

「こんなに汚しちゃって、紅葉さん怒るよ?」
 
 それに気づいてかいないでか、三津はてきぱきと片づけを始める。楓の手が届く位置にスポーツドリンクを置いて、空いた袋にゴミを入れていく。

「やっぱり、ろくな物を食べてない」
 縛った袋と食器を手にして、三津は出ていく。
「キッチン、借りるから」
 
 返事も聞かずに、ブレザーと鞄をこの場に置いて扉が閉まった。階段を下る音は聞こえたものの、その先は無音。
 それなのに、誰かがいると思うと楓は安らぎを抱けた。
 伸ばした手が、久しぶりの冷たさに触れ、求める。ゆっくりと、ペットボトルを頬や額につけたりしながら飲みほしていく。最後の一口はぬるくなっていた。

「おまたせ」
 ノックもせずに、三津は入ってきた。お盆の上には湯気のたったお椀。テーブルに置かれ、和風だしと生姜の香りが楓に届いた。
 覗き込もうと体を起こす。中にはとろみのついた野菜あんに沈んだ……

「……豆腐?」
「そう、お米がなかったから」
 
 少しだけ、責める物言いだった。三津はテーブルの位置を動かし、傍に座り込む。
 そしてスカートを整えると、「はい」豆腐をスプーンですくい、楓の口元まで運ぶ。
 食べやすい一口サイズ。動作には心遣いが感じられるも、声と表情にはどこか棘があった。
 楓は黙って口を開く。味わうよう咀嚼していく。絹ごしの滑らかな口当たり、だしの風味に混ざる刺激的な生姜。野菜も柔らかく煮込まれていて、胃が弱っているのに完食できた。

「ごちそうさまでした」

 三津の不機嫌オーラが健在だったので、楓は丁寧に両手を合わせるも、
「はい、薬」
 形だけの行為に意味はないと言わんばかりに、淡々と差しだされた。
 楓は受け取り、小さくお礼を述べてから水で流し込む。

「あんたさ、まともな食事してないでしょ」
 
 グラスを置いて、一息吐く間もなく、三津は断定した。

「冷蔵庫とか見たけど、まさか、そこまで馬鹿だとは思わなかった」
 
 証拠を押さえられている以上、反論は逆効果。冷蔵庫の中にあるのは、ほとんどが製菓材料。匂いが移るのが嫌で、料理用の食材はほとんど入れていなかった。
 あるとすれば、弁当用の冷凍食品とパックご飯。三津に対する言い訳として用意したものだけだった。

「見栄張ろうとしているだけならまだしも、誤魔化そうとしてたんだ」
 
 三津の声から寂しさが顔をだし、それが楓のカンに触った。
 けど、思った言葉はあまりに酷いものだと堪える。食いしばって、視線だけに留める。それを吐き出してしまったら、全てが終わる気がして。
 その結果を受け入れられるほど、楓は強くないから我慢する。

「なに、その目? ムカつく」
 
 三津は不快感を前面に押し出してきた。軽口と呼ぶには重すぎる、不穏な空気が漂い出す。

「言いたいことがあるなら、言えば?」
 
 引きずられたかのように、
「別に」
 楓も昔の口癖を持ち出した。
 
 これで会話は終わる。二人には、ここから先を続けられない。感情的に言い合えるほど幼くはなく、理性的に収められるほど成長もしていない。

「あっそ。それじゃ、隣にいるから」

 そう――思っていたのは楓だけだった。

「……は? なんだよ、それ?」
 
 言葉こそ素っ気なかったものの、立ち上がった三津の表情は優しかった。

「なにって、言葉通りだけど?」
 余裕に満ちた唇。素知らぬふりをしているのが見え見えの態度で、
「あんたが紅葉さんの部屋使っているから、楓の部屋を借りるの」
 明確な言葉にして突きつけた。
「今晩、泊るから。なにか文句ある?」
 
 いとも簡単に口に出されたものだから、楓は意識する間もなく、
「……別に」
 肯定の言葉を吐き出していた。



 翌朝、楓の体調は回復していた。多少の気だるさは残っているが、登校に差し支えはないと制服に袖を通す。
 そうして鞄を手に扉を開けると、ご飯の匂い。
 
 宣言通り、三津は泊ったようだ。

 音をたてないように楓は下り、洗面所で顔を洗う。鏡の前で寝癖を念入りに直してからリビングに顔をだすと、見慣れた姿があった。
 ブレザーを脱いだ制服にエプロン。紅葉と同じ格好で三津は朝食の準備をしていた。内容はやっぱり和食。楓は懐かしさに泣きたくなるも、ぐっと堪える。

「おはよう。体調は……大丈夫みたいね」
「あぁ、昨日は……ありがとう」
 
 優しい笑顔の前で悪態を吐くのはどうかと、楓はお礼を口にする。三津は一言だけ返して、会話終了。
 二人は黙って朝食を終える。

「洗いものはおれがやるよ」
「じゃぁ、お願い」
 
 無駄話どころか、気がねも挟まない。それが喧嘩ばかりしていた――さほど仲の良くない二人が落ち着かせた関係だった。

「私、一回家に戻るから」
「あぁ、なら学校で」
 
 わざわざ待つ理由も必要もなかった。そんな真似をしても三津は喜ばないだろうし、自分も……嬉しくない。
けど、一人でいるよりは視線の種類がマシになる。男の自分がそう感じるのなら、女である三津は尚更であろう。
 看病して貰ったお礼ではないが、楓は一緒に登校しようと思った。
 それでも、待つのは抵抗があったので偶然に頼る。家を出る時間を遅らせ、駅までの道をゆっくりと歩く。

「あれ? 楓じゃん」
 
 そんな小賢しさをあざ笑うかのように、千代子が声をかけてきた。

「風邪は治ったみたいだな」
「あ、はい。おかげさまで」
「おかげさまって、うちに言われてもな。そういうのは、みっちゃんに言え」
 
 楓は恥ずかしくなって言葉を失うも、
「お見舞いに来てくれたんだろう?」
 早とちり。泊りまでは知られていなかった。

「えぇ、まぁ……」
「で、そのみっちゃんは? まさか、風邪うつしちゃった?」
「いや、それはないと思いますけど……」
「だったら、一緒に登校すればいいじゃん。電車は空いてるから痴漢とかはないけど、みっちゃんくらい美人だと視姦する奴もいるだろうし」
 
 楓にとっては耳が痛いのだが、千代子は携帯を弄る片手間に話していた。

「あんたも、みっちゃんがいれば急に告白されたり、手紙を渡されたりはしないだろ?」
「そうでしょうけど……。そもそも、電車内でそういうことされた覚えはないですよ」
「でも、校舎内や通学路ならあるだろ?」
「……中学なら」
 
 それも、三津と距離を置いていた時である。

「あんたは上手く断ることができないんだから、最初から隙を見せるな」
「上手くって、具体的にはどうすればいいんですかね?」
「うちが知るか、そんなの。まぁ、無難に好きな人がいるとか、付き合っている人がいるってことにしとけばいんじゃない?」
 
 千代子は携帯を閉じて、
「それこそ、みっちゃんとな」
 意地悪な提案をした。

「……できませんよ、そんなの。向こうにとっちゃ、迷惑……でしょうし」
「みっちゃんも好きな奴とかいないなら、問題ないだろ?」
「そんなこと言って、変な気を遣われたらたまりませんから」
 
 もう、そういったお節介を焼く人はいないと知っていながらも楓は口にした。

「けど、みっちゃんくらいしかいないぞ。嘘とはいえ、あんたの恋人になれる奴なんて」
「嘘だったら誰でもなれるんじゃ……?」
「ばーか。半端な子じゃ、ひんしゅく買って苛められるって。そうでなくても、陰口は絶対叩かれる」
 
 まさかと切って捨てられるほど、楓は女子と離れてはいなかった。中学の途中までは女子グループに属していたので、その手の怖さには覚えがある。

「みっちゃんならそういうの平気っていうか、なんとかできるし」
 
 三津は陰口であれば動じないし、直接被害にあえば即座に教師へと報告する。また、元から一人なので無視はまったくもって効果がない。
 自分なんかとは違い、したたかかで強かった。

「つーか、今のところ周囲にはそういう風に映ってるか」
「やっぱり、そうなんですか?」
「そりゃぁ、年の近い男女が一緒にいれば誤解されるもんさ。それにあんたらは、他に仲の良い友達ってのがいないかんね」
 
 いつからか、二人だけになっていた。
 原因は自分――暴れて、壊した。上辺だけの関係すら取り繕えないほどに、滅茶苦茶にした。残ったのは腐れ縁。自分から距離を置いたはずの――

「おはようございます、千代子先輩」
 
 まったくの隙がない幼馴染。走ってきた三津は、規則正しい息遣いで呼吸を整えている。

「おぅ、おはよう。しかし、早いな」
「千代子先輩を待たせる訳にはいきませんから」
 
 髪と制服を弄りながら、三津は楓の隣に並んだ。

「おはよう」
「あぁ……、おはよう」
 
 自然な三津と比べて、楓の挨拶はぎこちなかった。
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