第8話 見栄っ張りな男の子

文字数 2,177文字

 本格的な活動は全員が揃ってから――そう千代子から言い渡され、解散となった放課後。

「楓の家、寄ってもいい?」

 唐突だった。電車から降りて、僅か一〇分程度の帰り道。本来、別れるはずの交差点で立ち止ったかと思うと、三津がいきなり吐き出した。
 脈絡のなさに「なんで?」楓は純粋に迎えられず、理由を求める。

「ケーキあるでしょ? 今朝、作って納得がいかなかったやつ」
「……なんで?」

 楓の口をついたのは先ほどと同じ言葉だが、意味合いは違っていた。

「だって、実習後にも残り香があったし。けど、学校には持ってきてなかったから」
 
 その違いを三津はきちんと理解しており、応じた回答を述べる。

「別に私に対しては、見栄を張る必要ないでしょ?」
「……勝手にしろ」

 止まっていた足が、規則正しいリズムを刻みだす。楓は僅かにペースを上げるも、ローファーの靴音は難なく追従してくる上に、なんの文句も冷やかしも飛んでこない。
 楓は黙ってペースを戻して、帰路に就いた。
 住宅街に立ち並ぶ、二階建ての一軒家。扉を開けると、中は暗くて寒い。元々は四人で住んでいた家だが、現在常住しているのは楓だけだ。
 
 最早、勝手知ったる他人の家――三津は慣れた足取りで洗面所へ入っていった。
 
 楓はそれを黙って見送り、リビングへ。ソファにブレザーと鞄を投げ出し、紅茶の準備に移る。
 真っ先に電気ケトルでお湯の準備をすると、ガラス製のポットに水を半分ほど入れ、レンジへ――温まったらお湯を捨て、茶葉をティースプーンで二杯ほど投入する。
 
 選んだのはミルクティーの定番としてあげられるアッサムで、濃厚な焼き菓子には打ってつけである。
 
 そこにケトルのお湯を勢いよく注ぎ入れ、蓋をして蒸らす。冷めないようティーコジーを被せて四分――キッチンタイマーをセット。茶葉の細かいブロークンタイプだが、三津は牛乳も砂糖もたっぷり使うので濃い目に淹れてやる。
 残ったケトルの湯を陶器のポットとカップに注ぎ、冷蔵庫から取り出した低温殺菌牛乳をミルクポットへと移し終えると、三津がリビングに姿を見せた。
 ブレザーと鞄をソファに投げ出し、カウンターキッチンへ――楓の隣に並ぶ。

「で、なにが気に入らないの?」
「表面が焦げたんだよ」
 
 説明し、楓はケーキを取り出す。

「ガトーショコラか」
 
 しっかりと雪化粧されたケーキは既にカットされており、円形ではなかった。見慣れたものよりも一層黒いのは、チョコレートのカカオ分が多く、粉の配分が少ないから。
 証拠にケーキの表面はひび割れ、くぼんでいる。

「表面だけ切ればいいのに」
「クラシックショコラは、ひび割れと、くぼみがあってこそなんだよ」

 ガトーショコラとクラシックショコラ。この二つに細かい定義はなく、日本では同じ意味合いで使われている。
 それでも、楓なりの解釈はあった。後者は伝統的で、いわゆる昔ながらのお菓子――故に、形や仕上げ方を変えることはできないと。
 つまり、許されるデコレーションは粉糖のみ。生クリームでさえ、添えられたモノ以外は認められなかった。

「相変わらず頭の固い」
 
 楓の弁舌に、三津は溜息一つ。手掴みでケーキを口に運ぶ。

「……気にするほどの苦みじゃなくない?」
「でも、明らかな焦げの苦みじゃんか。千代子先輩なら絶対気づくって」
「ほんと、見栄っ張り」
 
 論争する気はないのか、三津は言い捨てると腰を下ろした。カウンター用の背の高い椅子。面倒という理由で、今では食事用のテーブルは使われていなかった。
 
 タイマーが鳴り、楓は温めていたポットのお湯を捨てる。
 
 そこに茶こしを通して、淹れ終えた紅茶を移す。こうすれば常に均一な味を保てるようになる、いわばフランス式の淹れ方。
 英国式は茶葉を入れっぱなしなので、注ぐ度に味が変わる。一杯目は香り、二杯目は味、三杯目はミルクなどを入れて違いを楽しめるのだが、楓はあまり好きではなかった。
 楓はお湯を捨てたカップに牛乳を入れ、紅茶を注ぐ。そうやって手間暇かけられたミルクティーを、三津はごくごくと飲み干していく。
 
 早くも一つのケーキを食べ終え、
「生クリームある?」
 二つ目も行く気満々。

 楓は生クリームをお皿に添える。さすがに今度は手で食べさせる訳にはいかないので、フォークも用意する。
お皿以外は二人分。自然と寄りそう。

「あのさ、私が来なかったらどうする気だったの?」
「一人で食べてた」
「は? 全部?」
「朝ご飯にもするつもりだったし」
「体、壊すよ? もう、一人なんだからさ。気をつけないと」
 
 微かに哀愁の籠った音色。三津はフォークを咥えたまま、覗き込んできた。

「わかってるよ。そんなのは」
 
 楓は強がるも、内心は不安で仕方なかった。
 なんの覚悟も期待もしていなかった一人暮らしが、すぐに慣れるはずがない。
 家のことは全て、紅葉がやってくれていた。手伝いを申し出ても――大丈夫! その言葉に甘え続けていたのだから、わからないことだらけ。

 楓は逸らす。目が合うと、伝わってしまいそうなので俯く。
 結局、三津に対しても楓は見栄を張らずにはいられなかった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み