第37話 少女と少年の独白

文字数 3,926文字

 ――言いえて妙だけど、一目惚れだった。
 
 中学生になっても、三津にとって楓は異性と呼べるような存在ではなかった。
 身長は自分よりも小さくて、歩き方とか態度もなよなよしていて、趣味も性格も女々しくて……それが、いつの間にか同じ目線に立っていた。
 
 それ以上に驚いたのが、楓と付き合っているのかと訊かれるようになったこと。

 今までは、一度もなかった。
 あんなにも近くにいたのに、誰も口にはしなかった。
 
 果たして、三津はその質問にイエスと答えた。
 面倒だったから。これで、男子から告白される心配もなくなるだろうという、安直な思考に基づいて。

 この嘘が元で、楓は暴れた。
 騒ぐ友達に乗せられて、三津も現場に向かった。止めてやろうと思っていた。簡単に止められると、疑っていなかった。
 
 でも、そこにいた楓は……自分の知っている楓ではなかった。
 率直に怖いと思った。足は動かなかった。体は竦んでいた。声すらかけられずに、見ていることしかできなかった。
 
 全てが終わってから、原因が自分にあったと知って自己嫌悪した。
 どんな顔で楓に会えばいいのかと、本気で悩んだ。
 けど、都合のいいことに楓のほうから距離を置いてくれた。
 そのまま、半年くらいは遠目から見かけるだけになった。

 そして、半年ぶりに対面した時――私は、楓に一目惚れした。





 楓の夏休みの後半は慌ただしかった。
 急に母が帰ってきたと思ったら、オーストラリアまで連れて行かれた。
 久々にあった父も相変わらずだった。こちらの興味などお構いなく、延々と星の話。子供みたいな瞳で見上げ、弓を射るポーズで盛大に語っていたのが印象深い。
 恥ずかしくて、楓にはとても口に出せないような言葉ばかりを平気で並べたてられた。
 
 ただ、南半球の星空は澄んでいて綺麗だった。

 オーストラリアでは、色々な人に話しかけられた。親切心だとわかるために、楓は必死で英語を喋ってみた。とはいえ、上手く単語を組み立てられず、子供みたいな表現だと笑われた。
 
 けど、嫌な気持ちにはならなかった。理解できなくても、自然と笑えていた。
 本気で考え、本気で会話をしているのに母は格好悪いだとか、無様だとからかった。

「でも、勉強になるでしょ? 楓はすぐに取り繕おうとするから。たまにはいいんじゃない?」
 
 楓にとっては、耳の痛い話である。そこまで自分はわかりやすいのかと、ちょっぴり自己嫌悪。中学生になってからは一緒にいる時間のほうが短いのに、母の指摘は的を射てばかり。

「不器用でもセンスなくても、逃げないで一生懸命取り組んでいたら、絶対今よりはマシになっていたのは間違いないんだから」
 
 紅葉からメールなり電話で聞いていたのだろうが、ここまで理解を示されると、反抗心すら芽生えてくる。放任していたくせして、なんの尻込みも気兼ねも感じられない言い草。
 どれだけ離れていても、こちらが距離を置いても、絶対に母親としてのスタンスを崩さない。
 
 だから、楓は母には弱かった。恨みや不満はあるが、決して憎めない。
 だって、小さい頃の優しくて大好きだった姿から全然変わっていない。恨んだりするのが馬鹿らしいと思えるほど、真っ直ぐに話しかけてくれる。

「お父さんを見てると、私だってもう少し頑張ってれば良かったって思うことがある」
 
 何を? と聞くまでもない。視線を辿れば、答えは簡単。父は色々な人に囲まれていた。
 一度は諦めた父の夢を繋いだのは、彼らだ。
 天文学はプロとアマチュアが共存できる珍しい職種である。新星の発見に至っては、プロよりもアマチュアのほうが多く、アマチュアによる論文発表も毎年のように行われている。
 
 だからこそ、今回のような共同研究――国際チームに誘われるのも、普通にありえた。
 ただし、父は少し違う。直接的に声をかけられた天文家から、助手として同行を求められ参加していた。
 かつての交友が、父をここに連れてきてくれた。
 それでも、母は楓に求めないし、頑張れとも言わなかった。

「もっと早く、来れば良かった……」
 
 楓は頑張るのも悪くないかもと思い、漏らす。

「ほんと、なんで来なかったのよ?」
 
 母の非難に、
「だって――」
 続く言葉を楓は噛み殺す。

 それは姉を悪者にしかねなかったから――思い出を汚したくはなかった。

 


 日本に戻ると、また暑い。
 東京までは両親も一緒だったが、そこからは一人。飛行機も予約されており、楓は延々と移動を強いられる。
 終始、母の予定に振り回されてばかり。スケジュールはおろか、滞在期間すら内緒にされたままの旅行。帰るのだって、前日にいきなり告げられた。
 
 その理由は、家に着いて理解した。

 母に指摘されて以来、掃除もきちんとするようになったものの、楓は汚れているから掃除をするという考えなので、程度は知れていた。目についていても、あとでと放置していた埃や汚れ、雑多の整理整頓――綺麗にする目的の掃除が施されていた。
 
 誰が? と考えるまでもない。紅葉の部屋にいくと案の定、物がまた減っていた。
 
 楓は嬉しいような寂しいような、複雑な気持ちになる。
 母とどんなやり取りがあったのかは知らないが、自分に会いたくないという結論を下したのは間違いない。
 
 それでも、他のみんな――少なくとも、三津とは顔を合わせたはずだ。

 自分を海外に送らせたところから、合鍵を持っていたとは考えられない。持っていたのなら、学校に行っている間を狙えばいいのだから。
 確かめるまでもないと、楓は電話をしなかった。
 決して、後ろめたいからではないと、自分に言い聞かせる。

 千代子に『告白』して以来、三津とは満足に話していなかった。オーストラリアに行くのも、電話で済ませた。
 
 ――両想い、なんだよな……?

 全然、実感はなかった。千代子の言葉はもう疑っていないが、信じられない気持ちのほうが未だ強い。彼女に言わせれば、それこそが最低の極みなのだろうが。
 
 受け入れてくれたのは、同情やその場の流れ――弱みに付け込んだ結果。三津はそんな理由で身体を許したと思っていたなんて。その上、都合のいい言葉に甘えて、何事もなかったかのような顔をして――否、そんな風にさせていた。
 
 今までの関係を壊すのが怖くて、言えなかったから。
 まるで、気の迷いだったかのように謝ってしまったから。
 
 ――結局、自分のことしか考えてなかったんだよな……。
 
 冷静に思い返してみれば、最低でしかなかった。こんな自分なんかを、三津が好きになる訳がない――そう、思い込むのが最低の上塗り。
 三津の自分に対する優しさや気遣いを知っていながら、そういった答えに落ち着かせようとするほどに、楓は自分が嫌いだった。
 だから、受け入れられない。好意を向けられると嫌になる。
 
 ――ほんと、顔だけなのにね。

 三津の言うとおりだ。みんな中身を知らないから、好きだと言える。知ったら、誰だって幻滅する。
 
 ――どんな理由なら、楓は納得するんだ?
 
 どれだけ考えても見当たらない。自分と向き合えば向き合うほど、答えは遠く霞んでいく。

 ――なんで好きになったんだ?
 
 最初は楓だって嫌いだった。大好きな姉を取るから、三津のことなんて大嫌いだった。
 昔の三津は弱かった。仲間外れにされるのが辛くて、その理由もわからなくて影で泣いていた。紅葉はそれに気づくと、楓にどこか行くように命じる。
 しばらくして、戻ってきた楓は姉に叱られる。
 
 だから、楓は三津のことが嫌いだった。
 ただ、楓の『嫌い』と同級生の『嫌い』は違っていた。
 
 けど、一度も否定しなかった。学校での居場所がなくなるのが怖かったから、ずっと黙っていた。
 そんな楓とは裏腹に、三津は一人でいた。それも強くて、格好良くて……いつからか、楓は羨ましいって思うようになっていた。
 それが悔しくて、ムカついて……けど、距離は置けなかった。紅葉が言うから、二人はお互いに嫌いでも一緒にいるしかなかった。
 
 それがいつからか、三津のことを気にかけるようになった。
 でも、三津の視界に自分は入っていない。
 紅葉の目が届かない所では、三津は自分になに一つ興味を抱いていなかった。
 
 それが不愉快で、ちょっかいをかけるようになった。自分を見て欲しくて――そう、気付かない内に好きになっていた。
 三津と一緒にいることで苛められたり、嫌な目にあっても離れなかったのは、好きだったから――本当は紅葉なんて関係ない。楓にとっては、とっくの昔に関係なくなっていた。
 それを、今までずっと……認めてやれなかった。
 
 言い訳があり過ぎて、逃げ続けてしまった。
 
 こんなにも好きだったのに……一度も言わなかった、言えなかった、言ってやれなかった!
 楓は初めて、自分の弱さに反吐が出る。
 弱いから仕方ない、所詮自分なんてと、落ち込んでいられないほどの不快感。考え事をしているだけなのに苦しい。 最低を許容できるくせして、恥をかくのは耐えきれないなんて。
  
 今、自分はどんな顔をしているだろうと、鏡に手を伸ばす。
 案外平気そうに見えて、殺したくなった。

 楓は額に爪をたて、腕が痙攣するほどに力を込める。
 
 引き裂きたい衝動と理性がせめぎ合い――僅差で勝負は着いた。
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