第20話 姉と弟
文字数 3,500文字
「あら? 佐藤君、こんにちは」
会長は模範的な挨拶で出迎えてくれた。
ロの字に置かれたテーブルには今日も一人きり。
「もしかして、お裾分け?」
「えっと、はい。そうです」
説明が省けたのに、楓の歯切れは悪かった。たどたどしい動きで、目の前に置く。
「ありがとう。これは、タルト・フロマージュ?」
千代子や捺と一緒だった時とは違い、会長の言葉遣いは柔らかかった。後輩というよりも、もっと年下の子に接するみたいに優しげ。
「けどこれは……ブルーチーズかなにか?」
「いえ……、ブルーチーズじゃなくて山羊のチーズを使っています」
「山羊のチーズね……」
手掴みで一口、気に入ったのか笑顔をみせる。
「紅茶はラプサンスーチョンか」
香りだけで会長は言い当て、口を付ける。
「すごいですね。会長もこういうの好きなんですか?」
「女の子だし。なんて、実を言うと去年も頂いたから」
会長は勿体ぶらずに種明かしをした。
「西研がお裾分けに来る時はクセのあるモノばかりだから、記憶に残っちゃってるの」
特に世界三大ブルーチーズの一つ、ロックフォールを使ったタルトは忘れられない衝撃だったと会長は表情を曇らせた。
「……どうも、すいません」
悪いのは千代子なのだが、楓は頭を下げていた。
「別にいいよ。現にこの紅茶は気に入ったし」
「そう言って貰えると助かります」
沈黙。用件は済んだのに、楓は立ち去る言葉を伝えられずにいた。突っ立って、会長が食べるのを見届けてしまう。
「ご馳走様でした」
紅茶まで飲みほし、会長は律儀にも両手を合わせた。釣られて、
「……お粗末さまでした」
楓は普段なら使わない返しをした。
これでお終いと楓は背を向けるも、
「西研の活動は順調みたいね」
話しかけられ、足を止める。
「ホームページを見させてもらったけど、あれは佐藤君が書いているの?」
「はい、一応そうです」
楓は振り返り、会長の表情が真剣なものだと気づく。
「そう……。ところで、去年は誰が書いていたのかしら?」
返答を間違えたと、楓は悔む。嘘でもいいから、千代子か捺の名前を――去年も居た部員を出すべきだった。
「えっと、ね……おれの姉です」
「顔や趣味だけじゃなくて、そういう所もそっくりなんだ」
「そんなに……似てますか?」
「えぇ、横顔なんかはほんとそっくり」
文章を聞いたつもりだったのに、予想外の返答。楓は動揺を隠しきれなくなる。
「そんなに慌てなくても。別に、私はそこまで堅くないから」
どうやら会長にはバレているようだ。去年書いていたのも楓――当時、この学校の生徒ではなかったと。
「無条件で見逃すほど、お人好しでもないんだけど」
遠回しな脅し。冗談交じりで千代子や捺にされるのとは違う。動悸が早まり、指先に軽い痺れ。まるで足場の悪い高所に立たされた感覚に、楓は気分が悪くなる。
「そんな、あからさまに脅えなくても」
「え!? あ、はい……すいません」
「いや、別に謝らなくてもいんだけど」
会長は眼差しを和らげる。
「ほんと、なんで佐藤君みたいな子が停学なんてくらったんだろう」
ぽつぽつと独り言の抑揚だが、楓にはカウントダウンにしか聞こえない。
「私に対する態度や言葉遣いからして、意味なく暴力を振るったり、先生の胸ぐらを掴むとは思えないんだけど」
着々と、逃げ場を封じられる。求められている答えまで提示され、誤魔化しようもない。
けど、頭の中では色々な打算や自己防衛が働く。ぐるぐると……素直に吐露することを許さない。
――だって、恥ずかしいから!
誰もが、共感してくれるような理由なんかじゃない。
むしろ、敬遠される。本心なのに……その程度って軽視されるから……言いたくない!
「ちょっ!? えっ、まってまって……」
会長が目をむく。音をたて立ち上がり、スカートからハンカチを取り出し、
「なんで泣いてんの? もう! 私が苛めたみたいじゃない……」
足早に楓へと手渡す。
「……別に、泣いてないです」
「いやいや、厳密にはそうかもしんないけど思いっきり目に涙溜まってるから。しかも、すっごく赤いから」
会長も冷静さを失っているのか、有無を言わさずハンカチを押しつけてきた。
「はいっ、ちゃんと持って。腕がしんどいでしょ?」
泣いていると認めるみたいで楓は頑なに拒むも、
「誰か来たらどうすんの? それ以前に、その顔でここから追い出されたくないでしょ?」
押し殺された声音から本気だと、悔しそうにハンカチを受け取る。目に当て、不自然な息遣いで沈黙をやり過ごす。
徐々に落ち着きを取り戻していく楓とは裏腹に、会長はそわそわしていた。
「えっと……、大丈夫?」
「はい……すいませんでした」。
「いや、私が……悪いのかな? よくわかんないけど」
「そんなこと、ないです」
「あぁ、そう……ならいいんだけど」
「あの……、目の腫れがひくまで、ここにいてもいいですか?」
「……どうぞ」
自分の席に戻ると、会長は鞄から手鏡を取りだした。
「使って」
楓は置かれた席――会長の斜め前の椅子に座る。
「生徒会の仕事ですか?」
手持ちぶさたな楓とは違い、会長はペンを走らせていた。
「いや、課題と自分の勉強。家だと妹弟が多くて、はかどらないから」
「何人いるんですか?」
「妹が三人に弟が一人」
会長は手を止めて、楓の様子を窺う。
「弟はここの生徒なんだけど」
親しみの籠った表情で、
「覚えてる? 普通科の委員長」
投げかけた。
「はい……。覚えてます」
喧嘩の事情聴取の際、弁護をしてくれた。ほとんど会話なんてしていなかったのに、先生相手に骨を折ってくれた。
「それはよかった。弟は佐藤君のこと、気にいっていたみたいだから」
「え? なんで、また?」
「さぁ? 私もそれが知りたくて、佐藤君に訊きたかったんだけど……」
困ったように会長が漏らす。
「弟って友達がいないというか、他人に興味を持っていないみたいでね。それが珍しく口に出したものだから、気になっちゃって」
「……やっぱり、そういうのって気になるものなんですか? その……姉として弟に友達がいなかったりしたら……」
思うことがあり、どもりながらも楓は探ってみる。
「う~ん、どうだろう。家はちょっと複雑な事情があるから。世間一般的には、あまり干渉したりはしないのかも」
会長は快く答えてくれた。それに比べて自分はと、楓は追い打ちをかけられた気分に陥る。
「私が高校に上がった時に、母が亡くなってね。それ以来『男』が弟だけになっちゃったから」
「え? 亡くなったのはその……母親なんですよね?」
どこか憂いを帯びた嘆息で肯定を示し、会長は打って変わった声色で言ってのけた。
「母が亡くなって、父がその代わりを務めようと女装を始めちゃって」
笑い話のような転調。それは会長の気遣いであろうと、楓は無理に口の端を吊り上げる。
「妹二人が、母の死を受け入れられなくて……」
まだ幼くて、母親にべったりだった所為か塞ぎこんでしまった。
けど、仕事や学校はそう長くは待ってくれない。忙しさに追い立てられる。誰もが傷を負っていて、いつまでも幼い二人に構ってはいられなかった。
「結局、一番多忙だった父がなんとかしてくれた。その手段がまぁアレなんだけど……ね」
姉二人は忙しさと弱さを理由に、妹から目を逸らした。文句は言える訳なかった。
しかもお客の評判も良くて、店の売り上げも伸び――そのまま、定着してしまったとのこと。
「でも、弟は男だし。まだ、中学生だったから……」
それでも真面目で、家事や妹の面倒もみてくれているらしい。
「母が亡くなってから、弟は遊びに出かけることもなくなったし、学校の話題も口にしなくなったの」
振り返って気付いた。だから、心配は純粋ではなく、後悔を孕んでいる。
ふと、会長――『姉』の想いに楓は応えたくなった。いや、甘えたくなった。紅葉にも言えなかった、あの時の本当の理由も知って貰いたいと――
「……先生の胸ぐらを掴んだのは、姉のことを悪く言われたからです」
相手の反応も確かめずに、楓は遅すぎる答えを提出した。
会長は模範的な挨拶で出迎えてくれた。
ロの字に置かれたテーブルには今日も一人きり。
「もしかして、お裾分け?」
「えっと、はい。そうです」
説明が省けたのに、楓の歯切れは悪かった。たどたどしい動きで、目の前に置く。
「ありがとう。これは、タルト・フロマージュ?」
千代子や捺と一緒だった時とは違い、会長の言葉遣いは柔らかかった。後輩というよりも、もっと年下の子に接するみたいに優しげ。
「けどこれは……ブルーチーズかなにか?」
「いえ……、ブルーチーズじゃなくて山羊のチーズを使っています」
「山羊のチーズね……」
手掴みで一口、気に入ったのか笑顔をみせる。
「紅茶はラプサンスーチョンか」
香りだけで会長は言い当て、口を付ける。
「すごいですね。会長もこういうの好きなんですか?」
「女の子だし。なんて、実を言うと去年も頂いたから」
会長は勿体ぶらずに種明かしをした。
「西研がお裾分けに来る時はクセのあるモノばかりだから、記憶に残っちゃってるの」
特に世界三大ブルーチーズの一つ、ロックフォールを使ったタルトは忘れられない衝撃だったと会長は表情を曇らせた。
「……どうも、すいません」
悪いのは千代子なのだが、楓は頭を下げていた。
「別にいいよ。現にこの紅茶は気に入ったし」
「そう言って貰えると助かります」
沈黙。用件は済んだのに、楓は立ち去る言葉を伝えられずにいた。突っ立って、会長が食べるのを見届けてしまう。
「ご馳走様でした」
紅茶まで飲みほし、会長は律儀にも両手を合わせた。釣られて、
「……お粗末さまでした」
楓は普段なら使わない返しをした。
これでお終いと楓は背を向けるも、
「西研の活動は順調みたいね」
話しかけられ、足を止める。
「ホームページを見させてもらったけど、あれは佐藤君が書いているの?」
「はい、一応そうです」
楓は振り返り、会長の表情が真剣なものだと気づく。
「そう……。ところで、去年は誰が書いていたのかしら?」
返答を間違えたと、楓は悔む。嘘でもいいから、千代子か捺の名前を――去年も居た部員を出すべきだった。
「えっと、ね……おれの姉です」
「顔や趣味だけじゃなくて、そういう所もそっくりなんだ」
「そんなに……似てますか?」
「えぇ、横顔なんかはほんとそっくり」
文章を聞いたつもりだったのに、予想外の返答。楓は動揺を隠しきれなくなる。
「そんなに慌てなくても。別に、私はそこまで堅くないから」
どうやら会長にはバレているようだ。去年書いていたのも楓――当時、この学校の生徒ではなかったと。
「無条件で見逃すほど、お人好しでもないんだけど」
遠回しな脅し。冗談交じりで千代子や捺にされるのとは違う。動悸が早まり、指先に軽い痺れ。まるで足場の悪い高所に立たされた感覚に、楓は気分が悪くなる。
「そんな、あからさまに脅えなくても」
「え!? あ、はい……すいません」
「いや、別に謝らなくてもいんだけど」
会長は眼差しを和らげる。
「ほんと、なんで佐藤君みたいな子が停学なんてくらったんだろう」
ぽつぽつと独り言の抑揚だが、楓にはカウントダウンにしか聞こえない。
「私に対する態度や言葉遣いからして、意味なく暴力を振るったり、先生の胸ぐらを掴むとは思えないんだけど」
着々と、逃げ場を封じられる。求められている答えまで提示され、誤魔化しようもない。
けど、頭の中では色々な打算や自己防衛が働く。ぐるぐると……素直に吐露することを許さない。
――だって、恥ずかしいから!
誰もが、共感してくれるような理由なんかじゃない。
むしろ、敬遠される。本心なのに……その程度って軽視されるから……言いたくない!
「ちょっ!? えっ、まってまって……」
会長が目をむく。音をたて立ち上がり、スカートからハンカチを取り出し、
「なんで泣いてんの? もう! 私が苛めたみたいじゃない……」
足早に楓へと手渡す。
「……別に、泣いてないです」
「いやいや、厳密にはそうかもしんないけど思いっきり目に涙溜まってるから。しかも、すっごく赤いから」
会長も冷静さを失っているのか、有無を言わさずハンカチを押しつけてきた。
「はいっ、ちゃんと持って。腕がしんどいでしょ?」
泣いていると認めるみたいで楓は頑なに拒むも、
「誰か来たらどうすんの? それ以前に、その顔でここから追い出されたくないでしょ?」
押し殺された声音から本気だと、悔しそうにハンカチを受け取る。目に当て、不自然な息遣いで沈黙をやり過ごす。
徐々に落ち着きを取り戻していく楓とは裏腹に、会長はそわそわしていた。
「えっと……、大丈夫?」
「はい……すいませんでした」。
「いや、私が……悪いのかな? よくわかんないけど」
「そんなこと、ないです」
「あぁ、そう……ならいいんだけど」
「あの……、目の腫れがひくまで、ここにいてもいいですか?」
「……どうぞ」
自分の席に戻ると、会長は鞄から手鏡を取りだした。
「使って」
楓は置かれた席――会長の斜め前の椅子に座る。
「生徒会の仕事ですか?」
手持ちぶさたな楓とは違い、会長はペンを走らせていた。
「いや、課題と自分の勉強。家だと妹弟が多くて、はかどらないから」
「何人いるんですか?」
「妹が三人に弟が一人」
会長は手を止めて、楓の様子を窺う。
「弟はここの生徒なんだけど」
親しみの籠った表情で、
「覚えてる? 普通科の委員長」
投げかけた。
「はい……。覚えてます」
喧嘩の事情聴取の際、弁護をしてくれた。ほとんど会話なんてしていなかったのに、先生相手に骨を折ってくれた。
「それはよかった。弟は佐藤君のこと、気にいっていたみたいだから」
「え? なんで、また?」
「さぁ? 私もそれが知りたくて、佐藤君に訊きたかったんだけど……」
困ったように会長が漏らす。
「弟って友達がいないというか、他人に興味を持っていないみたいでね。それが珍しく口に出したものだから、気になっちゃって」
「……やっぱり、そういうのって気になるものなんですか? その……姉として弟に友達がいなかったりしたら……」
思うことがあり、どもりながらも楓は探ってみる。
「う~ん、どうだろう。家はちょっと複雑な事情があるから。世間一般的には、あまり干渉したりはしないのかも」
会長は快く答えてくれた。それに比べて自分はと、楓は追い打ちをかけられた気分に陥る。
「私が高校に上がった時に、母が亡くなってね。それ以来『男』が弟だけになっちゃったから」
「え? 亡くなったのはその……母親なんですよね?」
どこか憂いを帯びた嘆息で肯定を示し、会長は打って変わった声色で言ってのけた。
「母が亡くなって、父がその代わりを務めようと女装を始めちゃって」
笑い話のような転調。それは会長の気遣いであろうと、楓は無理に口の端を吊り上げる。
「妹二人が、母の死を受け入れられなくて……」
まだ幼くて、母親にべったりだった所為か塞ぎこんでしまった。
けど、仕事や学校はそう長くは待ってくれない。忙しさに追い立てられる。誰もが傷を負っていて、いつまでも幼い二人に構ってはいられなかった。
「結局、一番多忙だった父がなんとかしてくれた。その手段がまぁアレなんだけど……ね」
姉二人は忙しさと弱さを理由に、妹から目を逸らした。文句は言える訳なかった。
しかもお客の評判も良くて、店の売り上げも伸び――そのまま、定着してしまったとのこと。
「でも、弟は男だし。まだ、中学生だったから……」
それでも真面目で、家事や妹の面倒もみてくれているらしい。
「母が亡くなってから、弟は遊びに出かけることもなくなったし、学校の話題も口にしなくなったの」
振り返って気付いた。だから、心配は純粋ではなく、後悔を孕んでいる。
ふと、会長――『姉』の想いに楓は応えたくなった。いや、甘えたくなった。紅葉にも言えなかった、あの時の本当の理由も知って貰いたいと――
「……先生の胸ぐらを掴んだのは、姉のことを悪く言われたからです」
相手の反応も確かめずに、楓は遅すぎる答えを提出した。