第34話 楓のマカロン

文字数 3,689文字

 楓に夏休みの予定はなかったが、暇を持て余しもしなかった。
 まず、食物科は課題としてかなりの品目の料理を作らないといけない。レポートはレシピ、作り方を記載するだけでなく、完成した料理の写真まで貼り付け。
 また、それとは別の課題もある。
 食中毒に関するニュースの記事集めから、見慣れた一般科目の宿題。加え、楓はお菓子の予習もしていた。
上手く仕上がった時に限り、三津に来て貰ったり、自分から持っていったりもした。
 
 日を置いて会うと、不思議と平然といられた。
 おそらく、三津がそういう空気にしてくれているのだろう。

 楓はそのことに対する感謝として、マカロンを作ることにした。
 
 粉糖とアーモンドプードルをフードプロセッサーで細かく砕き、二度、ふるいにかける。
 卵白はタッパーにいれて、一週間置いたもの。半分を食紅で着色して、先ほどの粉類――ボウルに移し、中心をくぼませた上に落とす。
 
 もう半分はイタリアンメレンゲ。泡立てた卵白に、一一八℃まで煮詰めたシロップを糸のように垂らしながら、冷めるまで泡立てていく。

 これは器用さやセンスよりも、技術と知識が求められるお菓子。
 
 用意した二つの材料を合わす。メレンゲを二回に分けて加え、マカロナージュと呼ばれる特殊な混ぜ方をする。生地に艶が出てきたら、絞り袋にいれ均等に絞っていく。
 
 楓にとっては一番難しい作業、集中して取り組む。

 絞り終わると、そのまま一時間放置。表面の生地が乾燥――触っても指にくっつかなくなるまで置いておく。
 その日の湿度によっては、冷房などを使用する。乾燥が終えると焼成。二一〇℃のオーブンへ入れ、すぐに一四〇℃度まで下げる。

 これが家のオーブンで一番綺麗に焼ける――ピエと呼ばれるフリルが現れる焼き方だった。
 何度も何度も、挑戦して掴んだ。
 上手くできて、自信を持った。
 不器用でも、センスがなくても作れるんだと。美味しいだけじゃなくて、可愛らしいお菓子を生み出せる。
 
 暑いので、間に挟むのはジャムにする。ラズベリー、イチゴ、バラと、ピンクのマカロンにお似合いの組み合わせ。冷蔵庫に入れて馴染ませる。一日置いたほうが美味しいのだ。
 
 最初は無茶ぶりだと思った。自分なんかに作れるはずがないと。
 けど、三津の我侭に押し切られた。

 ケーキは紅葉が作るからと正論まで持ちだして、楓に作らせた。十五歳の誕生日。楓は自分のセンスの無さを自覚していたので、本人に確認した。何も用意しないというのは、先輩たちの小言を受ける羽目になるから仕方なく。
 
 それが今では、一番の自信作となっている。
 
 これだけは紅葉のレシピではなくて、自分のオリジナル。
 それまで楓が持っていたのは、ほとんど紅葉の貰いものだった。
 お菓子や紅茶といった知識や技術だけでなく、西研――千代子や捺、三津との関係もそうだ。
 
 楓一人では、手に入らなかった。
 興味すら持たず、例え持ったとしても行動に移せなかった。
 きっと、見ているだけ。遠くからずっと、勝手な期待だけを胸に抱いて、勝手に裏切られた気分に陥って。

 本当は全部、自分が悪いのに――!
 
 そう思うと、不思議と納得できる。自分を責めるのは酷く簡単で、心に落ちる。
 どうせ、やっぱり、自分が――
 でも、今回に限っては被害妄想や都合のいい解釈じゃない。
 
 ――紅葉は間違いなく、自分が原因でいなくなった。

 罪の所在が明らかになったあの日とは違い、今なら自分の罪を認められる。
 自分は紅葉に甘えていただけでなく、利用までしていた。その上、色々なものを捨てさせてしまった。

 それも、取り返しのつかないものばかり。
 原因は――わかっている。酷く幼稚で情けない、不器用で歪んだ想い。

 現在ならそうやって馬鹿にできるけど、当時は本気だった。自分の想いしか考えていなかった。周囲の気持ちなんて知らない。いや、いらなかった。
 相手の好意すらも、知っていたから。
 かなわないって、届かないって、無駄だって……。
 それでも諦められない。けど、気づかれたくない。終わるから――でも!

 ――もしかしてって、思われたかった。

 ほんの少しでいいから、意識して貰いたかった。
 その程度の恋。それが紅葉――姉との関係を終わらせてしまった。

 

 登校日。予想以上に多く綺麗に仕上がったので、楓はみんなの分も用意した。
 期待通り、三津はいつもの時間に交差点に現れた。

「おはよう」
 
 何事もなかった――そう、錯覚させるほどに見慣れた挨拶。不自然なところは一切なく、楓は引っ張られるように返す。

「……おはよう」
 
 頬に力を込め、俯き加減にぶっきらぼう。それでいて、足だけは勝手に動く。追いかけていた七年間が嘘みたいに合わせられる。
 信号に捕まり、楓は紙袋から一箱だけ取りだした。

 掌に乗せて、
「あげる」
 三津の前に差し出す。

「マカロン、作ったから」
 
 なかなか重みはなくならない。急すよう横目で訴えると、
「素直に食べて欲しいって言えばいいのに」
 余計な一言を添えて三津は受け取り、その場で一つ口にする。

「うん、やっぱり美味しい」
 
 褒められると弱い。嬉しさが文句を押しのけ――顔に出る前に奥歯を噛みしめる。楓の悪い癖。他人の目が及ぶ場所では、感情に抗ってしまう。
 青になり、三津は残りを鞄に閉まった。駅に近付くにつれ、見慣れた制服が増えてくる。
 運悪く、千代子を含めて顔見知りには会わなかった。

 時間は充分にあったので、教室に着いた楓は先に済ませることにした。
 まずは教室内。三津が怪訝な目を向けるも、振りきった。せっかく、声のかけやすい一人でいるのだ。

「瀬川、良かったらこれ食べてくれ。色々と迷惑かけたお詫び」
 
 反応は鈍いも、瀬川はお礼を述べて受け取った。

「保冷剤は入ってるから、二時間くらいはもつと思うけど」
 
 楓はその流れで、山内にも渡す。
 そして、お隣。入った瞬間に突き刺さる。身動きすら、はばかるほどの視線。一挙手一投足まで観察されているような錯覚に楓は陥るも、今更だ。
 
 探していた相手は、ざわめきに釣られたように一目だけ……。

 それっきり、こちらを向いていない。覚えのある仕草。きっと瞳は誰にも辿りつかないように、逃げ続けているのだろう。

「おはよう、塩谷」
「……おはよう、佐藤君」
 
 周囲を気にする素振りをみせたが、塩谷はきちんと返してくれた。

「これ、良かったら貰ってくれ」
 
 長居をするのは逆効果になりそうだと、楓は手早く渡す。

「色々と迷惑をかけたお詫び」
 
 楓は教室内を見渡す。聞き耳をたてていた何人かが、慌ただしく携帯に目を落としたり、雑談に夢中のふりをしだした。

「それじゃ、また部活で」
 
 教室を出ると、次は一階に下りて渡り廊下――デザイン科、普通科、保育科と巡っていく。女子しかいない三年のフロアでは、楓の存在は目立っていた。
 
 おかげで探す必要もなく、知らない先輩たちが気を利かせて、望む場所まで案内してくれた。
 
 捺は驚いた顔で出迎え、笑ってお礼を言ってくれた。教室から出ると、後ろから黄色い声。ボリュームの大きさに楓は若干おののく。
 会長のいる普通科は、一般的な受験生となるのでデザイン科よりも穏やかに迎えられた。

「保育科は気をつけて。すごく元気だから」
 
 会長から助言を受け、楓は覚悟して足を踏み入れる。

「どうした? マカロンなんて……今度は、なにをやらかしたんだ?」
 
 やっぱり、千代子は気付いていた。楓のマカロンは特別――お詫びか感謝のどちらかである。

「半分くらいは正解です」
 
 楓は曖昧に笑う。

「もう半分は……今日を、いつも通りにしたくなかったんです」
「意味はわからんが、また回りくどい考えしてるみたいだな」
 
 相変わらず面倒くさい奴とまで言われ項垂れていると、
「なにー、千代に苛められたの?」
 いきなり知らない先輩に近づかれ、楓はびくつく。

「てめーこらっ! 絡むな」

 千代子の注意も虚しく、続々と集まってくる。見る見る内に楓は縮こまり、身動きが取れなくなる。

「こいつ人見知りだから、やめたれ」
「えー、うそっ! かわいい!」
 
 かわいいは決して褒め言葉ではないと、内心で反抗してむくれ顔。火に油を注いだように楓は弄られる。

「ちょっ……千代子先輩……」
 
 すがるように呼ぶと、
「なーに?」
 何故か別の先輩が返事をした。
 
 どうしていいかわからず、あたふたと楓は視線だけで助けを求める。
 
 千代子は煩わしそうに、
「はい、散った散った」
 手を叩き始める。

「あんたもぼさっとしてないで、さっさと行く」
 
 手で払われ、楓は脱兎のごとく逃げ出した。
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