第44話 運命の……

文字数 2,434文字

 書類の提出を終え、楓は部室に戻る。
 扉前でノックをするべきか迷っていると、
「それ、約束だからね!」
 塩谷の叫び声。

 楓が手を伸ばす前にドアノブが回り――勢いよく開け放たれ、楓は咄嗟に横へと飛び退く。
 
 扉は同じ速度で閉められ、轟音。出てきた塩谷は、隣に立っている楓に気付くと絶句した。
 何かあったのかは聞くまでもない。
 顔は赤く、頬は強ばって、瞳には涙の気配……どうしたらそういう状態になるのか、楓はよく知っていた。
 それなのに、楓の視線は扉に注がれている。

「……運命だと思ったんだ」
 
 目を逸らした隙に、塩谷がぽつりと漏らした。

「あの日、扉が開かなくて……」
 
 唐突な独白。
 噛み合わなかった二人のイメージが、ここで重なった。職員室の中と外。扉を隔てた先に二人はいる。

「先生が開かないのか? って声をかけてくれたんだけど、なんだか子供扱いというか馬鹿にされているように、私には聞こえて……」
 
 ムキになって体ごとぶつかったら、楓がいた。

「すごい勢いで私は怖かったけど、全然痛くなかった。佐藤君が受け止めてくれたから……」
 
 あの頃は紅葉の影ばかり追っていたから、楓はつい抱きしめてしまった。

「それって、運命だと思わない?」
 
 可能性としては、限りなく低い偶然と片づけられなくはないが、少女にとっては運命という言葉がしっくりくる状況だったのだろう。
 そのように出会って、部活に誘われて、部員の一員になって、恋をして……気付いていたけど、楓にはどうすることもできなかった。
 
 自分が選んだのは、そんな運命的な恋じゃなくて、幼馴染とのつまんない恋。
 
 両想いのくせして、一向に進まない。
 日常を壊すのを恐れてばかりな、消極的な恋愛。
 燃えるような想いなんてない。あったのは、失いたくないという必死さだけだ。

「……確かに、運命かもな」
 
 楓は目線を落とす。覚えのある瞳の色に逃げたくなるも、踏みとどまる。

「塩谷はおれにとって……」
 
 ふと、父の話を思い出す。南半球の星空を仰ぎ、語っていた一つ。矢の形をした星のお話。

「運命のキューピッドだったよ」
 
 上手く断れただろうが? 塩谷の顔はなんとも言えない。目には涙、頬は微かに緩み、口が歪んでと複数の感情が読
み取れる。

「佐藤君……」
 
 そして、震えた声で――

 「自分で言って、恥ずかしくない? それ……」

 指摘された瞬間、楓は沸き上がる熱に翻弄される。

「いや! そもそも、塩谷の運命だったも、だいぶ恥ずかしいと思うぞ」
「えぇ!? 私のはまだマシだよ!」
 
 大人の介入を待たずして、場の空気は一変した。二人は押し付け合うように捲し立てる。

「もう、予想外過ぎて泣けも笑えもしなかったじゃん!」
「それ、おれは関係ないだろ?」
「これでも、勇気を振り絞ったんだから!」
 
 痛い一言に楓は怯む。

「私、恋愛で誰かと勝負できる性格じゃないのに……頑張ったんだよ」
 
 泣かれると弱い。楓の口からは、何度も謝罪の言葉が流れ出す。

「絶対に振られるって、わかってたけど……」
 
 楓には到底無理な選択。
 そんな勇気、持っていない。素直に敬意を表して、聞き届ける。

「そうしないと……友達にもなれそうにないから」
 
 抉られるほど痛くても、黙って受け止めなくてはいけない。

「佐藤君のことが好きだと……二人とも酷いじゃん」
 
 楓は距離を置いてぎこちなく、三津は素っ気なくて冷たい。

「そんな状態を栞に見られたら、また一学期みたいになっちゃう」
 
 あの件は、塩谷にはなんの落ち度もなかったはずなのに、自分が悪いと思っているのだろう。

「だから、私は振られるの。みんなで……楽しい文化祭にしたいから」
 
 気持ちに優劣をつけるのは嫌いだが、塩谷の覚悟に楓は負けたと思った。
 振ったあとにやっぱりとか、振られることを予想していた態度を取る相手は今までもいた。
 けど、答えを告げる前に宣言をしてきたのは塩谷が初めてだった。
 そんなの、楓には無理だ。

 ――だって、絶対に傷つく。
 
 あとのことを考えれば考えるほど怖くなる。毎日のように、顔を合わせなければならないんだ。振られた現実を、毎日のように突きつけられるんだ。
 隣に別の人がいれば、自分じゃ駄目だったって、嫌でも思い知らされるんだ。
 それなのに、どうして選択できるのだろうか? 
 なんの期待も持たないで、どうしてそのような真似ができるのだろうか? 
 それを恐れて、今日まで生きてきた楓にはわかりっこない。
 だから、素直に答えるしかなかった。 

「……おれ、三津が好きなんだ。ずっとずっと前から、好きだったんだ」
 
 正しい答えも、傷つけない答えも、楓には見つけられなかった。

「だから……ごめん」
 
 塩谷の宣言通りに、振るしかなかった。

「ほんとう……ごめん」
 
 頑張ったけど、楓は堪え切れずに涙を流す。ずるいと思う。男のおれが……振るほうが泣くなんて本当に卑怯だ。
 でも、思わずにはいられないんだ。自分なんかを好きになってくれたのに、傷つけるしかできないなんて。嫌いじゃないのに、やっぱり傷つける言葉しか選べないなんて――
 泣き笑いの顔を見るのが。それでも明るく振舞おうとしてくれているのが……自分なんかよりも辛いはずなのに、気遣ってくれる言葉が――

「うん、頑張ってっ!」
 
 返事をしなきゃいけないのに。声が出てこない。
 嗚咽を我慢するのと一緒に喉元でせき止められ、胸と喉の間で渦巻いた。
 扉の前から、そっと離れる塩谷。その動きを目で追うしかできなかった自分には、もう呼びとめる資格はない。
 黙って、寂しそうな小さな後ろ姿を見送る。
 
 ――楓はやっと、腹をくくった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み