第33話 ふたりの気持ち

文字数 1,896文字

 体勢を変えるのさえ難しい。
 楓の腕の中、三津は目を覚ましてしまった。
 時間は定かではないが、親には泊ると言って出ていったから問題ない。それ以前に、服装からバレていたくらいだ。
 どうにか腕だけは自由に動かせるようになり、仕返しじゃないけど、楓の背中に回して同じように抱きしめてみる。細い、華奢な体だと思っていたけど、やっぱり男の子。
 ぎゅっと力を込めるも、呻きさえしない。
 
 ――むかつく、と抱き合ったまま、三津は物思いに耽る。

 真っ先に公衆衛生学の授業を思い出し、胸を撫で下ろす。
 そこから時間が経つも、睡魔はやってこない。環境的には凄く落ち着くのに。心地よい温もり……少しだけ苦しくもあるけど。
 楓は心地よさそうに眠っていて、ちょっとだけイラっとする。手を移動させ、頬をなぞる。整った顔立ち。抱きかかえられているから、よく見えない。
 寝ている時くらいでしか、正面からは眺められないのに、酷い。

 一度不満を抱くと、止まらなかった。こんな時に思い出さなくていいことまで浮かんでくる。

 小さい頃から、楓はすぐに手が出る奴だった。全部、返り討ちにしてやったけど。
 それが、今ではあんな方法でしか止められないほどに差がついている。自分がいたらと何度も思ったことがあったけど、自惚れだったみたい。
 集団宿泊研修の時も、いたところでたぶん止められなかった。

 そう思うと、三津は哀しくなった。
 不覚にも泣きたくなり、堪えるように鼻をすする。

「……泣いてるのか?」
 
 間の悪いことに起きたのか、楓が漏らした。

「ううん、そんなんじゃない」
 
 つい強がってしまうと、
「そうだよな、三津は強いもんな」
 そんな答えが返ってきた。

 寝ぼけていただけなのか、楓はすぐにまた寝息をたてる。
 楓の胸を濡らさないようにおでこだけつけて、三津はすすり泣く。気づいてかいないでか、楓の手が頭を撫でた。ほんの数秒。無意識の行いだったのだろう。それで拘束が緩んだ。離れようと思えば、離れられる。

  だけど、三津はそのままでいた。
 もう一度眠りにつくまで、楓の腕に抱かれていたかった。



 目が覚めると、楓の腕は痺れていた。
 どういう体勢で寝ていたのかは判断つかない。既に一人。三津はベッドにも部屋にもいなかった。
 
 楓は服を着て、扉を開ける。と、ご飯とみそ汁の匂い。
 
 いるとわかって、複雑な感情が渦巻いた。以前と同じ轍だけは踏まないように心掛けるも……そうなると、言葉が見当たらない。口下手な楓では、第一声は謝罪しか思い浮かばなかった。
 けど、それは駄目だ。また、傷つけてしまう。

 ――謝られるようなこと、されたみたいになるじゃん。

 怒りと悲しみの混じった、あんな顔は二度と見たくなかった。それに今なら、その言葉の意味もなんとなく理解できる。
 覚悟して楓がリビングに顔を出すと、三津はいつも通りの澄ました顔を向けてきた。
 こちらの気持ちなど露知らず、「おはよう」平然と挨拶をしてきた。

「……おはよう」
 
 ごめんは飲み込んで、沈黙。目を合わすのも気まずくて、視線が下がる。無意識に胸元や首筋に吸い込まれ、困惑。

「……ムヒならあるけど?」
 
 苦し紛れの言葉に、三津が首をひねる。

「蚊に刺されてる」
 
 楓の視線を辿り、三津は心底呆れたような息を吐いた。

「ほんっと、楓は馬鹿だよね」
 
 いつもより低いトーンで告げられ、楓は傷つく。
 三津は黙って、朝食の用意を始めた。とてもじゃないが、声をかけられる背中じゃない。ひしひしと怒りが伝わってくる。心当たりは沢山あるが、もし違っていたら目もあてられない。
 謝る個所を間違えたら最後、烈火の如く怒られる。
 言葉を交えないまま、日常の風景。隣り合わせなのに、色気も何も感じられない。食器の音だけがやけに響く。

 ――また、何事もなかったかのように、振舞わないといけないのだろうか?

 楓は疑問と反抗を覚えるも、自分からは切り出せないでいた。怖い。今までの関係が終わってしまうのが、何よりも怖かった。

 だから、西研の復活を望んだ。
 三津だけでなく、千代子、捺との関係も失いたくなかったから、紅葉の残した約束に縋った。――気にしてないから。
 
 この言葉に甘えていいのだろうか? 楓が答えなくとも、三津は返事を待たない。

 おかげで二人の間に緊張感は生まれず、楓にとっては都合のよい展開となる。
 楓はいつもの雰囲気に任せて、三津の背中を見送った。
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