第6話 勧誘

文字数 5,390文字

 放課後、楓と三津は職員室の前にいた。
 ここでなら、生徒たちも無配慮に眺めてこないからだ。窓際の壁に、二人して寄りかかる。並んだ状態で、三津は楓の横顔を眺めている。
 楓は瀬川の言葉を思い出し、顔をしかめていた。

『佐藤君って横顔、女の子みたいだね、美人さん。そういえば、美音も最初、ぶつかった相手は女の子だと思ったみたい。甘い匂いがするし、確率的に考えてもね。それが顔を上げたら、男子どころか噂の佐藤君でびっくりしたって……』
 
 思い返してみても、こんな風に三津はいつも隣にいた。互いに見慣れているのは横顔。正面から対峙した記憶はあまりない――そう、否定した瞬間に強く浮かんだ。

 楓は大きな溜息を吐く。

 何事もなかったかのように振舞っている自分に、一切の憤りを感じない訳じゃない。
 紅葉がいなくなって、あんなことがあったのに……三津はいつも通りに過ごしている。
 
 一人でうじうじしていると、人の気配。共に、視線には敏感であった。
 楓は気だるく、上体を起こす。続く三津も緩慢な動き。
 なのに、傍目からは決してだらしなくは映らない。

「あ……え? えぇ!?」
 
 対して、塩谷は落ち着きがなかった。きょろきょろと忙しない。自分が下りてきた後ろの階段を見上げ、携帯を取り出し、左右だけでなく上下の確認。
 一歩も進まずに、楓たちの運動量を上回っている。
 彼女が状況を把握していないのは、一目瞭然であった。楓たちは目前まで迫っているのに、なんの声もかけてこない。

「……瀬川から、聞いてないのか?」
「瀬川……栞から? ってえぇ!?」

 楓は、瀬川に塩谷を連れてくるよう頼んだ。それを彼女はきちんと守った。しかし、待ち人までは知らせていなかった模様。
 そこから察せられる理由は――

「瀬川に、騙されたんだな」

 楓は落ち着いて結論を出した。きっと、瀬川もからかっただけだろう。
 塩谷の反応で確信した。もう! なんで! と、怒っているが口だけ。上ずった声から、こういう展開が慣れているのが窺える。

「……悪いけど、呼び出したのはおれだ。ちょっと、付き合ってくれる?」
 
 楓は端的かつ、丁寧に伝えたのだが無意味。一年生にとっては、佐藤楓と三津百花というだけで恐怖の対象となっている。
 でも、それは承知の上。瀬川から、噂や評判は聞かされていた。
 楓は言うまでもなく。加えて、昔似たような事件を起こしていたのも災いして、尾ひれが沢山ついている。
 そして三津は、楓の停学中にとある女子とやり合ったらしい。なんでも、教室内で相手の胸倉を掴み上げたとか。

「とりあえず、連れて行ったほうが早くない?」
 
 三津は手ではなく、何故か首根っこを掴んだ。

「ひゃっ!」
 
 やけに可愛らしい声。塩谷は小刻みに震えたりと、小動物じみていた。勿論、三津に持ち上げられる訳はなく、押されていく。

「悪いようにはしないから」
 
 台詞が胡散臭いと思いながらも、楓は咎めなかった。

「髪、長いね」
 
 マイペースに三津が会話を始める。ほとんど言葉になっていなかった塩谷だったが、徐々にキャッチボールが成立していく。

「短いほうがバランスいいってわかってるんだけど、長いほうが大人っぽく見える気がして」
 
 毛先は腰の辺りで揺れていた。手入れが行き届いているのか、やぼったさは感じられない。麗しい黒色。三津と並ぶと、際立つ。

「でも、大変でしょ? 私も昔は長かったからさ」
「うん……。今から梅雨に夏だもんね。衝動的に切りたくはなるんだけど……」
 
 その場しのぎの世間話。そう認識していた楓は、熱の入りように呆れる。ほぼ初対面。しかも連行されているのに、よく笑ってお喋りができるものだと。
 結局、二人は部室に着くまで、無理の感じられないお喋りを続けていた。

「失礼します」
 
 三人がそれぞれ踏み入れる際に口にし、
「いらっしゃい。ってか、律儀だな」
 千代子は目線だけで席に着かせた。

 彼女の手には、丸みを帯びた可愛らしいティーポット。色合いはオリーブグリーンと親しみやすいが、持ち手や注ぎ口 は金色と豪華さも兼ね備えていた。
 テーブルにはお揃いのカップが用意してあり、注がれていく。最初はカップから近く――一気に高く上げ――また、近づける。
 パフォーマンスの意味合いが強いが、それだけではない。

「あ! すごい、甘い香り……?」
 
 紅茶が長く空気に触れる分、香りが際立つ。飲む前から嗅覚を刺激し、期待を高める。

「最初はそのまま飲んでみて。そのあとは、好みの甘さにしていいから」
 
 隣に腰を下ろした千代子に従って、塩谷はカップに口をつける。

「美味しい!」
 
 ここからは千代子に任せて、楓も紅茶をすする。
 甘ったるい香気だが、味わいは繊細。フルーツや花の口当たりのよい甘さから入り、最後に残る、紅茶特有の心地よい渋みと味。いつまでも鼻腔をくすぐる上品な芳香と相まって、一口で深く安らげる。

「これって、なんの紅茶なんですか?」
「マリアージュフレールのマルコポーロっていうの。フルーツとか花で香り付けされているフレーバーティー」
 
 千代子は大雑把に説明していく。

「紅茶通には受けが悪かったりもするけど、初心者が楽しむにはいいと思う」
 
 塩谷は紅茶を含み、頷く。にっこりと満面の笑みで返事をした。

「それじゃ、次はこれを食べてみようか」
 
 見た目はクッキーサンド。レーズンの混ざった二つの生地に、クリームが挟んである。

「シストロンっていう外国のお菓子」
 塩谷は警戒せず一口に入れた。
「……んん?」
 
 楓と三津は、塩谷の反応を様子見る。
 ――これが、日本人の味覚に合う食べ物なのかを見極めるために。
 二人は、千代子から出されるお菓子を躊躇いなく口に入れて、何度か痛い目にあった経験があった。
 だから、少なくとも説明、形、匂いからして、明らかに安全と判断つかないものには抵抗を覚えてしまう。特に、クリーム系は味覚以外アテにならない代物が多く、破壊力も半端ないので慎重にならざるを得ない。

「美味しい……けど、なんだろ?」

 微妙な反応に二人は牽制しあい、三津が覚悟を決めた。

「なにかわかるかな?」
 
 千代子の試す物言いに、三津は珍しく味わっている。
 もぐもぐとゆっくり咀嚼して、
「……塩?」
 答えを絞った。

「正解。塩の入ったバタークリーム」
 
 答えを知ると、楓は伸ばしかけていた手を引っ込めた。

「正確には、フルール・ド・セル〈塩の花〉っていう、まろやかで繊細な味の塩だけど」
 
 ふ~んと聞き流しながら、三津は二個目をほおばる。
 どうやら気に入ったようだ。塩谷も手を伸ばしている。

「こんな風に紅茶やお菓子を主とした、西洋の文化に触れるのが、この西洋文化研究会の活動内容」
 
 やっと勧誘だと気づいたのか、塩谷はお菓子を口に咥えた状態で千代子と向き合う。

「ウチは『知る』には適してないかもしんないけど、『楽しむ』には充分応えられると思うよ」
 
 塩谷はお菓子を呑みこみ、身体ごと千代子のほうへ。

「他に入りたい部活動があるとか?」
 
 千代子の先手に、塩谷は首を振る。

「それとも、部活動に入れない理由があったりする?」
 
 これまた否定。塩谷は唇をわななかせるも、はっきりとした言葉にはならない。
 それでも、西研のメンバーは黙って見守る。しばらく音はなく、紅茶の香りに意識を澄ませる。
 やがて意を決したように塩谷が鞄をあさりだし、提示した。

「駄菓子?」
 
 千代子の呟きに、楓たちも覗き見る。様々な駄菓子。それもコンビニとかで売っているようなメジャーなものではなく、レトロな種類。

「えっと、家……駄菓子屋やってるんです。おばあちゃんが」
 
 三人は頷き、先を促す。

「えーと、だから、私あんまり洋菓子とか詳しくなくて……味とかも、よくわかんないかもしれないし……」
 
 渋っていた理由に三人は笑う。柔らかに、大丈夫だよと、語りかけるように相好を崩す。

「そんなの別にいいよ。現にみっちゃんだって、ほとんど味なんてわかっていない」
 
 それなのに、三津は堂々としていた。引け目もなにも感じられない。

「楓はまぁ、ウザいくらいだけど?」
 
 楓が表情だけで不満を訴えていると、差し出された。

「ほいっ、楓。これ食べて感想言ってー」
 
 串に刺さった茶色いバナナ型。包装に書かれている、忘れられない文字。子供の頃はバカと読んでいた馬鹿(うまか)味。
 楓は乱暴にビニールを破り、かじる。明らかに人工的なバナナの香り。チョコでコーティングされたカステラ生地はやはり、駄菓子。

「周囲のチョコは溶けてるし、中の生地もパサパサで美味しい訳ないんだけど……」
 
 そこまで貶したくせして、楓は残りを一気に平らげる。

「美味しかったって思い出があるから、嫌いじゃない」
「――とまぁ、楓は駄菓子一つでここまで語れる奴だ」
 
 言い切った感丸出しの楓に間髪いれず、千代子がオチをつけた。

「ウザいだろ?」
 
 三津はこくこくと頷き、塩谷も苦笑い。雑な扱いに楓はふてくされるも、

「この西研って、個人的な我侭で作ったものだから、そこまで本気で取り組む必要はないんだ」
 千代子は気にせず、勧誘を続ける。
「ただ、知らない文化を楽しめたらいい。口に合わないモノだってそりゃある。それでも否定せず、そういうもんなんだって受け入れられるなら、まずいって笑えるなら充分」
 
 そこまで言って、千代子は投げ出した。

「楓、あとはあんたが言いな。部長としての言い分は、今ので充分っしょ?」
 
 まだ拗ねていたのか、楓は不満げ。

「残るは、あんた個人の問題。あんたが……始めたんだ」
 千代子はそれを勘違いしてか、発破をかけてきた。
「あんたの我侭に付き合わせるんだ。話さない訳にはいかないだろ? 仲間になるんだからさ」
 
 楓は言葉を詰まらせる。千代子の言い分は正しいにもかかわらず、考えてもいなかった。
 ――誰でもいいと思っていたから。
 事情を説明するつもりなんて、まったくなかった。だって、ただの数合わせ。そういった理由でしか、楓は探していなかった。
 
 塩谷を選んだのも、偶然。たまたま、縁があったからに過ぎない。

 そもそも、楓にとっての仲間は部活申請用紙に書かれている五人だけで、増えることも減ることも望んでいなかった。
 けど、現実は違う。はっきりと線が引いてある――佐藤紅葉――約束を交わした彼女は、ここにはいない。
 そして、楓は、それを――

「……おれの姉なんだ。この佐藤紅葉って……」
 無造作に置かれていた用紙を、楓は提示する。
「……本当は、おれと三津で揃うはずだったんだ。そういう……約束だったから」
 同好会で充分な集まりだったが、機会に恵まれた。
「みんなで、文化祭に参加しようって。せっかくだから……絶対に楽しいはずだからって、そんなつまらない理由だったんだけどな……」
 
 運よく神川高校が共学となり、楓と三津は受験を決めた。入学前から、西研への入部を希望していた。
 つまり、目標でもなんでもなかった。部への昇格も、文化祭の参加も。遊びの予定をたてるのと、なんら変わらないはずだったのに……

「だけどさ、急におれの姉が……いなくなっちゃってさ。突然、学校を辞めたんだ」
 三月の終わり。始まりに期待を膨らませていた矢先に、紅葉は姿を消した。

「本当かどうかはわからないんだけど、先生と付き合ってた……らしくて」

  紅葉の担任かつ、西研の顧問だった宮田先生。
 千代子曰く、間違いなく紅葉の好きなタイプで仲は良かったらしいが、具体的な関係を持っていたようには見えなかった。
 しかし、二人は揃って学校を辞めた。
 そして、紅葉の書置きを信じるなら今も一緒にいる。

「とまぁ、そういう事情があって……叶わなかったんだ」
 
 ――五人で文化祭に参加する。
 言い出したのは紅葉だ。でも、みんな同じ気持ちだったのか、すんなりと馴染んでしまった。期待に、胸を、膨らませていた。

「だけど、おれは諦めきれなくて。……約束したから。まだ、果たせると思っているから……」
 
 変わることは望んでいなかった、嫌だった。ずっと、今のままでいられたらいいって思っていた。
 でも、現実は違う。
 大事な仲間が一人、減った。楓はそれを、受け入れられないでいる。取り戻したいと、本気で思っている。
 ――だから!

「塩谷に入って欲しい。はっきり言って、今の西研っておれの我侭なんだ。みんなは諦めていたのに、おれがやりたいって言ったから……こうして活動しているんだ」
 
 急な要請だったので、強がる余裕なんて楓にはなかった。淡々と吐露していく。言葉として不完全であっても、繕うことなく吐き出し続けた。
 それでも、本当の気持ちだけはひた隠して――
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