第10話 交渉in職員室
文字数 2,681文字
机に肘をつけ、楓は窓の外に意識を向けていた。
別段、珍しいものが見える訳ではない。目のやり場がなく、辿りついただけだ。
昼休み、食事を終えてしまっては他にやることがなかった。
周囲は雑談で賑わっているも、自分には無関係。隣の三津も、絵になる佇まいで本と向き合っている。
壁の時計を見上げ、溜息。まだ三十分以上も残っている。
いっそ寝てしまおうかと試みるも、かしましさが際立って数秒で断念。見えない分、音に集中してしまう。
そうして、無意識に自分や三津の響きを拾ってしまった。ぐるりと見渡すと、何人かが目を逸らす。
気のせいや被害妄想では決してない。
そうやって話題にあげられているのが、楓には不満だった。けど、止められない。きっとこれが続いていく光景で、日常的な昼休みとなる。
一人で虚しくも現実的な思考に沈んでいると、不意に教室のボリュームが下がった。音源は増えているが、甲高さが成りを潜めている。
不審に思いクラスメイトの視線を追うと、
「楓君!」
教室の入口で、捺が悪びれもなく手を振りだした。
一方、捺を知らない教室の面々は警戒していた。髪色からして、食物科でないのは明らか。無論、どの学科も『校則』に違いはないのだが、『拘束』には差があった。
衛生上の観点からか、食物科は特に髪や爪などのチェックが厳しい。
対して、デザイン科は高校生らしさよりも傍目から見て似合っているかどうか、綺麗かどうかなどのセンスを重視しているらしいと生徒たちが認識しているほどに緩かった。
「楓君、楓君!」
捺は何度も口ずさむ。弾んだ声で、嬉しそうに手招きをする。
楓は三津に視線だけで付き添いを頼むも、私は呼ばれてないからと断られた。
渋々と、楓は重い腰をあげる。窓際という一番遠い席。すれ違うクラスメイトの視線――女子グループ、男子グループ、一人でいる山内までもが、男女の関係性を疑うように見ている。楓を、捺を、三津を……若い瞳が往復する。
「なんですか、甘楽先輩」
楓はあえて、普段と違う呼び方をした。
「ん? 嫌がらせ」
捺が晴れやかな笑みで言ってのけたので、楓はなんと返していいかわからず、しどろもどろになる。
視線をあちこち彷徨わせ、口を覆うように手を当て、「
えー、あの……」
微かな声を漏らす。
「冗談だって。うん!」
「え? あ、そうですか。なら……?」
あっさりと楓は信じ、弱々しく返す。
遠回しに訪問の目的を訊ねるも、
「とりあえず、行こっか?」
容赦なく捺は進んでいく。人目も気にせず、楓の手を引っ張って一階まで降り、渡り廊下で中央棟。まるで、見せつけるように捺は手を離してくれない。
抵抗するのは悪い気がするし、口だと言い包められるのがオチなので、楓は振り解こうともせずに身を任せていた。
「えーと、それでなんの用ですか?」
さすがに職員室の前になると、解放された。
「いいから、いいから」
捺は答えず、扉をノック。
「失礼します」
楓も小さく続いて、入り込む。先生たちも休憩中なのか、いつもより雰囲気が和らいでいた。
「えーと、いたいた」
捺の目線を追って、楓も気づく。見慣れた二人。職員室だというのに、校則を無視した姿で立っている千代子と、椅子に腰かけている師井先生。
上は同じ白のブラウスなのだが、まるで別物のよう。制服とスーツ。大人と子供をはっきりと区別していた。
「なに? まだ、承認貰ってないの?」
「いやだって、うちこういうの苦手なんだって……」
先生の前で、いきなり口論を始める二人。
状況の掴めない楓は、とりあえず目前の担任に頭を下げる。
「佐藤と……きみが、甘楽か」
師井先生も軽く挨拶をし、二人を迎える。
「そこに三津と塩谷。ちゃんと、五人いるみたいだな」
師井先生の手には部活申請用紙があり、楓は純粋に驚いて見下ろす。
「部員数は問題ありません。同好会として二年間の活動実績もありますし、部室や備品は既に揃っています。残るは顧問だけです」
捺は滑らかに走らせた。詰まることなく、述べていく。
「師井先生はこちらに赴任したばかりではありますけど、顧問の経験はあると伺っております」
師井先生は人事異動でやって来た。
神川高校は私立なので、系列校から――情報を集めるのは難しくなかった。
「それに役者不足とか、そういうのを決めるのは最終的には校長先生です。もし、辞退するというのならば、それ以外の理由でお願いします」
「やっぱ、捺が最初からやれば良かったんだよ」
捺から一歩離れ、楓の隣で千代子がぼやく。
同好会を作ろうと言い出したのは紅葉だったが、行動に移したのは捺だった。
生徒手帳に書かれた規約に目を通すだけでなく、前例を生徒会に問いただし、使われていない部屋まで探しだし、三人で適当にお喋りするだけの活動を、理論武装して学校側に認めさせた。
「まったく、下手な泣き落としより厄介だ」
師井先生は困ったように漏らした。
「宮田先生も、これにやられたの?」
「いえ。宮田先生には理論ではなく、感情的に訴えました」
「なるほど、わかっているんだ」
「ちなみに、宮田先生からの推薦でもあります。入れ替わりでやってくる師井先生は、信頼のおける人だからと」
人生の後輩とか言ってたなぁ、と千代子も進言する。
「まったく、あの人は勝手なことを……」
ぼやきながらも、師井先生は用紙に名前と印を残してくれた。
「教師としても、断る理由が見当たらないからね」
「ありがとうございます」
捺のお礼に、慌てて楓と千代子も乗っかる。
「それでは失礼します。詳しくは、正式に決まってからで」
丁寧かつ、足早に捺は踵を返した。待ちの姿勢であった楓と千代子は、どうしても遅れる。学生らしく、不器用さを残した動作で職員室をあとにした。
「次は、生徒会ね」
捺は行き先を告げると、歩きだした。中央棟の二階。楓と千代子は、賛辞とも悪口とも取れる感想を言い合いながら、上っていく。
「生徒会って昼休みもいんの?」
「会長さんはね。普通科の子から確認も取ってる」
千代子の懸念を、捺は一蹴する。その切り返し、今までの行動は颯爽としており、楓は軽い憧れと一緒に劣等感を抱いていた。
――自分よりも男らしいかも、と。
別段、珍しいものが見える訳ではない。目のやり場がなく、辿りついただけだ。
昼休み、食事を終えてしまっては他にやることがなかった。
周囲は雑談で賑わっているも、自分には無関係。隣の三津も、絵になる佇まいで本と向き合っている。
壁の時計を見上げ、溜息。まだ三十分以上も残っている。
いっそ寝てしまおうかと試みるも、かしましさが際立って数秒で断念。見えない分、音に集中してしまう。
そうして、無意識に自分や三津の響きを拾ってしまった。ぐるりと見渡すと、何人かが目を逸らす。
気のせいや被害妄想では決してない。
そうやって話題にあげられているのが、楓には不満だった。けど、止められない。きっとこれが続いていく光景で、日常的な昼休みとなる。
一人で虚しくも現実的な思考に沈んでいると、不意に教室のボリュームが下がった。音源は増えているが、甲高さが成りを潜めている。
不審に思いクラスメイトの視線を追うと、
「楓君!」
教室の入口で、捺が悪びれもなく手を振りだした。
一方、捺を知らない教室の面々は警戒していた。髪色からして、食物科でないのは明らか。無論、どの学科も『校則』に違いはないのだが、『拘束』には差があった。
衛生上の観点からか、食物科は特に髪や爪などのチェックが厳しい。
対して、デザイン科は高校生らしさよりも傍目から見て似合っているかどうか、綺麗かどうかなどのセンスを重視しているらしいと生徒たちが認識しているほどに緩かった。
「楓君、楓君!」
捺は何度も口ずさむ。弾んだ声で、嬉しそうに手招きをする。
楓は三津に視線だけで付き添いを頼むも、私は呼ばれてないからと断られた。
渋々と、楓は重い腰をあげる。窓際という一番遠い席。すれ違うクラスメイトの視線――女子グループ、男子グループ、一人でいる山内までもが、男女の関係性を疑うように見ている。楓を、捺を、三津を……若い瞳が往復する。
「なんですか、甘楽先輩」
楓はあえて、普段と違う呼び方をした。
「ん? 嫌がらせ」
捺が晴れやかな笑みで言ってのけたので、楓はなんと返していいかわからず、しどろもどろになる。
視線をあちこち彷徨わせ、口を覆うように手を当て、「
えー、あの……」
微かな声を漏らす。
「冗談だって。うん!」
「え? あ、そうですか。なら……?」
あっさりと楓は信じ、弱々しく返す。
遠回しに訪問の目的を訊ねるも、
「とりあえず、行こっか?」
容赦なく捺は進んでいく。人目も気にせず、楓の手を引っ張って一階まで降り、渡り廊下で中央棟。まるで、見せつけるように捺は手を離してくれない。
抵抗するのは悪い気がするし、口だと言い包められるのがオチなので、楓は振り解こうともせずに身を任せていた。
「えーと、それでなんの用ですか?」
さすがに職員室の前になると、解放された。
「いいから、いいから」
捺は答えず、扉をノック。
「失礼します」
楓も小さく続いて、入り込む。先生たちも休憩中なのか、いつもより雰囲気が和らいでいた。
「えーと、いたいた」
捺の目線を追って、楓も気づく。見慣れた二人。職員室だというのに、校則を無視した姿で立っている千代子と、椅子に腰かけている師井先生。
上は同じ白のブラウスなのだが、まるで別物のよう。制服とスーツ。大人と子供をはっきりと区別していた。
「なに? まだ、承認貰ってないの?」
「いやだって、うちこういうの苦手なんだって……」
先生の前で、いきなり口論を始める二人。
状況の掴めない楓は、とりあえず目前の担任に頭を下げる。
「佐藤と……きみが、甘楽か」
師井先生も軽く挨拶をし、二人を迎える。
「そこに三津と塩谷。ちゃんと、五人いるみたいだな」
師井先生の手には部活申請用紙があり、楓は純粋に驚いて見下ろす。
「部員数は問題ありません。同好会として二年間の活動実績もありますし、部室や備品は既に揃っています。残るは顧問だけです」
捺は滑らかに走らせた。詰まることなく、述べていく。
「師井先生はこちらに赴任したばかりではありますけど、顧問の経験はあると伺っております」
師井先生は人事異動でやって来た。
神川高校は私立なので、系列校から――情報を集めるのは難しくなかった。
「それに役者不足とか、そういうのを決めるのは最終的には校長先生です。もし、辞退するというのならば、それ以外の理由でお願いします」
「やっぱ、捺が最初からやれば良かったんだよ」
捺から一歩離れ、楓の隣で千代子がぼやく。
同好会を作ろうと言い出したのは紅葉だったが、行動に移したのは捺だった。
生徒手帳に書かれた規約に目を通すだけでなく、前例を生徒会に問いただし、使われていない部屋まで探しだし、三人で適当にお喋りするだけの活動を、理論武装して学校側に認めさせた。
「まったく、下手な泣き落としより厄介だ」
師井先生は困ったように漏らした。
「宮田先生も、これにやられたの?」
「いえ。宮田先生には理論ではなく、感情的に訴えました」
「なるほど、わかっているんだ」
「ちなみに、宮田先生からの推薦でもあります。入れ替わりでやってくる師井先生は、信頼のおける人だからと」
人生の後輩とか言ってたなぁ、と千代子も進言する。
「まったく、あの人は勝手なことを……」
ぼやきながらも、師井先生は用紙に名前と印を残してくれた。
「教師としても、断る理由が見当たらないからね」
「ありがとうございます」
捺のお礼に、慌てて楓と千代子も乗っかる。
「それでは失礼します。詳しくは、正式に決まってからで」
丁寧かつ、足早に捺は踵を返した。待ちの姿勢であった楓と千代子は、どうしても遅れる。学生らしく、不器用さを残した動作で職員室をあとにした。
「次は、生徒会ね」
捺は行き先を告げると、歩きだした。中央棟の二階。楓と千代子は、賛辞とも悪口とも取れる感想を言い合いながら、上っていく。
「生徒会って昼休みもいんの?」
「会長さんはね。普通科の子から確認も取ってる」
千代子の懸念を、捺は一蹴する。その切り返し、今までの行動は颯爽としており、楓は軽い憧れと一緒に劣等感を抱いていた。
――自分よりも男らしいかも、と。