第7話 男女3人part1

文字数 3,319文字

 熱に浮かされたように、廊下を歩く少女がいた。壁にすがりながら、とぼとぼと。
 塩谷美音が目的地に着いた時間はちょうど良かった。
 中央棟の二階にあるセミナールーム。チャイムと同時に、ぞろぞろと生徒たちが出てくる。各クラスの委員長と副委員長――およそ五十人はいるものの、

 「山内君!」

 塩谷は数秒で捕捉した。
 男子としては中背だが、この場では抜きんでた背丈。塩谷は迷わず呼びかけるも、いかんせ彼女自身は小さい。
 山内は反応を示すも、一向に辿りつかなかった。それは、完全に埋もれてしまっている彼女に原因があるのだが、

(もうっ! なんで気づかないの?)

 少女の心の内は、少年を責めるだけだった。
 もう一度、
「山内――」
 そう思い、放たれた言葉は途中で失速した。

 塩谷は目を見張る。黒髪の短髪、耳まで出した真面目そうな容姿――山内の傍にいたのは、見慣れた親友の姿ではなく、ここでは限りなく異質の男子生徒。
 ――え? 男子の委員長って……。
 
 塩谷は記憶を辿る。今年、入学した男子生徒は十四名。その内の六名は食物科で、残りの八名は普通科。
 例の噂が頭を過り、塩谷は眉をひそめる。
 元々、あまり興味は抱いていなかった。むしろ男子は乱暴だなと、どこか見下ろす気持ちでいた。喧嘩両成敗。どっちも悪いに決まっているというのが彼女の見解だったはずなのに、今では完全に偏っていた。
 凝視していると、衝撃。急に抱きつかれたものの、塩谷の口から洩れたのは悲鳴ではなく、嘆息。

「なに、怖い顔してんの?」

 自分に対して、言葉より先に手が出るのは一人しかいない。親友である瀬川栞。文句を言いに来た相手だ。

「あのさ、あの男子って?」
 
 それなのに、塩谷は溜めこんでいた不満よりも先に質問した。

「あぁ、普通科の委員長で綾瀬君。山内と同じように強制で決められたんだって」
 
 学校側の意向――共学を誇示すべく、僅かな男子生徒は祭り上げられていた。
 綾瀬は主席でもないのに入学式で代表挨拶をさせられ、山内は正式に入学する前から、学校ホームページやパンフレットに写真が掲載される始末。

「なんか二人して嘆いてたよ。このままじゃ生徒会に入れられるかもってさ」
 
 瀬川の言い様に同情は感じられなかった。少なくとも、山内に関しては塩谷も同じ気持ちである。
 中学の時と変わらない。ぼやきならがも、結局は応えてしまう。他人の期待を裏切れない難儀な性格。隣にいる親友と同じように。

「……なんで教えてくれなかったの? 呼んでいるのが佐藤君だって」
 
 だから、感情に任せてぶつけられなかった。塩谷は拗ねたように問いただす。

「あー、そういえば佐藤君の用事はもう終わったの?」
「……うん」
「へー、どうだった?」
「……まだ、私の質問に答えてない」
「美音が佐藤君のことを意識していたから」
 
 どうせはぐらかされると油断していた上に、的を射た答え。塩谷は虚を衝かれ、二の句が続かない。

「佐藤君一人だったら別に教えてもよかったんだけど、三津さんも一緒みたいだったから。あんま期待させるのもどうかと思って」
 しかも、それが自分を気遣った結果。
「あ、でも付き合ってはいないって。二人して否定してたし。いわゆる、幼馴染っぽい」
 それどころか、密かに求めていた答えまでも口にしてくれたものだから――

「で、どうだった?」
 
 含み笑いが隠しきれていないが、正直に答えるしかない。

「部活に勧誘されて、承諾しました」
 
 せめてもの反抗心で作った言葉と態度。塩谷は両手を上げて、白状した。

「なるほど、勧誘が目的だったんだ」
 
 楓の目的までは知らなかったのか、瀬川は安心したように頬を綻ばせた。

「……あんな顔で頼まれたら、断れる訳ないよ……」
 
 誰に対する言い訳なのか、塩谷は小さく零す。彼女の瞼には、まだ焼き付いていた。
 ――顔を赤くして、必死で言葉を紡ごうとしていた……健気な男の子の姿。
 冷めた性格だと思い違いをしていた塩谷には、強烈な衝撃だった。

「けど、大丈夫?」
 
 なにが? と、塩谷が投げかける前に邪魔が入る。

「声は聞こえど姿は見えず……と、思ったらやっぱりおまえか」
 
 意地悪な表情を浮かべ、山内がやっと気付いた。
 窓から射す西日が眩しいのか、手をかざしながら近づいてくる。

「そこまで小さくないし」
 
 お約束の悪態に怒ってみせるも、塩谷は落ち着いて会話に持っていく。

「山内君は綾瀬君……だっけ? 普通科の男子と仲良いの?」
「別にそれほどでも。ただ、綾瀬は同じ推薦組だからな。それなりに親近感はあるかも」
「あー、推薦入試にいたもう一人の男子か」
 
 山内の説明に、瀬川が心当たりを示す。塩谷も推薦だったのだが、自分のことに一杯一杯で記憶には残っていなかった。

「けど、そんなこと聞いてどうすんだ? もしかして、惚れたとか?」
 
 見当違いの指摘に瀬川は困ったように笑い、塩谷は呆れた息を吐く。

「違うから。ただ、佐藤君と喧嘩したのって普通科の生徒だったじゃん」
「あぁ、けど綾瀬じゃないぞ」
 
 むしろ庇っていたと、山内は否定する。

「佐藤とやりあったのは……名前までは知らんが、いかにも不真面目そうな奴らだったよ」
 
 新入生の集団宿泊研修は学科別ではなく、纏めて行われた。中でも男子は人数が少ない事情もあり、全員が同じ部屋で過ごしていた。

「あんま話題になってないけど、相手も停学くらってるから。原因は煙草だけど」
 
 知らなかったのか、女子二人は顔を見合わせる。

「そもそも、佐藤の停学が決定したのって帰ったあとだし。しかも、直接の原因は喧嘩じゃなくて、先生とやり合ったことだったみたいだぞ」
「ていうか、なんであんたはそんなに詳しいのよ?」
 
 続々と出てくる新事実に、瀬川が口を挟む。

「そりゃぁ、現場にいたし。あとは、綾瀬から聞いた。あいつ三年に姉がいるらしくて、色々と情報が手に入るんだとさ」
「そういえば、喧嘩の原因ってなんなの?」
 
 今更なことを、塩谷は訊ねる。噂でも、そこに焦点は当たっていなかった。それ以前に、知りたいとも思っていなかった。
 けどそれは、関係のない他人だったから。でも、今は違う。楓の人と成りに、僅かながら触れてしまった。
 偶然から始まった繋がりを、つい先ほど確かなモノにした。
 間違いなく、最後は自分の意志で――

「あー……、相手の喫煙」
 
 気圧されたのか、言い渋るかのように唸っていた山内が、ぽつりと漏らした。

「相手の喫煙って?」
「それが、どう喧嘩に繋がるの?」
 
 塩谷に続き、瀬川も首を傾げる。

「どうって……そりゃぁ……」
 
 言葉を選んでいるのか、山内はなかなか切り出さない。手を口にやり、髪を弄り……

「まぁ、なんだ。たぶんだけど……」
 
 あくまで予想であり、答えではないと前置きをしてから、
「あいつがクソ真面目で、つまんない奴だからじゃないのか?」
 落ち着かせた。

 言葉こそ貶しているものの、表情と口振りにはなにか別の感情も混ざっていた。
 それは少年の僅かな心の機微であろうに、少女たちは察していた。伊達に、多感な中学時代を三人のまま過ごしてきた訳じゃない。異性とはいえ、そう易々と見逃しはしなかった。
 
 ――含まれていたのは仲間意識。
 
 ただ、そこから手繰り寄せられる答えが意外過ぎて、困惑してしまう。噂や見た目からでは想像もつかない。添えられていた前口の意味が、痛いほど身に染みる。
 けど、塩谷は受け入れられそうだった。
 楓が語ってくれた想いに、充分表れていたから。約束と責任。果たそうとしているのは、彼が真面目だから――

「そこの三人。もう、下校時刻ですよ」
 
 三人で黙って立ち尽くしていると、教師からの注意。顔を見合わせることなく、三人はほとんど同じタイミングで声にだし、頭を下げていた。
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