第31話 対面

文字数 3,883文字

 終業式までの間、教室は嫌な雰囲気に包まれていた。

「はぁ……」
 
 大きな溜息。家でも学校でも、楓のデフォルトとなっていた。
 母に言われてから、メールを送るようになった。そこで気づく。自分が何も知らなかったことを。迷惑や心配をかけていたなんて――もう少し、大人をやれていると思いこんでいた。

 近況報告で、書くことが浮かばない。
 だって、なにもないんだから――
 弱音なんて吐ける訳がない。
 だって、恥ずかしいから――

 何処にいても、楓の気は休まらない。部室には塩谷がいる。自分と接する態度が明らかに不自然で、罪悪感が込み上げる。
 それでも、三津は相変わらずだ。

 部活が終わり、帰ろうとすると師井先生に呼び止められた。
「――佐藤」
 どうしてか、三津も足を止める。他の部員は挨拶を残して、さようなら。部室には三人だけ。話は長くないのか、扉付近で立ったまま。

「今日、兄と会うんだが……来るか?」
 
 急な誘いに、楓は目を見張る。疑うとかじゃなくて、突拍子のなさに信じられない。

「佐藤の姉が、来るかはわからないけど」
 
 三津が反応を示すも、邪魔はしてこなかった。

「……いいんですか?」
 
 立場上の問題。楓はそれを踏まえた上で、確認する。

「……あぁ」
 
 頷くと、師井先生は予定を告げる。

「わかりました。その時間におれも行きます」
 
 約束を交わして、楓も一度家に戻る。
 途中、三津が質問をしてきたので肯定で返す。会話の内容から兄妹だとは察していたようで、驚きはしなかった。

「私も行っていい?」
 
 嫌そうな顔だけで伝わっただろうが、汲む気配はなさそうだ。こちらの言わんとしていることをわかってくれたように、楓にもわかる。
 勝手に付いて来られるくらいならと、楓は同行を許可した。




 よほど元同僚や生徒に会いたくないのか、待ち合わせ場所は市役所前だった。
 夜の九時ともなると、人の出入りはおろか、歩行者の存在すら皆無。大通りを時折、車が通り過ぎていくだけである。
 電車と徒歩を経由して、楓たちが着いた時には、既に師井先生の姿があった。

「遅くに悪いな。せめて場所だけでも、佐藤に合わせてやれればよかったんだが……」
 
 宮田先生は、楓の住所も最寄り駅も知っている。勘ぐられる可能性を考慮すると、やむを得なかった。

「別にいいですよ。そんな遠くでもないですし……」
 
 夜空を見上げ、楓は頬を緩ませる。

「それに、今日は星が綺麗ですから」
 
 小さい頃から聞かされてきたので、楓はなんの抵抗もなく漏らした。
 師井先生は面食らうも、釣られたように空を仰ぐ。

「……さそり座、いて座、へびつかい座、ヘルクレス……」
 
 楓は口ずさんでく。興味はなくても、耳に残っていた。頭の中では、父の声で再生される。そんなに一緒にいた記憶はないのに、どうしてこうも馴染んでいるのだろうかと苦笑する。

 淡々と目に映る星を紡いでいくも……止まった。

 車のライトが霞ませる。楓は残念そうに瞳を伏せ、深く深呼吸。浮かない顔をしている三津と違い、表情は隠れている。
 重たい音、軽い音――ドアが開き、誰かが近づいてくる。

「――由紀?」
 呼び声は困惑混じりだったが、優しげな響き。

「――兄さん」
 師井先生の声を聞いて、楓は顔を上げた。

 目の前の男性が、明らかに虚を衝かれた顔をする。
 仕事帰りなのか、ネクタイまで締めたスーツ姿。背は低く、三津とそう変わらない。黒髪の短髪、顔立ちがはっきりと浮かんでくる。優しそうな印象。強く男を感じさせない……千代子の言っていた通り、紅葉のタイプに違いない。

「こんな時間に出歩かせるのは感心しないな」
 
 そして、師井先生の評価も間違いではないようだ。宮田先生は、真っ先にそんな小言を口にした。

「兄さんがそれを言うか」
 
 宮田先生は苦虫を噛み潰したような顔をするが、反論はしなかった。
 師井先生から視線を外して、
「初めまして楓君。宮田浩二だ」
 自己紹介をした。

 楓は食いしばって黙殺するも、気を悪くした素振りはない。
 それどころか、年下の子供相手に惜しげもなく宮田先生は頭を下げてきた。

「君にとって紅葉はただの姉じゃなくて、母のような存在でもあったのに。急に連れて行って申し訳ない」
「……紅葉は?」
 
 謝罪など聞く耳を持たず、楓は問いただす。
 その響きに、三津が身を乗り出そうとしてか、体を傾ける。

「色々あったけど、今は元気にやっている」
 
 そんなことを聞いたんじゃないと、楓は睨みつける。だけど、涙の溜まった瞳では効果は薄い。宮田先生は制するように瞳を和ませた。

「届いたろ? バースデーケーキ。あれは紅葉が作ったんだ」
 
 柔らかな言葉だったが、楓には痛かった。感情的に矛先を母に向け――なんで? 頭の中は疑問で埋まる。

「ケーキ屋で働いているんだ」
 
 姉の近況も入ってこない。そんな余裕はない。
 ――なんで、気づかなかったんだ?
 好きだったのに。ずっとずっと、目指していた味だったのに……どうして? 楓は自分を責める。そのほうが簡単――自分なんて大嫌いだから。

「な……んで? なんで!?」

 もう、何を求めているのかも掴めない。駄々をこねるように、楓は叫んでいた。

「あんたは教師だったんだろ!? なのに、なんで……なんで……!」
 
 泣きながら訴えるも、宮田先生は頭を下げるだけだった。すまない、申し訳ないと謝罪を連ねるだけで、一切の言い訳を述べなかった――いくらでもあるのに!
 教師と生徒の恋愛なんて珍しくない。年の差だって、さほどない。紅葉の両親だって似たような関係だった。
 それなのに……宮田先生は使わなかった。馬鹿正直に、真摯な態度で向かってきた。

「なんで! なんで! なんで!」
 
 体の中から込み上げてくる熱。涙となって流れるも、一向に冷める気配はない。

 ――想像してしまった。

 この先生がいて、紅葉がいる西研を。楽しそうだと思ってしまい、悔しくて悔しくて……楓は堪えられない。口から出るのはもう、子供の我儘でしかなかった。
 
 限界だったのは宮田先生も同じだったのか、
「君が……」
 辛そうに、必死で口元まで持ってきたかのように告げる。

「君が、そんな風に見ていたから――」
 
 理解より先に、楓は動いていた。本能が警鐘を鳴らし、跳びかかる。いきなり殴りかかってくるなんて思ってもいなかったのか、宮田先生は反応できていない。師井先生も。
 
 ただ、三津だけがこの状況を読んでいたのか、軌道上に足を伸ばしていた。思い切り振るい、楓の腹部に突き刺さる。

 衝撃に、楓はその場で沈み込む。ほとんど自滅のような形だったが、三津を刺すように見上げる。上手く喋れない。咳きこむのを抑えきれずに、何度も吐き出す。酸っぱい味が口に広がり、不快感が増していく。
 なのに、楓は三津を責められなかった。
 
 ――なんで、おまえが泣きそうなんだよ……!

 頬が濡れている訳ではない。目も見開かれ、射抜く勢い。赤くもなく強気なのだが、楓にはやせ我慢にしか見えなかった。

「大丈夫か! 佐藤」
 
 師井先生は、楓にだけ投げかける。宮田先生も同じように腰を落として、容体を看ようとする。
 心配の声をかけられるも、楓は目もくれない。視線はずっと三津に向けられている。
 先生たちの体で上手く掴めないが、強くスカートの裾を握りしめている。
 
 楓は声にならない声で、「三津を……」絞り出した。声色から察したのか、師井先生は振り返り――抱きしめるように、三津の肩に手をやる。

「大丈夫か? 吐き気は?」
 
 宮田先生が訊ねるも、楓は無視をする。

「すまなかった。傷つくことはわかっていたのに……」
 
 けど、後悔を孕んだ詫び言に我に返る。感情的にならないで、確かめないといけない。三津に聞こえないように小さく――

「……姉ちゃんは気づいていたんですか?」
 
 宮田先生は黙秘するも、いつまでも視線を外さない楓に根負けしたのか、
「色々と限界だったんだ。背伸びをして、大人ぶっていたけど、紅葉だって子供だったんだよ」
 抽象的な理由を説明しだした。

「だからといって、俺が彼女の想いに応えてよかった訳じゃない。それはわかっている。けど、目の前で泣いている女の子を放ってはおけなかった」
 
 それは、求めていた回答ではなかった。ただ、初めて宮田先生の口からは零れ出た言い訳の類は、楓に過去の罪を気付かせた。

「……後悔、してるのかよ?」
 
 どうしてあの時、三津が怒ったのか。謝らないでと、懇願するように荒げたのか――

「いや、違う」
 
 楓の怒りが伝わったのか、宮田先生は否定する。それは返答ではなく、自問に近い声ぶりであった。

「俺のことを好きだって、泣いてくれる女性を……俺が欲しいと思ったんだ」
 
 発言自体が罪だったかのように、宮田先生は口元を手で覆う。

「……謝るなよ」
 
 ぼそりと、楓は呟いた。独り言の音色。
 視線は遠く――過去の自分に向けて、忠告する。

「謝られると……悪いことされたみたいになるじゃんか。姉ちゃんは元気でやってるんだろ? 幸せ……なんだろ?」
 数多の後悔から、楓はまた涙した。
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