第21話 いつかの真相

文字数 3,738文字

 思い出すだけでも、楓は腹が立ってくる。
 
「悪いのは学校(そっち)の癖して……。それでカッとなって、どうにか殴るのだけは堪えられたんですけど……」
 
 ――姉が姉なら弟も弟だな。揃って学校に迷惑をかけて。
 
 その一言で沸点に達した。
 キレるな、と三津に釘を刺されていたのに。

「喧嘩は、中学の時と同じ理由なんです。全然、成長できてないんですよ……おれは」
 
 また、泣きそうになる。
 と、俯いた視界にハンカチが紛れ込む。音もたてず、楓は黙って甘える。

「おれにとっては、友達だったんです。女子は……男子よりも、ずっと仲良かったんです」
 共感なんて、できやしない。思春期から、顕著に表れ始める男女差。性を意識するようになり、楓は男子が嫌いになった。
「だから……男子の性的な話題とか耐えきれないんです。友達を……辱しめられているというか、悪く言われているみたいに聞こえて……」
 
 けどそれは、その程度、当たり前、普通というのが周囲の常識だった。
 おかげで、ますます楓は外れていく。幼い頃は趣味と容姿からオカマと揶揄され、仲間外れにされていたのが、中学を境に反転する。

「おれの周りには女子ばっかいたから。他の男子からすれば、羨ましかったみたいで……」
 
 三津を筆頭に紹介しろと、顔も名前も知らない先輩から、自分を苛めていたと記憶している奴まで言い寄ってきた。
 卑猥な単語を並べ立て、勝手な妄想で友人たちが穢されていく。それを断ると、陰で苛められる。
 楓と一緒にいれば女子と触れ合う機会に恵まれるから、表面的には友人面をして、嫌な奴らはへばりついていた。

「そういう佐藤君は、異性を意識したりはしないの?」
 
 嗚咽で沈黙は成り立たない。言葉で塗りつぶすように、会長が質問を挟む。

「しますけど……できるだけ意識しないようにしています。友達……だから」
「でも、女の子のほうはそうは思っていないんじゃない?」
 
 楓の体が大きく揺れた。核心を衝かれた。臨界点を突破した、もう一つの理由。

「そう、なんですっ! おれは頑張って意識しないようにしていたのに……向こうは違った。おれなんかを理由に喧嘩したり……苛めたりしてた。おれの、些細な言動で……」
 
 特別な行為なんて、なに一つしていなかった。困っていたら手伝ったり、一緒に勉強したり。普通のクラスメイトに接するように、楓は女子に声をかけていた。

「おれは一人になりたかったのに……周囲は勝手に寄って来る。怖かった。もう、どうやって話していいかわからなかった!」
 
 毎日のように溜まっていくストレス。吐き出せず、愛想笑いで切り抜ける学校生活。一日の大半を過ごす、楓にとっては地獄でしかない閉鎖空間。

「徐々に、一人には近づけていました。絶対に笑わないように頑張っていたら報われました。女子が遠巻きに見るだけになって、男子も寄って来なくなりました」
 
 他人から見れば哀しいことを、楓は成果のように語る。

「それでも、三津――幼馴染だけは傍にいました。クラスは違ったんで、登下校くらいしか一緒にはいなかったんですけど……」
 
 ――三津さんと付き合っているって本当?
 いつからか、そのような噂が流れるようになっていた。一年生の頃は一度もなかったのに。今までは、あり得ないと切り捨てられていたのに――
 
 もう、不釣り合いなどではなかった。 

 ずっと隣にいた。いつも、見上げていた。綺麗で、強くて、大人っぽくて……そんな、素敵な女性の恋人と勘違いされるほどに、楓は成長していたのだ。
 自分でも気づかぬ内に――視線だってもう、一緒だった。
 そのことに気付いた。否、気づかされた時、楓は言いようのない律動に襲われた。
 平静を装うのも辛いのに、周囲は騒いでいる。
 下らぬ妄想に浸って、羨ましいと投げかけてくる。

 下卑た笑いばかりが耳に入ってきて、
 ――不意に、壊したくなった。
 なにもかも、逃げられないのなら壊してしまえばいいと思った。
 初めて振るった暴力は、いとも簡単に視界を広げてくれた。右手の痛みも、仲の良かった女子の声も届かなかった。
 楓は先生に羽交い絞めにされるまで暴れ続けた。

「……あいつらは煙草を吸いながら、下らない話をしていました。聞くに堪えがたい、本当に下らない話を。中学の時とは違って生々しくて、吐きだしそうでした。それなのに……」

 酷い話だった。どうすれば同級生をそんな目で見られるのか、そんな風に扱えるのかが楓には理解不能だった。
 そして、味方は一人もいなかった。
 誰も止めようとしなかったから、自分が止めた。
 ただ言葉足らず。頭から否定し――

「おれの言うことは綺麗事だって……おれのほうがおかしいみたいに言われて……」
 ――否定された。
「それで……殴ったんですよ」
 
 売り言葉も買い言葉もなかった。
 ――なに、付き合ってんの? もうヤッたとか? 
 好奇心しか感じられない物言いに血が上った。涙が込み上げてくるような熱が頭を襲い、瞬間的に殴っていた。

 ――泣いてしまいそうだったから。それを恥ずかしいと思ったから。

 懺悔が終わり、楓は涙を振るう。口元を手で覆い、嗚咽を鈍らせる。
 会長はずっと聞いてくれた。訊ねたことを謝りもせず、真剣に耳を傾け、待っていてくれた。

「これで見逃してくれるんですよね?」
「……うん。いいわよ」
 
 間があったのは勿体ぶったのか、単に忘れていただけなのか。

「なんとなくだけど、弟が佐藤君に興味を持ったのかわかったし」
 
 会長は満足そうに笑い、立ち上がると楓の頭に手を置いた。その行為がなにを意味するのかは楓にはわからなかったけど、振り払う気にはなれなかった。

「佐藤君はもう少し自覚したほうがいいかな。自分が魅力的な男の子だってことを」
 
 急に顔を近づけられ、耳元で囁かれた。
 楓が意識する前に会長はスカートを翻し、
「弟と同じ年じゃなかったらなぁ」
 悪戯っぽく漏らした。

「そろそろ下校時間になるから、佐藤君も帰りなさい」
 
 テーブルの上を片付けながら、会長は告げた。大人びた声で、少しだけ突き放すよう――元の距離感を思い出させてくれた。

「はい、色々とありがとうございました」
 
 倣うように楓は頭を下げ、何事もなかったかのように生徒会室を出た。



 楓は急いで部室に戻る。
 さすがに時間をかけ過ぎた。階段を駆け下りながら言い訳を探すも、見当たらない。
 恐る恐る、扉を開けると静かだった。
 
 それもそのはず。部屋には三津しか残っていなかった。
 
 両肘をテーブルに乗っけて、足をぶらつかせている。その仕草はだらしないというよりは、子供っぽかった。似合わないことこの上ないと、楓は笑みを零してしまう。

「あ……、遅いよ」
 
 非難の言葉も、いつもより幼く聞こえた。
 三津は気付くと、楓に鞄を投げつける。

「悪い……。というか、別に待ってなくてもよかったのに」
「だって、誰も居なかったら楓泣いちゃうじゃん……って、千代子先輩が言うから」
 
 らしくない行動には裏があった。楓はほっとするも、内容に関してはむっとする。
 反射的に三津を睨んでしまい、
「って! ほんとに、泣いてるの?」
 音を立て、近づいてくる。いきなり前髪をあげられ、ジッと見つめられる。

「そんなんじゃない」
 
 心情的には落ち着いていたので、楓の声に陰りは残っていなかった。
 だからこそ、三津には腑に落ちないのだろう。心配というよりも、訝しげな瞳。しばらくにらめっこが続くも、珍しく楓は逸らさなかった。

「なにか、あったの?」
 
 反対に三津が折れた。それがなんだか嬉しくて、楓の口から底抜けに明るい声が出た。

「別に」
 三津の手首を掴んで、そっと下ろさせる。
「帰ろうぜ」
 
 喉を通った声も平静で、楓は安心する。大丈夫、意識していないと。
 三津は不思議そうに見上げていた。無防備な顔が俯く。視線を辿り……楓は慌てて握っていた手を離す。
 それなのに熱が離れなくて、楓は嫌気がさす。
 無言のまま。沈黙は破られることなく、いつもみたいに肩を並べて帰る。電車待ち。楓は熱を逃がそうと、何度も手を握ったり開いたりするも、一向に冷めない。
 
 いつの間にか、外はめっきり暖かくなっていた。

 落ち着きのない楓とは裏腹に、三津は佇んでいる。自分で自分の手首を握り、時折視線を往復させ――それが更に煽る。
 いつまでも忘れさせてくれない。弱い弱い自分の意志を。流されてしまった、紅葉を失った日を。隙だらけの三津の顔を見る度に、思い出してしまう。
 涙の味が口一杯に広がった、初めて触れ合った夜。冗談や遊び半分でさえ、重なることのなかった肌。それほどまでに避け――意識していたのに……届くと思った瞬間、伸ばしてしまった愚かな自分――律しないと!
 二度と過ちを犯さないように強く――元の距離まではまだ、遠い。
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